ハイデッガー式退屈とわたしの生活
「暇と退屈の倫理学」(著・國分功一郎)を読み終わってから、
具体的にはどうすれば人間らしく退屈と生きられるのか考え続けています。
ハイデッガー式退屈の第二形式に留まるためには、「物を受け取る」ことと「楽しむ力」が必要である。
これを今の私の実生活に置き換えると、まさに勉強とnoteなのではないかと思いました。
物を受け取るためにも、楽しむ力を育むためにも、勉強は欠かせない存在です。
文庫本のあとがきで、著者も勉強について言及されていました。
そして勉強と同様に、退屈とうまく向き合うために、このnoteという存在もとても大きいのではないでしょうか。
物を受け取ることや楽しむということは、何かに真正面から向き合い、それ自体を味わい尽くすことだと私は思います。
このnoteというツールは、ただ暮らしているだけでは見過ごしてしまう「何か」を自分なりの見方で考えるきっかけになってくれます。
日常のささないなことについてnoteに考えを記すことは、まさに「物を受け取る」こと、あらゆる物や出来事を「楽しむ」ことなのではないでしょうか。
改めて、これからも勉強とnoteを大切にしていこう。そんな風に思った金曜日の午後でした。
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