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#13 あの日の教室で 〜しあわせとメンタルヘルス〜

みなさんは「先生」と聞いて、何を思い浮かべますか? 授業、部活、テスト、褒められた、叱られた、反発、心の支え……今日は二人目のゲストに元小学校の先生をお迎えして、メンタルヘルス(心の健康)について考えます。
 三人で一時間半の対話をしたのですが、あと15分! となった時に、思いもよらない気づきがありました。最後までお読みいただけると嬉しいです。導入部分はメンバーとゲストによるトークでお届けします。再生ボタンを押してぜひ放送をお聴きください✨


〜 以下の記事は、上の stand.fm 放送の続きです 〜

二人目のゲストは、元小学校の先生!


「しあわせ探求庁」二人目のゲストは、愛知県出身で現在はウェブマーケターになるべく勉強中の鈴木彩音あやねさんです。今年3月まで北海道で小学校の先生をなさっていました。彩音さんは「あやね」のアカウントネームの note で発信してらっしゃいます。こちらもどうぞご覧ください。

元教師の二人の共通点とは?


彩音さんと透さんの共通点は、教師を辞めた理由の一部が「精神的に調子を崩してしまったこと」だったんですね。とてもセンシティブな話題だとは思いますが、彩音さんと透さんの経験を少し聞かせていただきたいです。
 しあわせにとって、心の健康は重要な要素だと思いますが、どうしても抽象的な内容になりがちなので、実際の二人の体験談からスタートするのはどうですか?

いいアイディアですね。今日の対話が初対面で、いきなり自分の体調や退職理由の話って、少し重い話題ですよね。ここは、年長者の責任ではないですが、僕から始めますね。

大学、大学院在学時から塾で英語を教えていて、それがとにかく楽しくて、夢中で英語教師になりました。毎日夜中まで授業準備をしたり答案を採点したりして大変でしたが、それでも楽しかったです。
 しかし、勤務6年目に体に異変が出ました。最初は眠れない、食欲がない、仕事以外で好きなことにあまり興味が持てなくなった、という典型的な「抑うつ状態」でした。心療内科を受診し、カウンセラーとのセッションも開始して、治療を受けながら勤務を続けました。

私の場合は、調子を崩すまでの流れが透さんと少し違っていました。透さんは中高の先生なので、大学入学後に「教職に興味がある」って思って教員免許を取ったんですよね。私の場合は小学校なので、最初から教育学部へ行く必要がありました。
 高校生の頃から、「小学校の先生になりたい」と思って行ったわけですが、勉強していく中で、教職のハードさとブラックさについて聞くことが多くなりました。同期の仲間にも、途中で教職をやめてそれ以外の道へ切り替えていく人がかなりいました。その頃から、「私本当に先生になるのかな、なりたいのかな」という疑問の芽があった感じですね。

そうだったんですね。教職は精神疾患を抱える人の割合が多い職種として知られていますね。あと、少し調べたんですけど、時間に比例した残業代を払わなくていい珍しい職種でもあります。「教職調整額」(調整手当)として一定額が支払われている反面、自宅での教材研究や採点、放課後の業務などが全部そこに含まれていて、長時間労働を生みやすい理由の一つではないかと思います。

自分の気持ちに気づいた教育実習


そうですね……「私本当に先生になるのかな、なりたいのかな」という疑問が大きくなって、自分では認めたくないながらもその疑問への答えはノーだと分かったのは、大学4年生の時に教職課程の仕上げとして教育実習へ行った時でした。実習は3週間で、実際に先生として働いている先輩方の現実の姿を見ました。

僕も教育実習の2週間のことは、昨日のことのように覚えています。僕の場合は大学の附属高校で実習をしたので、彩音さんの場合とは少し雰囲気が違っていたかもしれません。先輩方の現実の姿は、どんな感じでしたか?

朝7時には職員室にいて、夜7時を過ぎても学校にいました。小学校では昼食時間は休憩時間ではなく「給食指導」の時間として位置付けられていて、配膳などを含めた教育活動の一環です。実際には教員は10分くらいで急いで食べて午後の授業をする感じなので、実質上朝7時から休憩なしで12時間以上働いている、というのが現実でした。思えば、その頃にはすでに、「プライベートもやりたいことも全部犠牲にして先生になるのは無理だ」と認識していました。

そして迎えた教員採用試験


教育実習は大体6〜7月で、その後夏休みに教員採用試験がありますよね。実習でそんな現実を見て、自分の気持ちにも気づいて、その後はどうしたんですか?

実習が終わった2日後が教員採用試験でした。「私本当に先生になるのかな、なりたいのかな」という疑問への自分の本心は、心の奥では分かっていましたが、でも「小学校の先生になりたい」って思っていたのも事実で、大学ではそのために4年間頑張ってきたわけです。そこで辞退することなんてとても考えられず、2日後の採用試験を受けて無事合格しました。

私は、つい先月故郷の和歌山から東京へ出てきたんですけど、引っ越す前に友人が、「しんどくなったらいつでも帰ってきたらいいと思うよ。何かを目指して頑張ってきた人ほど、ここしかないと思って辞めたら人生終わるって考えるからなぁ」って言っていました。
 小さい頃から優秀な学校に行き、誰もが羨むような会社に入社したり、努力して夢を叶えたりしている人ほど、今まで頑張ってきた過去や応援してくれた人がいるからという圧力を自分自身にかけているんだろうなと思います。
 彩音さんの場合も、小学校の先生になりたいと最初に思ったころから、教育学部を出るまでの自分の努力や日々の存在が大きかったんでしょうね。

正直だった自分の身体


そうかもしれません。その後、昨年4月1日付けで希望通り北海道の小学校の先生として赴任し、4月末には体が言うことを聞かなくなりました。朝起きられない、学校に行けない、ただ涙が出る……自分の奥の方の声はやっぱり正しくて、一ヶ月も持ちませんでした。ゴールデンウィークで少し調子を持ち直して5月を乗り越え、ちょうどその頃に note を始めました。

彩音さんと僕が note のコメント欄でやりとりを始めた頃ですね。あの頃は、心配しましたよ……でも辛い気持ちを note の記事で発信してくれていたから、知り合うことができました。その後、6月から7月半ばにかけてが学校は一番忙しい時期だと思いますが、どう過ごしたんですか?

6月初めに病院を受診して、適応障害の診断を受けました。まずは一ヶ月半の休職ということになり、ひたすら休んで回復を待つ生活が始まりました。このあたりで、最初の透さんの話に追いつきました。少しバトンタッチで、透さんは病院とカウンセラーにかかってそのまま勤務を続けられた後、どうなったんですか?

では僕の話に戻りますね。ちょうどよく1学期が終わるタイミングだったので、夏休みの日直や行事の引率を外してもらって夏の間療養して、9月の2学期からどうにか仕事に戻りました。秋の修学旅行に向けてせっせと準備を始めたのを覚えています。そしてある日校長先生に呼ばれ、「もう無理そうだから、修学旅行には行かずに休職して療養するように」と言われました。その後、約3ヶ月間休職して、彩音さんと同じくひたすら休んで回復を待つ生活に入りました。

はじめの一歩


その後、彩音さんも透さんも無事復職して学校に戻って、でもその半年ほど後に退職なさってるんですよね。退職後、彩音さんはウェブマーケティングの世界へ、透さんは音楽業界へと、教職とは違う業界へ進まれているのも同じです。何かここでお二人に共通して起きた出来事があるような気がするのですが。お二人の異業種転職の顛末は、こちらの記事に詳しく書いてくださっていましたね。

休職に入って最初の3、4ヶ月は、今後どうするかとか、自分が本当は何をしたいとか、そんなことを考える余裕は全くありませんでした。ただただ休んでいた感じです。それが、「私はどういう環境にいる時に、心地よく思えるのだろう?」と「自分の心地よさ」について考え始めた瞬間がある時急にポンと来たんです。
 私はバイクであちこちツーリングして回るのが好きで、「場所にしばられない働き方をしたい」というのが自分の中心にあることに気づいたんです。学校の教員とは全く違う方向性でした。透さんはどうでしたか?

とても似ています。この話になるといつも同じ話を出すんですけど、作家の村上春樹さんは、野球観戦中、ある選手がヒットを打った瞬間にいきなり、「小説を書いてみよう」と思い立ったそうです。僕も同じような感じで、ある日いきなり「英語を使って何より好きな音楽の仕事をしよう」って思いついたんです。
 彩音さんの「心地よさ」と同じで、それまでの自分に掛け算をして何かが大きくなったわけではなく、ゼロだったところにポンと次のステップが置かれた感じです。彩音さんも僕も、そのおかげで次の一歩を踏み出すことができて、今に至るっていうわけですね。

透さんはその後大学院へ入って AI の道に進み、今はオランダで研究をなさっていて、私もウェブマーケターになるべくオンラインスクールへ通って、毎日充実した日々を送っています。
 お互い、病気ということではなく、自分の中の本当の声を無視してきたのが、「無視するなよ〜ちゃんと聞けよ〜」って自分の心が身体を使って訴えてきた感じですね。透さん、note の記事でも「教師時代は本当は好きな音楽を見ないフリをしてきた」って書いてらっしゃいましたもんね。

でも周囲を見ていると、精神疾患を経験した全員が我々のようにある瞬間、「ポンと何かがやってきて」新しい道に進めるわけではないようです。休職を経て退職し、社会復帰することなく長年を過ごしてしまう人もいるわけですが、この違いはどこから来るのでしょうか?

ちょっと待って……


ん〜、復帰できる人とできない人の違いが何なのか、それを考えることも大事ですが、なんだかそもそも、透さんの質問に少し違和感を感じます。今の話の流れって、「社会復帰して活躍することが正しい」っていう前提に基づいていませんか? 今日の対話は、休職を経て退職して、その後新しい人生に踏み出したお二人の話だけを聞いているわけなので、そうではなかった人が実際どうかは、分からないですよね……

確かに、みんなに見える形で社会で活躍している人を「正しい」、そうではない人を「よくない」と無意識に決めつけてしまっていることで、逆に今休職して仕事をしていない人をより追い詰めている部分があるのかもしれませんね。
 いろんな仕事をして社会を回すことはもちろん必要ですが、その社会のメンバーには、仕事ができず療養している人も含まれています。かつての透さんや私のように。しあわせやウェルビーイングの観点では、その片方を「正しい」と考えて、「療養中の人は社会復帰に向けて頑張るべきだ」と決めつけてしまうのは、適切ではないかもしれませんね。

大切な気づきですね。似た経歴の彩音さんと僕の二人では気付けないことでした。つい、「我々はあの闇からうまく抜け出せた。何が勝因だったのだろう」って思いがちですが、自分たちが正しいと独善的になりすぎていました。
 知り合いに、中高時代日本では学校に行けず、文化の違うアメリカの大学に直接進学して、その後帰国して、現在は研究者として活躍されている方がいます。「学校に行けない」ことを悪とせずそれはそれでその人の特性として捉えて別の方法を考えて、それがその方のしあわせに繋がったようでした。

『ショーシャンクの空に』っていう映画、観たことありますか? その映画では長年、刑務所に入っていた主人公の友人が、外の世界に出た途端、自死してしまうシーンがあるんです。私たちのように、元々外にいる人間から見れば、釈放されることが幸せなことだと疑いませんが、その人にとっては、刑務所にいる生活の中で、彼にとっての幸せや生き方を見つけて過ごしていたということです。

社会の一員として考えることは一度置いておいて、一人の人間として考えた時、「精神疾患を克服して病院を出て、社会に戻るべき」だと第三者が言うのが、一概にいいかどうかはわからない気がします。そして、そんな考えが当たり前とされているから尚更、精神疾患を患った本人がそれを受け入れられず、より苦しむんじゃないかなと思います。

学校にいると、「先生は健康で元気でいなければいけない」「いつもニコニコしていなければいけない」っていう感覚が、誰に言われたわけでもないのにありました。それって、きっと今美織さんが言った、「精神疾患を克服して病院を出て、社会に戻るべき」という決めつけがあるからかもしれません。
 日本では30人に一人は精神疾患を抱えているわけですから、「まあそういう時期もあるよ」「療養してる人も社会の一員だよ」って、本人も周囲も「別に大したことじゃない」って思えれば、もっと生きやすくなるのかもしれませんね。

ジャッジしない心のゆとり


幸福度調査の結果を説明する要素の一つに、「文化の寛容さ」がありますが、関係が深そうですね。何か一つの状態を「正しい」と決めて、そうではない人や状態を変えようとする発想が本当にしあわせにつながるのかどうか、考え直してみたいですね。戦争や貧困、差別は明確に「ない方がいい」と言えると思いますが、ほとんどのことは、「この状態がいい」とは決められないのかもしれません。

一番辛かった時に note を始めて、透さんと出会って、その後復職して、でもやっぱり無理で退職して、今日この場に呼んでもらって、今後思っているようにウェブマーケターになれるとかなれないとかそういう基準ではなく、ただそういう「縁」に囲まれて生きていることをとてもしあわせに感じます。

目の前の事実を、「これは最高だ!」とも「これは最悪だ!」とも決めつけず、言い換えれば今の状態をジャッジせずに……特定の価値観で判断してしまわずに、まずはありのまま受け取って、そんな時間も大切にするっていうことは、しあわせにつながる一歩になるような気がします。

私が適応障害と診断を受けた際に、病院の先生が、「自分にとって心を満たせることは何ですか?それがあなたのしあわせな人生につながっていくからね」と教えてくれました。
 私にとって「心を満たせること」は、朝晴れていたら嬉しい、今日はたっぷり眠れた、コメダ珈琲のモーニングが美味しい、といった些細な日常の連続であったと気づきました。
 これだけ聞くと「そんなの普通すぎるし、もっと楽しいことあるでしょ?」と思う人も多いかもしれません。でも、同じ日常を送っていても、ありのままの日常を大切にできる人とそうでない人がいるなら、きっと前者の方がしあわせにつながっていくと感じました。
 周囲の価値観のジャッジに惑わされず、ただ今の自分が「心地いい」と思えることに身を任せていくことも、しあわせにつながる一歩かもしれませんね。

今の話を聞いて、美織さんの友人の言葉を思い出します。彩音さんも僕も、教職を離れた時は「このためにずっと頑張ってきたのに」っていう思いが強かったと思いますが、それを「これは最悪だ!」と決めつけずにその後歩いてきて、今は日々しあわせを感じています。僕の場合は、体調を崩して教職を離れざるを得なくなったことが、自分の人生でとてもラッキーな出来事だったと今では感じています。

私も、辛かったけど学んだことの方が多く、今はこれでよかったと思える1年間でした。今日の対話、多くの気付きがありました。年末には透さんも日本に戻ってきて、「しあわせ探求庁」オフ会やるんですよね? ぜひ実際にお会いして今日のことを思い出しながら、しあわせについて、さらに半年分成長した自分で話してみたいです。

「 今ここで、しあわせを繋ぐ意味がある」〜 しあわせ探求庁でした✨
 また来週水曜日にお会いしましょう!
(2024年7月10日)

しあわせ探求庁|Shiawase Agency
  日本支部:成江 美織
  (miori @しあわせの探究
オランダ支部:佐々木 透
  (ささきとおる🇳🇱50歳からの海外博士挑戦
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