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暇と退屈について考えてみた

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漠然とした退屈から抜け出したくて、暇と退屈について考えぬいてみた。自分なりの暇と退屈との付き合い方が見えてきた気がする。
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#勉強

ハイデッガー式退屈とわたしの生活

「暇と退屈の倫理学」(著・國分功一郎)を読み終わってから、
具体的にはどうすれば人間らしく退屈と生きられるのか考え続けています。

ハイデッガー式退屈の第二形式に留まるためには、「物を受け取る」ことと「楽しむ力」が必要である。

これを今の私の実生活に置き換えると、まさに勉強とnoteなのではないかと思いました。

物を受け取るためにも、楽しむ力を育むためにも、勉強は欠かせない存在です。

文庫本

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「暇と退屈の倫理学」(著・國分巧一郎)と「仕事なんか生きがいにするな」(著・泉谷閑示 )。2つの本って良く似てるかもとふと思った。

退屈について考える④
ふと退屈は「現状を変えたいと思う気持ち」とも言えると気づいた。だからこそ「退屈から好奇心が生まれる」とも考えられるのか。つまり人は変化し続けたい生き物なのだ。しかし同時に変わらないことに安心する性質もある。先はわからないのに分かった気になるから退屈するのか?

退屈について考える②
大抵のことは退屈を紛らわす気晴らし。その気晴らしにお金をかけて、そしてそのお金を稼ぐために働く。働くモチベがなくなったらお金のためだと自分を鼓舞する。自分を励ますものを買うためにお金を使う。なんか変なループに見えてきた。

『暇と退屈の倫理学』半分くらい読み終わった。
自分の中のモヤモヤがまさに題材となっていてすごく面白い。資本主義や消費社会など人類の幸せについて、現時点の自分の結論としては「何をするか」より「誰といるか」が幸せを感じる鍵だと思う。
この本ではどんな結論が待ってるのか後半が楽しみだ。