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小学3年生の息子の成長、そして終わりは突然やってくる。

この春から小学三年生になった三男。

上の双子と年齢が6つ離れたせいもあるのか、私が歳をとってしまっただけなのか、とにかく甘やかしてしまいがち。
夫にも双子の息子にもよく注意を受けるので間違いないのだろう…

その三男が玄関でこう言い放った。
「今日から3年生だからね。ここでいいよ!」

颯爽と歩いていく彼の眩しい後ろ姿を見送る私は、清々しい気持ちと淋しさが混在して複雑だった…


三男が小学校に上がった時から、彼が登校する時には手をつないで途中まで一緒に歩いていた。

特に入学してすぐ、1年生の1学期の間は学校の門の近くまで行くことも多かった。幼稚園が自由でのびのびして楽しすぎたせいか、学校という箱の中で自由のない規律正しい生活にあまり馴染めなった。
自由にさせすぎてしまった私の育て方にも問題があったのだろう。

先生のお話はかろうじて聞いていたけれど、字を書くのがいや、みんなの前で発表するのがいや、みんなとワークするのがいや。

とにかくイヤイヤな子どもで、先生にも多々ご迷惑をおかけした。

どうにか1年生を終え、この先どうしたらいいものかと悩みながら2年生になった時、転機が訪れた。

担任の先生がとにかく熱心に彼を指導し、見守ってくれた。

「初めから自分はできないと諦めている気がするんですよ」
先生は、彼の最初の印象をそんな風に話してくださった。

1年生の間にいろんなことで後れをとり
「自分にはできない」「自分はだめなんだ」「やっても失敗ばかり」
そんな風に自分を否定して、やろうとする意欲が失われてしまっていたようだ。

しかし、2年生の間に彼は見違えるように変化した。
最初の頃はしぶしぶ取り組んでいた宿題も、2年生が終わる頃には自分から計画を立てて行うようになっていた。
やや大きい課題も自分でテーマを決めて取り組んだり、「これがやってみたい!」と意欲を示すようになった。
あんなに書くことを嫌がっていたのに、日記も毎週きちんと書いた。
日記には「先週の日記よりは1文字以上多く書く」と、彼なりのルールを設け、一生懸命数えながら書いていた。

最終的には、「思考」という言葉を巧みに使うようになり、私が考えなしに行動したりすると、
「ママはきちんと思考してないからダメなんだよ」
と、ダメ出しまでもらうようになった。

お友達とも積極的に関わるようになり、お友達と遊ぶプランを自分で細かく組み立てたりするようにもなった。

『教育』というものの威力を、これほどまでに肌で感じられたのは三男が初めてだった。

環境で人はいつでもいくらでも変わることができる


そして、小学三年生になった彼は一人で登校するようになった。

他の人にとっては当たり前のことかもしれない。
でも、彼にとっては、大きな大きな成長なのだ。

他の誰かと比べるのではない、過去の彼と比べればいいだけの話。


私はといえば、彼と手をつないで歩く時間がとても至福の時間で。
朝のわずかな時間とはいえ、せわしく出勤していく前のひととき。
息子と歩きながら、今日の空の色を確認したり、雲の動きを見ながら話をしたり、鳥の鳴き声を聞きながら何の鳥か当てっこしたり。

そう、結局私が最も成長できていないのだ…
まさか、そんなに急に「今日から」と言うとは思っておらず、完全に心の準備ができていなかった、不意をつかれたのだ。
子どもは着々と成長しているのに、私はまだまだ子離れもできておらず、嬉しいやら淋しいやらの複雑な気持ちを抱えるに至る面倒な母なのだ。

夫にそのことを伝えたら
「あなたには仕事があるでしょ」と。

あぁ、ダメだ…
夫に共感を求めてはいけない(笑

この先も、成長とともにたくさんの「終わり」の瞬間があるだろう。
不意打ちをくらっても揺らがないように、私自身も子どもと一緒に、いや、子ども以上に成長していかなければ、と感じている日々です。


最後まで、お読みいただき、ありがとうございます^^

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