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ネガティブな「ない」話に付き合うな!:「ない」は「ない」が増えるだけ!?

こんにちは。天道です。
今回は、ネガティブな「ない」話には付き合うなというお話です。

下のリンク記事と関連していますので、併せてお読みいただけるとわかりやすいと思います。

「ない」話のオンパレード

挨拶代わりの天気の話。
それはそれでいいのですが。

聞いていると、たいていの人は「文句」なんですよね。
やれ暑いの寒いの雨は嫌だの。

それに続いて、やれ歳だの(若い方は除外ですが。笑)。
身体のあそこがどうの、ここがどうの。

これもたいていは身体や健康状態に対する「文句」です。

天気、身体、健康、お金、人間関係、家族関係・・・

「文句」は、「ない」という欠乏や喪失の意識からやってきます。

天気が良くない、身体の不調、お金がない、人間関係や家族関係に関する愚痴や不満・・・。

もう、「ない、ない」づくしのオンパレードだったりします。

この人は、よっぽど「ない」が好きなんだなあ、と(笑)。

私はこの手の話には一切付き合いません。
たいていは、ただ笑って返事に代えるだけです。

「あはは」みたく笑っていると、相手も「この人に言っても通じないらしい」と、たいていあきらめてくれるので、助かります(笑)。

天気に関しては、「晴れてよし、曇りてもよし(※)」だし、雨もよし、と私は思っていますから、それぞれの天気を楽しめます。
※ 晴れてよし 曇りてもよし 富士の山 もとの姿は かわらざりけり(山岡鉄舟の言葉です)

「ない」話に付き合わない理由

付き合わない理由は、「ない」話って、ちっとも面白くないからです。

そして、「ない」話に付き合っていると、こっちまで「ない」になってしまうからです。

要は、「ない」を刷り込まれるだけで、何ら建設的な方向にはいかないからです。

こうした「ないバナ」をする人たちは、結局「同意」がほしいだけなんですね。
要は「自己承認欲求」なわけです。

相手も「ない」ことを確認することで、「ない」自分を安堵させたいということもあるでしょうし、ことによると、相手より優位に立ちたい、という欲求あってのことかもしれません。

「宿題やった?」
「いや、寝ちゃった」
「私もー♪」
のような会話と同じかもしれませんね。

同意が欲しいという欲求にあなたを付き合わそうとしているだけなんですよね。

同意が欲しいという気持ちは私も経験してきましたから、よくわかるのですが。

ですが、自己肯定感や自己承認感に満たされている人は、「ない」話で盛り上がるようなことはしません

ここでもう、たとえば成功者とそうじゃない人の違いが出てしまったりもします。

成功することだけが人生ではないですが、では、幸せな人とそうじゃない人、としておきましょうか。

「ある」には「ある」が、「ない」には「ない」がやってくる

幸せなら、そりゃ「ない」話はしないだろう、ですか?
そうじゃないんですよね。

幸せは、「ある」意識の結果なんです。
幸せだから「ある」のでなく、「ある」意識の結果が幸せなのです。

そうした「ない」話をする人たちは、その「ない」が全部自分に返ってくるということに気づいてないんですよね。

これはもう、「ない」には「ない」がやってくる、というのが原則ですからね。

逆に、「ある」には「ある」がやってくるのも原則です。

「ない」話をする人たちは、その「ない」話で、自分の「ない」がさらに上塗りされていくことにも気づいてません。

自分の「ない」に意識がフォーカスしている「あり方」が「ない」を呼ぶのを見て、「ほら、やっぱり」とばかりに「やっぱり、ない」という意識を上塗りしていくのですね。

結果、さらに「ない」が起きるようになる。
結果、さらに「やっぱり、ない」という意識が上塗りされていく。

やがてはそれが「確信」に変わっていくわけです。

こうなると、もうその人の周りには「やっぱり、ない」ことしか起きなくなっていきます。

「『やっぱり、ない』しか起きない状況」は、自分の「あり方」の結果なのですね。

だから、誰のせいでもありません。

誰が悪いの話でなく、「ない」は自分の中にあって、それが「やっぱり、ない」という現実を実現させていることに気づくことが大事なのです。

どっちがいいですか?

欠乏・喪失の意識は、欠乏・喪失の現実を増やすだけです。

嘘だと思ったらやってみればいいのですが、結果を想像するだけにとどめた方が無難です。

やがて鬱になり、自ら命を絶つことにすらなりかねません。
実際に、私は鬱になったし、自ら命を絶つ寸前までいきましたから。

言葉は大事です。

よく言われるのは「言霊論」ですが、それを抜きにしても、言葉で相手を傷つける人と、愛ある言葉で相手を包む人では、どちらが豊かさに恵まれる可能性が高いと思いますか?

乏しさには乏しさが、豊かさには豊かさがやってくるのが原則です。

これは、損得勘定の話でなく、です。

「ない」意識ならば、行動はそれを前提としたものになります。
「ある」意識ならば、行動はそれを前提としたものになります。


「結果」が違って当然ではないですか?

「ない」には「ない」がやってくるし、「ある」には「ある」がやってくるとしたら。

「ない」は「ない」が増えるし、「ある」は「ある」が増えるとしたら。

どっちがいいですか?

「つい」は、本気度の話

このような話をすると、「いや、頭ではわかってるんですが、つい・・・」という方がいます。

それはもう、「本気度」のお話だと思います。

成功したいのかしたくないのか、あるいは、幸せになりたいのかなりたくないのかの話ではないでしょうか。

本気な人に「つい」はないと思います。
たとえ「つい」が出たとしても、何度でもやっていけばいい話なのです。

そこに自己否定も要りません。
自分を責める必要もありません。

自分はどっちへ行きたいのか。
そして本気度。

このふたつだけあれば、「つい」はやがてなくなっていくはずです。
「つい」が出るのは、そこまで「やっていない」だけなのです。

ですので、やりたければやればいいだけなのです。

「できる・できない」でもありません。
「やりたいのか・やりたくないのか」だけです。

まとめ

  • 「ない」意識は「ない」が実現する

  • 「ある」意識は「ある」が実現する

  • 「つい」は本気度の話





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