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私のものではなくなった日本語

去年の夏休み、4年ぶりに家族みんな台湾で集まることができた。

久しぶりに会えた日本に住む妹が、既に読み終えた数冊の日本語の本を持ってきてくれた。

その中の一冊、温又柔著作『私のものではない国で』。

著者より2歳年下の我が妹曰く、「すごく共感できた。」とのこと。

同じく在日台湾人として育った温さんが述べる、台湾にも日本にも属しない中途半端で曖昧なアイデンティティを持つ葛藤は、妹の気持ちを適切に描写しているという。

興味を注がれ、早速私も読み始めた。

が、カナダに戻ってきた後、忙しすぎて、8カ月後の今日やっと読み終えることができた。

最初からもう一度、今度は線を引きながら、感想をメモしながら読み直すつもりだが、とりあえず、巻末で考えさせられたことを綴ろうと思う。

温さんは、幼少期に日本に移民し、日本育ち、母語として話せるのは華語(台湾で話される中国語、日本で言われる「北京語」)ではなく日本語だが、日本国籍を持っていないため、外国人扱いをされる。

華語が話せない、日本で育った日本語ネイティブの台湾人。

なのに、日本語は自分のものではない。

私自身、長い間複雑な関係を保ってきた「自分のものではない言語」がいくつかあるため、「自分のものではない日本語」という温さんの一言が頭から離れず、考えさせられるものを感じるのだ。

その複雑な関係は、北米在住30年を迎える今年、さらに複雑されたと最近つくづく思わされる。

台湾語、華語、日本語に、今度は英語も加わって、どの言語も自分の言葉のようであって、自分の言葉ではない。

どの言語が自分のものなのだろうか?

よく悩まされる問題である。が、どんなに頑張って考えても答えがない問題でもある。

言葉によってレベルは異なるものの、一応どの言葉ででもコミュニケーションを取ることはでき、読み書き (特に読むこと)も問題はないが、どの言語も自分のものとは思えないのだ。

高校までは、温さんと同じく、日本語を母語のように駆使できたが、北米在住30年後の今、私の日本語のレベルは小学生レベルではないかと思う。

書くことが好きな私だが、いつも何語で綴るかで迷ってしまう。
いや、「困ってしまう」と言った方が適切かもしれない。

かつては自由自在に操れることができた日本語が、「自分のもの」のように思えなくなったとき、言葉にはできない悲しみが込み上げてきたのを覚えている。

その悲しみは、今も消えることなく心の奥底に潜んでいる。

悲しいと思うのは、自分の中にある「日本」というアイデンティティの一部が薄れていき、やがては消えてしまうのではないかという恐怖に似たものを感じたからではないかと思う。

今の私は、「しいて言うなら『流暢な日本語が話せる外国人』」と言われたことがあるが、無視できないこの現実にショックを受ける自分がいた。

こうして、下手でも、変でも、違和感があっても、日本語で綴ろうと思うのは、自分の中にある「日本」というアイデンティティを失いたくないからという思いもあってのこと。

人生の後半をどのように過ごすかと真剣に考え始めて、自分のことが少しずつ分かり始めた。

ただただ流される毎日を送っていたころは、考える余裕も感じる余裕もなかったが、こうして生活のペースを落としてみて初めて見えてくるものがたくさんある。

『私のものではない国で』を読んで、まだまだシェアしたい感想はたくさんあるが、それは今後少しずつ書いていこうと思う。

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