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頼ったり「助けて」と言えない理由

子供の頃って無意識に「助けて」っていうサインは沢山していると思う。
だけど周りの大人が冷たかったり、すごく厳しかったり、毒親だったりすると必ずと言っていいほど「人に頼るな」「迷惑を掛けるな」「自分で何とかしろ」って言われながら育つんだよ。

そうやって生きてきた人間は大人になってから他人に頼ったり出来ず、上手く助け合う事が出来ず他人とのコミュニケーションも破滅的。

斯く言う俺もまさにそのタイプで、片親なので幼少期から夜はいつも親が仕事で居ないし寂しく、だけど教育は厳しくて泣くことも弱音吐いてもしょっちゅう怒られていたし嫌な思い出しかない。

思春期の頃も今までの反動が大きくてグレたりしたし、親にも周りの大人にも怒られてばかりだった。
勿論すべてが親のせいだったり大人のせいだったりとか悪いわけではない。

と言いたいところだが
全て環境のせいと言わせてもらう。

だって事実ですから。

未成年は自分の力で中々環境を変えることが出来ないし、無力なんすよ。
中には「自分は意地でも環境を変えた」って人もいるだろう。
だけどそうじゃない人も沢山いるんだ。
特に小さな子供が毒親だったり虐待受けてきた人に簡単に環境を変えればいいなんてあまりにも理不尽で不可能なことを言っている。

「簡単に環境は選べないし逃げられない」

俺の場合は追い出されたり、家出したりもあったんだけど結局そういう時だけ優しさを見せてまた家に戻すんだよね。

んで大人になってからお察しの通り人に上手く誰かに頼りながら生きていくことが出来ず、親に怒られるのを恐れて嘘つきまくって、金銭にもだらしなくて借金を隠したりして逃げてばかり。人間関係も上手くいかないからトラブルばかり。

いよいよヤバいなって時に周りから
「なんで助けを求めなかった」「なんで頼ろうとしなかった」
って言われるんですよ。

子供の頃は沢山助けを求めてたし、頼ろうとしてたけど散々無視されて怒られて拒否されてきた人間が大人になって頼れるわけないよね。

他人の為に生きていかなきゃってずっと思っていた。
自分の苦しさを他人には見せてはいけないと。
「優しいね」とか「他人の為に考えられるなんてすごいね」ってね。

でも結局自分の大量の荷物で手一杯な状態なのに他人の荷物も支えて振り回されていっぱい崩れていった。
だから急にクズになったり、金にだらしなかったり、極端な長所と短所に差があったよね。

無理なんですよ。

自分と向き合えてすらいないのに他人の為だなんて。
自分が救われてもいないのに他人を救うなんて。

それに気づいたのは5年以上前だったかな。
引き篭もって病院にも通って少しずつ自分と向き合うようになって色んな植え付けられてきた教育や常識や概念を取っ払って今の活動に至るわけなんだけど、これは何度も言ってるけど自分を救うためにやってる。

利他主義なんて馬鹿げてんだよ。
綺麗事なんすよ。奴隷思考ですよそれ。
だって社会がそういうシステムにしてるんだもの。
そして政治や資産家は自分の為、奴隷どもには他者の為だと教えるんです。

上流階級から見下ろして、奴隷同士が潰し合ってるのをほくそ笑みながら見てるんすよ。

本当に他者の為だというのなら、自分を優先にしてこそ余裕が出来たときに他者の為に出来るんだろうが。
自分がボロボロなのに他人を救えるわけがないし、助けられるわけがない。
なのにそれを前提で押し付け合ってるよね。

個人個人が余裕がなくて、弱者同士が争ってさ、金持ち喧嘩せず。

そんな社会がクソ喰らえ。

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