おばあちゃんを死なせてしまった

土曜日の朝、電話のバイブレーションの音で目が覚めた。「げ、仕事かな」と思いつつ画面を見ると、母からだった。

「なにー?」
寝ぼけたままで電話に出た。

「LINE、見た?」
「見てない、なに?」
「今朝おばあちゃんが亡くなったの」

「…え」

しばらく何も話せなくなった。私の両親は父方の祖母と同居している。おばあちゃんは89歳と高齢ではあるが持病もなく、頭もしっかりしていて全くもって若々しかった。施設に入ることも、デイサービスに通うこともなく、(膝が悪くほとんど歩けなかったが)元気にしている。そんなおばあちゃんが突然亡くなるなんて理解ができなかった。

「聞こえてる?」
「…どうして?何があったの?」
「おとといの夜から熱が出て、昨日は動けなかったの。今朝覗きにいったらもう息していなかった。」
「なんで救急車呼ばなかったの?」
「それがとても悔やまれるわ。」

おばあちゃん。私の大切な可愛いおばあちゃん。突然いなくなってしまった。嘘だよね?これ、ドッキリか何かだよね??そうであってください。

「息を引き取ったのが病院ではなく自宅だったから、死亡診断書を書けないんだって。それで警察の方が朝から来て…………コロナかもしれないから……………」

母は何やら話していたが全く耳に入らなかった。私はついに泣き喚いた。

「おばあちゃん、ごめんね、許して、ごめんなさい、ごめんなさい。」

なぜ、こんな言葉が喉をついたのか。それはおばあちゃんに対して、実は後ろめたさを感じていたからだ。

3週間前。私は実家に帰ってきていた。おばあちゃんの部屋へ行くと、いつものおばあちゃんとはどこか様子が違っていた。

「コロナのワクチンを打ってから微熱が続くの。おばあちゃんもう来年90になるでしょ。先が長くないと思うのよねえ。この前、遺書も書いたの。」

私は、少し体調を崩して気を弱くしているだけだと思った。

「大丈夫だよ、そんなこと言わないで!」

と、取り合わなかった。

…しかし、それが大丈夫ではなかったのだ。あれは私に向けた最後のSOSだった。あの時私が両親に「おばあちゃんがおかしい」「病院に連れて行こう」と言っていたら。きっとこんなことにはなっていなかった。少なくとも最後を見送ることはできたはずだ。

母に話した。
「確かにこの前帰省した時おばあちゃん変だなって思ったんだよ。遺書も書いたなんて言っ…」

すると、母はヒステリックに
「そんなこと言ったの!どこにあるの!聞いてない!!」
と喚いた。

「聞いてないの?てっきりパパとママにも言ってるのかと思って二人には話さなかった。」

たまに帰省してくる私に話すことなんて、一緒に暮らす両親にはとっくに伝えているものだと思っていた。両親の方が先に「おばあちゃんおかしい」を把握していたと思い込んでいた。

母は嘆いた。
「そうなの。ああ、もうママのこと信用してなかったのね。」

「そんなことないと思うけど。」

母の卑屈にも聞こえる言葉を私は否定した。これは本音だった。私が実家を離れて以降、おばあちゃんは私に高い頻度で葉書を送ってくれていた(この葉書に書かれた文字が達筆で細かく乱れのないものだったので、まだまだ元気だという安心材料でもあった)。葉書には毎回、家族みんなに感謝していることが書かれていた。だから母のことを信用していないなんてことはないと思った。

私は病院へ向かった。おばあちゃんは死亡診断書を書いてもらうために葬儀社の車で病院へ運ばれたのだ(お棺を載せる車って普通の白いワゴン車なんだ、と思った)。警察の方も合流した(刑事さんってジーパン履いてるんだ、と思った)。そして、かかりつけのお医者さんに駆けつけてもらった(お医者さんという職業は大変だな、と思った)。

おばあちゃんのお顔を見られることを期待していたが、真っ白なお棺しか見せてもらえなかった。どんよりとした雨雲と、休診日の薄暗い待合室が、悲しみに拍車をかけた。

死亡診断書には死因は肺炎心不全と書かれた。これはいわば老衰のことだ。頭がしっかりとしていても老衰はするらしい。

父は葬儀社の方へ何度か
「通帳が見つからなくて。」
と話していた。

おばあちゃんはそのまま葬儀社へ行ってしまった。お葬式までそこにいてもらうことになった。

私たちは実家へ帰ると、通帳の捜索を始めた。私は遺書を見つければ所在が記してあると思った。おばあちゃんが遺書を書いたと私に話した時、確か神棚のあたりを指していた。しかし、残念ながら神棚にはそれらしきものは残されていなかった。(遺書は後日、別の場所から発見されました。通帳については何も書かれていませんでした。)

そうなると、おばあちゃんが仕舞いそうな場所を探すしかない。もともと片付けられない性質だったのに加え、足が悪かったこともあり、おばあちゃんの部屋はほとんどゴミ屋敷だった。実は、おばあちゃんの部屋の中へしっかり入ったのはおそらく5年ぶりくらいだった。ゆっくりと部屋の中を見渡してみると、私が映っている写真が3枚飾ってあった。私は「昔『おばあちゃん、あなたは優しくない子だって』ってママが言ってたからおばあちゃん私のことそんなに好きじゃないのかと思ってたけど、実はこんなに気にかけてくれていたんだなあ」としんみりした気持ちになり涙を流しつつ、埃やら古い薬やらチラシやらを掻き分けながら、箪笥、バッグ、食器棚、冷蔵庫の中まで探し回った。

その中で、通帳ではなく手帳があちらこちらから出てきた。開いてみると日記になっていた。古いものだと1979年のものまで見つかった。「〇〇へハガキ出す」「●●に会いに行く」「ブラウス1万7000円」「一日中家で過ごす」なんて日常のことが毎日しっかり書かれていた。

「2021年」

今年の手帳を見つけた。一番新しいページをめくると、やはりここ10日ほど、かなりしんどかったのか、今まで毎日書かれていた日記が、3日に1度ほどの頻度になっていた。

前へページをめくった。発熱、食欲がない、などの体調不良を訴える言葉の中に、感情を示す言葉があった。さらに前へ、前へと読み進めた。私はおばあちゃんの気持ちを初めて知ってまた涙が溢れ出た。

私とおばあちゃんは同じことで悩んでいた。

『孤独』だ。

おばあちゃんはおしゃべりで、テレビの音が全てかき消されるくらい通る声で、嘘みたいに人のことを褒めるし、25年前に亡くなったおじいちゃんのことをずっと大好きと話していた。近所の野良猫には1匹1匹名前をつけるほどの動物好きで、大量の化粧品を通販で買い揃えていつもお洒落にしている人だった。良くも悪くも、「頭の中お花畑タイプ」だった。はずだ。

だから、孤独に苦悩するおばあちゃんの日記の文章は、私にとってのおばあちゃんとギャップがあり、初めは理解が追いつかなかった。

日記には「ママ」というワードが散見された。これはおばあちゃんから見れば嫁、つまり私の母親のことだ。おばあちゃんはここ11年ほど「ママ」と「パパ(息子、私の父親)」と「Aくん(孫、私の弟)」と同居している。私も3年前に家を出るまでは一緒に住んでいた。厳密には2世帯住宅で、おばあちゃんにはおばあちゃん用の独立の玄関、キッチン、トイレがある。関わろうとしなければ「ママ」や「パパ」、「Aくん」とは一切関わらずに生活できる。

日記を読むと、おばあちゃんは「ママ」に何を言われたか、「ママ」がどんな機嫌かを常に気にしていたようだった。まるで「ママ」にいかに何も言われないで「ママ」の機嫌をいかに悪くさせないで過ごすかを行動の中心にしているようだった。できるだけ「ママ」のイライラする様子を見るのを避けたいといった様子だ。実際、昔は家族で一緒に食べていた夕飯も、ここ最近は1人で部屋に籠って食べるようになっていた。私たち家族は「それはおばあちゃんが望んだことだから」「きっとおばあちゃんは一人が楽なんだろう」と判断し、全て受け入れた。

しかし、本当のおばあちゃんの心はずっと孤独だったのだ。おじいちゃんが亡くなってから、話し相手や相談相手が身近にいなかった。家族に体調が悪いと伝えれば、歩けない自分を病院まで連れて行ってもらわなければならない。そんなことをしたら「ママ」に迷惑をかける。だから我慢する。部屋を片付けなくてはいけないが、「ママ」に片付けさせてしまってはぐちぐち言われる。だから自分でやりますと言う。おばあちゃんの胸の内はきっとこんな感じだった。

私は自分の大きな勘違いに気がついて心がズーンと重くなった。例の達筆の葉書は、おばあちゃん自身は歩けないので、「ママ」の外出のついでにポストに投函するよう頼んでいたものだった。「ママは良くしてくれます。感謝しています。」という家族への感謝の記述は、「ママ」が葉書を読むことを見込んで書いていたのだ。「ママ」のご機嫌を損ねないために。

私はその気持ちが良く分かる。私も「ママ」の機嫌が悪いのを見ているとストレスで胃が痛くなるので、一時期距離を置いていた。「ママ」の機嫌の悪さは周囲からポジティブな気を奪うものだった。

「ママ」はおばあちゃんが嫌いだ。私は小さい頃から、「ママ」にいかにおばあちゃんがおかしくて頑固な人なのかを聞かされ続けていた。「ママ」自身はきっと意識してはいないが、これは一種の洗脳のような効果があった。おばあちゃんは「ママ」にとっては夫の親でしかないが、私にとっては血の繋がった大切な肉親だ。それなのに、私は物心つくと、おばあちゃんに対して素直に好きという気持ちを示すことを躊躇するようになった。

母は父とも仲が悪く、その様子を見て私は幼い頃から「そんなに嫌いなのにどうして結婚したの?」という疑問があった。やがてその疑問は「自分の両親は既婚者というステータスのために結婚したんだ」、「私は両親の『ステータス』として以外に存在価値がないんだ」へ発展していった。子どもの心にこの潜在意識を植え付けてしまっては、健康的な育ち方をしないことは容易に想像できる。私は良い子、出来る子、他の子より優れた子、でなくては存在意義を感じられなくなった。他人と比較する癖が抜けず、私はとても生きづらい人間になってしまった。(また、正常な結婚生活の姿を知らないことは、少なからず私の恋愛経験の少なさに影響を与えているかもしれない。)

最近やっと気づいたのだが、母はきっと『テイカー』なのだ。テイカーとは、「真っ先に自分の利益を優先させる人」のことである。そういった性質の人は周囲の価値を奪い続ける。テイカーは近くの人々の精神的な健康を吸い取り、ついには文字通り死に至らしめた。

こう言ってしまうと母は極悪人かのように聞こえるかもしれないが、もちろん、母は悪い人ではない。私たち姉弟のためにたくさん習い事にも通わせてくれ、送り迎えもしてくれたし、中高生の頃は毎日お弁当も作ってくれた。当然のごとく感謝している。今でも実家に買えば甘えっきりで、母なしには生きていけないかもしれない。おばあちゃんの介護だってしっかりやってくれていて、歩けないおばあちゃんの代わりにお使いを頼まれたり、病院へ連れて行ったりしていた。

そんな母は、才色兼備タイプの女性だ。独身の頃はなかなかに稼いで海外旅行を毎年楽しんでいたようだ。自分に釣り合う人を探しているうちにみるみると婚期は過ぎ去り、アラフォーになって同世代の高学歴高身長大手企業勤務の男と駆け込むように結婚した。この人と結婚しなければ結婚は諦めなければならないと考えたのだと思う。釣り合うスペックの男と結婚できる最後のチャンスだったのかもしれない。父と出会ってから結婚するまでの間、すでに父のことはおかしいと感じていたようだ。初めて父の両親に会った時も違和感があったようだ。しかし、スペックで言えば文句はない。後がないから結婚したのだろう。母は結婚して不幸になったとよく言っていた。結婚が母を変えてしまったのか、それともテイカー気質が良い結婚を引き寄せなかったのか、その答えは私には分からない。ただ、母が不幸だと口にするたび、私の心のHPはいつも消耗する(そしておそらくおばあちゃんのHPも消耗していた)。

私は母のご機嫌を伺い、母が望むように進路を決めてきた気がする。さらには、母に倣っておばあちゃんを遠ざける言動をしてきたことも否めない。このテイカーによるコントロールが最終的には、おばあちゃんにとっては(心の)孤独な死、私にとってはおばあちゃんを失った悲しみとなり、そして不思議なことにテイクした側の母にとっても義母を救えなかった後悔となった。テイカーは価値を奪ったあとそれを自分で壊してしまうのだ。テイカーはマイナスしか生み出さない。

その上、テイカーはなかなか変われない。母はおばあちゃんの死に対して「私がほったらかしにしたみたいで嫌だ」と言った。おばあちゃんの世話をしていたのも「おばあちゃんが大事だから」ではなく「献身的な嫁として見られたいから」という気持ちが少なくもと一部はあったようだ。身近な死を経験してもなお、テイカーである。

蛙の子は蛙、私は確実にこのテイカー気質を受け継いでいる。日頃私のツイートをご覧になっている方はご存知だと思うが、私は男性から全くモテず、友達も少ない。人は私といると価値を奪われ疲労するから離れていくのだろう。テイカーをやめてギバーに変わらなければ、私に幸せはやってこないように思う(例え結婚できても母の二の舞を踏みそうだ)。

決して母を責める気はない。母は意識して意地悪をしているわけではないはずだ。きっと母の親も、そのまた親も、同じような気質だったのだと思う。母が才色兼備なのもきっとそのせいだ。しかも可哀想なことに、母のコントロールの方法は「私がこんなに頑張っているんだから期待に応えてくれるよね?」という自己を犠牲にするやり方で、相手と向き合わずに勝手に犠牲になっているだけなので自分ばかり損しているように感じている。母もまた、被害者だ。

さらに日記を前のページ、前のページへと読み進めると、おばあちゃんにとって実の息子である「パパ」や、実の孫である「Aくん」や私に対しても、否定的な感情が記されていた。分かってくれない、話しかけてくれない、手紙の返事がない、淋しい、といった内容が多かった。やはりおばあちゃんは家族と暮らしていながら寂しかったのだ。私たちはそれに気づかなかった。いや、気づかないふりをしていた。

おばあちゃんは明らかに私に助けを求めていた。確実に遺書の話もたくさんの葉書もSOSだった。

私自身が絶望して死にたい時は「周りの人は助けてくれない」と愚痴を言うくせに、自分自身が大切な人からのSOSを受け取れていなかったなんて、この上なく情けなく悔しく悲しい。

おばあちゃんは死後何日も放置されるような所謂悲惨な『孤独死』にはならなかったが、それでもおばあちゃんの心からすれば自分の死は孤独死だった。私はおばあちゃんへ葉書の返事をほとんど書かなかった。私はおばあちゃんに寄り添えなかった。おばあちゃんの心を弱らせ殺したのは私だ。

おばあちゃんが最期に両親に伝えた言葉は「(発熱で)あつい」だったそうで、家族へお別れの言葉を述べる間もなかった。たった一度きりの人生、とよく言われるが、死ぬのもたった一度きりだ。私はおばあちゃんのたった一度の死を孤独な死にさせてしまった。どんな思いを抱きながら息を引き取ったのだろう。どれだけ苦しんだのだろう。最後に家族に伝えたいことは何だったのだろう。それを伝えられないまま息絶えていく虚しさはどれほどのものだっただろう。

取り返しがつかないって、こういうことだったんだ。なぜか前日に金曜ロードショーでテレビ放送された『もののけ姫』での「生きてりゃなんとかなる」というセリフが妙に心に残った。裏を返せば「死んだらどうにもならない」ということだ。あれは虫の知らせだったのかな。

私は生まれて初めて、本当の苦しみというものを味わうこととなった。

翌日、葬儀社で眠っているおばあちゃんに会いに行った。

おばあちゃんは文字通り、眠っているようだった。おばあちゃん、いつの間にこんなにちっちゃくなっちゃってたんだろう。おばあちゃんは私の頭の中のおばあちゃんよりずっとずっとお年寄りだった。私はお顔に触れた。いつも私が帰省するたび、「握手」と言って差し出してきた手の質感と同じだった。

涙が止まらなくなった。やっと、おばあちゃんに向かって「ごめんね」を言った。しかし、いくら謝ってもおばあちゃんには聞こえていない。自己満足でしかない。

すると、母も「ごめんね。寂しい思いさせちゃったね。ちゃんと見送りたかったよ。」と泣いた。父も泣いていた。父が泣いているところは生まれて初めて見た。

本当はみんな同じ気持ちだった。

みんな家族で幸せに暮らしたかったのだ。おばあちゃんにも幸せな思いをしてほしかった。ところが、私も「ママ」もおばあちゃんも、家族それぞれが負の感情の方にだけ従って行動した結果、全員が悲しみと後悔のどん底に陥った。

そういえば、私は物心ついてから家族に本音を話したことがない。最も身近な母に話せなかったことで、父、弟、祖母には話そうと思ったこともなかった。私は家族を信用していないようだ。

心を打ち明けられる相談相手がいないことは、私の悩みでもあった。友達に相談すれば、友達は離れていく。精神科医の先生に対しても、なぜか取り繕ってしまう。

本当は、同じ悩みを抱えた人がこんなにも近くにいた。しかも私を愛してくれている人。私はおばあちゃんに相談すればよかったのだ。仕事の悩みや自信がないことの悩み、恋人ができない悩みだっておばあちゃんに話していればよかった。それが解決するかどうかはどうでもよくて、コミュニケーションを取る時間があったら私の心も安らいだだろうし、おばあちゃんもこんなにも弱ることはなかったかもしれない。おばあちゃんはもっと幸せに長生きしてくれたかもしれない。

やはり、おばあちゃんを殺したのは私だった。

長々と自分語りをしてしまいましたが、感じたこと・教訓となったことをまとめるとこの3つです。

①大切な人には日頃から感謝の気持ちを伝え感謝を行動で示さないと、いつか後悔しても仕切れないほどの後悔をする。人に伝えるのは負の感情ではなく感謝であるべき。

②違和感を感じる相手と結婚すると違和感は増し憎しみとなる。相手自身・相手の家族との相性はやはり重要である。結婚生活において生じる負の感情は子や親や自分自身にまで悪影響を与える。

③家族がいるからといって孤独でないわけではない(特に『テイカー』気質の人間には要注意)。家族に迷惑をかけること、家族の機嫌を損ねることを恐れて我慢し、塞ぎ込んでしまうことがある。これは結果的に自分自身と家族のお互いにとって悲しい結末を生む。

最後まで読んでくださいましてありがとうございます。

どうかみなさん、私のような後悔をしないために、大切な人には日頃から感謝を伝えることを忘れずに生きてください。ちょっと勇気はいるけれど、決して恥ずかしいことではありません。自分の本心に従って行動してください。

おばあちゃんがいなくなって、いかに私にとっておばあちゃんが大きな存在だったのかを実感しています。心にぽっかりと大きな穴が開いてしまったようです。私はもう心の底から楽しいという感情になることは出来なくなりました。これからは贖罪の人生です。

大切な人との死別という大きすぎる代償ですが、これをきっかけに私の、そしてここまで読んでくださったの方々の生き方・考え方をを変えることができたらせめてもの救いになります。

最後に、どうか天国のおばあちゃんに伝わりますように。

「ありがとう。大好きだよ。」

Aurora

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