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短編小説・ホームレスの愛人 (1/2)

20年前、おっちゃんは金持ちで、私はハタチの美しいバニーガールだった。
私はおっちゃんの愛人だった。私たちは5年ぶりに再開した。
前・後編のその1。

【ホームレスの愛人 (前編)】

空は灰色だった。
凍えるような冬の日に、私とおっちゃんは再会した。
おっちゃんと会うのは5年ぶりだった。
20年前、私はおっちゃんの愛人だった。
おっちゃんは秋葉原にビルを持つ金持ちで、私はまだハタチの美しいバニーガールだった。
私とおっちゃんは歳がちょうど20才離れていた。
おっちゃんは私にベタ惚れだった。
おっちゃんは私に何でも買ってくれたし、カメラマンを雇ってバズーカ砲みたいなレンズで、私のピンナップを死ぬほど撮りまくって山積みにした。
私はいつもブランド物の高い服を着て、小さなハンドバッグを手首に引っ掛け、ハイヒールでアスファルトを蹴飛ばして歩いていた。
私に怖いものなんてなかった。
私は若くて、美しかったし、何しろ私にはおっちゃんがいた。
おっちゃんは私が気に入らないすべてのものを高級ベンツで轢き殺してくれた。
だけど、私たちの長い長いバカンスは終わった。

おっちゃんが築いた家族たちは、おっちゃんが自己破産したのを知らなかった。
ある日、競売を請け負った不動産業者がやってきて、彼らは億ションを追い出された。
家族は贅沢しか知らないマルチーズを抱えて、タワーマンションの高層から地べたのカビ臭いボロの借家に引っ越した。
おっちゃんは2つの裁判を抱えた。
離婚にあたっての養育費と慰謝料をめぐる裁判。
金融会社から借金返済を求める民事裁判。そして詐欺罪の立件。
自己破産者は本来、金融業者に借金返済の義務はない。
でも、おっちゃんは自己破産直後、その情報が金融業者に行き渡るその前に、街中のヤミ金を駆けずり回り、借りれるだけの金を借りまくったのだ。
その額およそ1600万円。
しばらくしてほとぼりが冷めた頃、おっちゃんはそのお金を使って千葉県の中途半端な繁華街でバーを始めた。
「昔からBarを経営するのが夢でさ。この俺のトークとセンスで常連がすぐにつくと思うんだ」
だけど、しばらくぶりに電話があって私が行ってみると、バーには客が一人もいなかった。
中途半端な大きさの水槽にグッピーが1匹泳いでいるだけだった。
「本当はもっといたんだけどさ。けいこちゃん、なかなか来ないから」
おっちゃんは言った。
やたら長いカウンターに埋め込まれた青いネオン管が、おっちゃんの顔をライトアップしていた。
おっちゃんはカクテルBOOKを見ながら、私にカクテルを作ってくれた。
カウンターの上には空になった色んな形のグラスがいくつも並んで、私とおっちゃんはカウンターを挟んでむっつりと黙り込んでいた。
トイレに立つ私を呼び止めて、おっちゃんはシャンパングラスを差し出した。
「やっぱり、けいこちゃんのおしっこを飲むとパワーが出るなあ。明日からは何もかもうまく行く気がするよ」
そう言って私のおしっこを飲み干した翌々日、おっちゃんは店を捨て、取り立て屋から逃れるためにアパートの窓から抜け出して、ホームレスに転身した。
それから5年間、おっちゃんは音信不通になった。

「まあ、でも何とか生きてるよ」
目の前に座ったおっちゃんは言った。
私たちは犬小屋のようなしけた定食屋で昼間から呑んでいた。
「家は本当にないの?」
「ないさ。だってホームレスだもの」
おっちゃんは面白そうに言った。
だけど、おっちゃんは私が想像した姿とは全然違っていた。
「もっとダメになっているかと思ったのに」
私はがっかりして言った。
「けいこちゃんの想像したホームレスはあれだろ?こう髪が伸びきってもつれて、髭面で、服もボロボロでプンプン臭ってきそうなやつだろ?バカだなあ。そこまでいったら、本当に人生おしまいだよ。ホームレスと言えども、いつも清潔にしてないとね」
そう言うおっちゃんは、ユニクロの黒いダウンジャケットにジーンズ、それに黒いニット帽という格好だった。
私だってユニクロのコートなのに。
私はバルタン星人みたいな変な切り込みの入った茶色いダウンコートが死ぬほど嫌いなのだ。
「でも、たまに残飯を漁ったりするんでしょ?」
私は期待を持って聞いた。
「そうだな、最初の頃はそんなこともあったかな。でも、最近はないな」
おっちゃんはある私立の小学校の警備員の仕事にありついていた。
おっちゃんはマックか漫画喫茶で夜を明かし、コインロッカーに詰め込んだ制服に着替えて髪に櫛を入れ、お金持ちの頃からお気に入りだった香りのボディコロンを振りかけて、毎日出勤しているのだと言った。
おっちゃんはぐびぐびと熱燗を飲んだ。
「けいこちゃんは全然変わらないね。相変らずきれいだ」
おっちゃんはちらりと私を上目づかいで見て言った。
私のおごりだと思って、卵焼きと目玉焼きと野菜炒めとハムカツとモツ煮とマグロぶつと焼き鳥とイカ焼きとおでんとポテトサラダと親子丼を頼んだくせに、おっちゃんはもう私のおしっこを飲みたいとは言わなかった。
 
次の日、私はおっちゃんが働いているという小学校に行ってみた。
正門の近くの守衛小屋の前に立って、制服姿のおっちゃんは登校してくる子供たちににこやかに挨拶をしていた。
中にはおっちゃんにハイタッチを求めてくる子供もいた。なついているのだ。
おっちゃんに気づかれないように、私はその場を立ち去った。
その次の日、おっちゃんはその学校をクビになった。
私がおっちゃんはホームレスであることを密告したからだ。
次に会った時、おっちゃんはずいぶん消耗して疲れているみたいだった。
「まいったよ」おっちゃんは言った。
「また自分で会社を作ればいいのに」私は言った。
「今の俺にそんな力はないよ」
私はおっちゃんから預かった隠し金を使ってしまった。だって、5年後に現れると思っていなかったから。
そのことについて、おっちゃんは怒らなかった。
「仕方ないな」とただ言っただけだった。
定食屋の支払いを済ませると、私は財布から三千円を出しておっちゃんにあげた。
外はすっかり夜で、氷のような冷たい風が吹いていた。
私はユニクロのダウンコートのファスナーをあごまで引き上げた。
「ねえ、こんな夜はどこで眠るの?」
「そうだな。この金で漫画喫茶って手もあるけど、まだ次の仕事のめどもついていないし、やっぱり100円マックかな」
「でも朝になったらどうするの?やっぱりお金はないままじゃない」
「けいこちゃん、日本って国は日が昇りさえすればどうにでもなる国なんだ。図書館で寝たっていいし、ホテルのロビー、デパート、その他にも公共で温かい場所なんていくらでもある。身ぎれいな格好さえしていればね」
「わかったわ」
私はおっちゃんに「さよなら」と言って電車に乗り込んだ。
車窓からいくつも川を眺めて、私は2時間かけて自分の住む町に帰ってきた。
私は駅からの道を白い息を吐き出きながら急いだ。
かじかむ手で鍵を鍵穴に差し込むと、ドアの向こうで暴力夫が待っていた。
「ごめんなさい。遅くなっちゃって。遠かったから」
「よお。おかえり。おっちゃんはどうだった?」
「別に。まだ元気だった」慎重に言葉を選んで私は言う。
夫はおっちゃんの話が気に入っている。
昔はお金持ちで、私が愛人だったっていうところが気に入っている。
もちろん、今、ホームレスで落ちぶれているというところも。
「おっちゃんにご馳走してやったのか」
「うん」
「今日は幾ら使ったんだ?」
私は財布に入っているお金をテーブルの上に並べていく。
「この間と同じ定食屋か?」
「うん」
夫は自分がどこでキレるべきか思案しながら会話を楽しんでいる。
「何だ計算が合わないじゃないか」
夫は定食屋のレシートと残ったお金を見比べながら言う。
私はおっちゃんのところに行くのに電車賃がかかることを説明する。
「それだけか?」
夫は念を押す。
私はチビリそうになりながら、おっちゃんにお金を貸したことを告白する。
「貸したのか?あげたんじゃないんだな?」
私は何度も頷きながら、覚悟を決めて目をつぶる。
だけど、何も起こらなかった。
「ふん」
夫は立ち上がると、部屋の電気を消して寝室へ行ってしまった。
暗闇の中で不気味な沈黙が私を包んだ。
私は暖房の切れた部屋で寒さに凍えながらソファにうずくまって眠った。
ホームレスのように。

夫と知り合った時、彼は羽振りのいい証券マンだった。
私は怖いほどに彼に惚れられた。
若かった私はおっちゃんを引き合いに出した。
私にはお金持ちで、大人で、何でも願いを叶えてくれる愛人がいるのだと。
夫はそれに負けじと私に貢いできた。
おっちゃんという船が転覆しかけた頃、私は彼と結婚をした。
私はいい気になっていた。
これでこの先の生活も保障されたのだと。
腕利きの証券マン。
私に言いなりの夫。
何不自由ない生活。
だけど、それは幻想だった。
夫はギャンブル狂いで多額の借金があった。
そして結婚をすると私に暴力を振るうようになった。
なのに私は夫との生活にしがみついてしまった。
美しく自信に溢れていた私は、年を取ってみると何の価値もないただの肉袋に過ぎないのだ。
そう夫が教えてくれたのだ。
 
私は週に4日、ビルの清掃のパートをしている。
薄ぼけた緑色の制服を着て、長い髪をゴムで一つにまとめて働いている。
ズボンの丈は私に合っていない。私は長身で足が長いからだ。
もう少しましな仕事もあったのに、夫はこの仕事しか許してくれなかった。
8万円の給料のうち、1万円だけ自由に使うことが許されている。
私はそれで昼のパンを買ったり、生理用品を買ったり、宝くじを買ったりする。
おっちゃんに会う時のお金は、夫から支給される。
その代わり、行動をすべて報告する。
夫は落ちぶれた私たちを管理することに喜びを感じているのだ。
でも、私にも秘密はある。
夫が出張や接待などで遅くなることがわかっている時、私は売春をする。
私の体はもう高くは売れない。
1万円ももらえれば十分だ。
私は体を売って得たお金を、古びた電話BOXの脇に穴を掘って隠している。
銀行に預けるなんて、そんな足のつくようなことはしない。
ある日行ってみたら、電話BOXが取り壊されて更地になっているんじゃないかって、私はいつも恐れている。
だけど、私はこの場所が気に入っている。
 
おっちゃんは私のことを一度も抱いたことがない。
彼は究極のオナニストなのだ。
40才のおっちゃんは、20才だった私を気に入った。
私は会員制のラウンジで長い足をひけらかしてバニーガールとして働いていた。
網タイツに包まれた私の足は美しかった。
胸の谷間で光るライター。
ふわふわとウェーブのかかった長い髪。
そしてハート型のお尻。
何もかも完璧だった。
おっちゃんはその対価として私にたくさんのお金をくれた。
私はヒールを履いたままベッドの上で頬杖を付いて、おっちゃんのオナニーを眺めた。
そのうち、おっちゃんは私を赤いロープでぐるぐる巻きにする。
それから三脚を立てて8ミリビデオをセットした。
ビデオには赤いロープでがんじがらめにされて、芋虫みたいに転がった私とその隣でオナニーをするおっちゃんが映っていた。
シャンパンを飲みながら私たちはビデオ鑑賞をした。
高層ホテルの窓からは、果てしなく続く街の夜景がきらきら輝いていた。
 
次に会った時、おっちゃんは息を吹き返していた。
「いやー。けいこちゃんがくれたお金で馬券を買ったら当たっちゃってね。千円が27万円になったんだ。やっぱり、けいこちゃんは俺の女神だな」
「あげたんじゃなくて貸したのよ」
私が言うと、おっちゃんは五千円札をくれた。
「けいこちゃん、今日は美味しいものを食べに行こう。お寿司だっていいよ。何がいい?」
「そんな無駄遣いしていいの?仕事もまだ決まっていないんでしょう?」
「けいこちゃんは真面目だなあ。こういう時に楽しまなくていつ楽しむの?」
「じゃあ、昔みたいにホテルのスイートを取ろうよ」
おっちゃんは驚いた顔をして、それから言った。
「まあ、ほどほどに楽しむのがいいんだよ」
おっちゃんは庶民的な寿司屋に私を連れて行った。
そして昔みたいに白身の魚から上品に注文していった。
おっちゃんは昔、人を騙すのが大好きだった。
「それを戦略というんだよ」おっちゃんは言った。
私は昔、堂々と嘘をつくおっちゃんが大嫌いだった。
でも、今は理解している。
あの頃の私は、潔癖なふりをして、おっちゃんに騙される人たちを見て喜んでいたのだ。
おっちゃんはモデル事務所を経営していた。
ちょっと綺麗な女の子に声をかけて、登録料として高いお金を取った。
女の子たちはおっちゃんの手下が撮る宣材写真の撮影にすっかりその気になっていた。
でも、おっちゃんは出版社や広告代理店に営業なんてしていなかった。
おっちゃんが紹介するオーディションの数々は全部、雑誌やテレビで公募しているものばかりだった。
おっちゃんは唾を付けて切手を貼り、その応募先に彼女たちの写真を送っていただけのことだ。
「けいこちゃん、どこにいようが成功する奴は成功する。しない奴はしない。そういうもんなんだ。チャンスは自分で掴まないと」
おっちゃんは仕事のない女の子に高級クラブや時には風俗、エロビデオの仕事まで紹介して、そのうち女の子を働かせるためのクラブを自分で作ってしまった。
「こんな人を落とし込めるようなことばかりして、良心が痛まないの?」
私は酔っ払うとよく、おっちゃんをそうやって責め立てた。
「けいこちゃんは心がきれいだからなあ。でも、お互い自分の得意分野で儲かれば、こんなにいいことはないと思わないか」おっちゃんは言った。
確かに。女の子たちは大金を儲けたし、おっちゃんを恨んでいた子もいなかったと思う。
「俺はけいこちゃんのガラスのような繊細さとナイフのような鋭さが好きなんだ。それに白い肌だ。けいこちゃんの肌は白く光り輝いている」
おっちゃんは8ミリビデオのファインダーを覗き込んでよくそう言った。
でも、なんていうことはない。
おっちゃんはカメラの露出度を最大にして、浅黒い私の肌の色を真っ白に吹き飛ばしただけのことだ。
だけど私は信じている。
おっちゃんは表面の肌の色なんかじゃなくて、もっともっと奥底に眠った私の純白な部分を見てくれているんだって。
もしも、私たちに肉体関係があったなら、20年間なんて長く付き合いは続かなかったかもしれない。
おっちゃんはほとんど私の体に触れなかった。
それでもおっちゃんは私を特別に扱ってくれた。
おっちゃんから言わせると、我々は最高に気が合う同士なのだそうだ。

「今日はいくら使ったんだ?」
私の財布を取り上げて、夫はいつものようにお金を数え始める。
私は黙ってテーブルの上に並べられていくお金を見つめていた。
「何だ、今日はぜんぜん使っていないじゃないか」
「うん。あのね、、」
私は子供のように、おっちゃんに寿司を奢ってもらったことを夫に報告する。
突然、私は目の上をげんこつで殴られた。
頭蓋骨が陥没したんじゃないかと思うほどの衝撃だった。
「寿司なんて喰いやがって」
「ホームレスにごちそうになったのか?」
「お前はコジキ以下か!」
夫が何度も拳を振り下ろす。
鼻の奥がつんとして私は鼻血を流す。
再び眉間にげんこつが飛んでくる。
夫は私の血を見るのが好きなのだ。
おかげで私の前歯はほとんどが差し歯だ。
夫がハアハアと息を切らしている。
運動不足の白ブタなのだ。
私はぼやけた視界の中でじっと夫を見つめ、彼の言葉を待つ。
「ホームレスのくせに金なんて持ちやがって。おっちゃんを探してる金融屋に居場所を教えてやんなきゃいけないな」
「そうね」
私は血の味がする口の中でつぶやいた。

(後編へ続く)

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