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アンティークコインの世界 | ドイツ第三帝国ナチ政権下の貨幣・勲章・メダル・バッジ

ドイツ第三帝国ナチ政権下の歴史は、極めてデリケートな内容として扱われる。今回は学術研究を目的とした中立的な立場から述べ、彼らのいかなる思想も支持しないことを先に明記しておく。第二次世界大戦時に軍事同盟を結んでいた日本にとって、ナチ政権の行いは他人事ではなく、彼らの歴史について学ぶこと重要である。

ナチ政権下での貨幣・勲章・メダル・バッジは非常に人気が高く、コレクターの間では高額で取引されている。敗戦後にその多くが溶解され、処分を免れたものが僅かである背景からコレクターを狙った贋作がかつてから横行している。そのため、PCGS社やNGC社の鑑定済個体を収集するのが無難だろう。だが、敢えて贋作を収集している一風変わったコレクターも存在する。

ナチ政権はイベントに合わせてバッジを積極的に製作した。DESCHLER & SOHN社とJOS. FUESS社の2つのメーカーで主に生産され、全てはではないが、バッジには共通してナチのシンボルであるハーケンクロイツが示されている。古代ギリシア文明に深い造詣があったヒトラーは、古代ギリシア時代の遺跡の考古遺物に見られる万字模様を党のシンボルに定め、広報活動に大々的に利用した。

古代ギリシアの貨幣の上に見られる万字模様
トラキア地方タソス島 スターテル銀貨
ニンフを抱えるサテュロス


これから紹介していくナチ政権下の製作品は、敗戦後に政治的都合から貨幣、勲章、メダル、バッジを始めとして、そのほとんどが溶解処分された。だが、そうした新政権の排除活動から逃れたものが現代に僅かながら残されている。歴史の暗黒面を物語る生き証人として、彼らは何を私たちに語ってくれるのだろうか。

第三帝国とは、第一帝国を神聖ローマ帝国、第二帝国をビスマルク支配下のドイツ帝国として、その後継にあたる第二次世界大戦時のドイツを指す。

「ナチス」と「ナチ」という言い方が存在するが、名詞として使う場合はナチス。形容的に使う場合はナチと使い分ける。それゆえ、党として呼ぶ時はナチス党ではなく、ナチ党と呼ぶ。ちなみにナチスとは蔑称なので、ナチ党員が自分たちをこの名で呼ぶことはあり得ない。映画等の創作作品でそうしたシーンを見かけるが、蔑称を自分たちに用いていることになり、些か滑稽である。

本来、「Reich(ライヒ)」という言葉には「国」という意味しかないが、日本では慣習的に「帝国」と訳す。そのため、例を挙げれば、日本では呼び分けられている「帝国宰相」も「共和国首相」もどちらもドイツでは「Reichskanzler ライヒスカンツラー」という言葉で表されている。


【バッジ】

Germany Third Reich
1933-45 C-215 Alu Incused Back
PCGS SP62

ドイツ第三帝国で発行されたアルミニウム製バッジ。ヒトラーの横顔が描かれており、裏側にはピンが配され、「DESCHLER U.S. MÜNHEN 9」の刻印がある。ヒトラーはプロパガンダに自身のポートレート写真を利用することを好み、様々なポーズを写真家に撮らせた。こうしたメダルも彼の宣伝活動に巧みに利用された。ピン付きで衣服等に装着できた。ナチ政権下のこうしたグッズは敗戦後に生産が中止され、その多くが邪悪なるものとして溶解処分された。

ここでヒトラーの生い立ちと台頭について、少しまとめておこう。ヒトラーはアマチュア画家としての生活後、軍隊に入団した。彼が敵軍15人を捕虜にしたというエピソードは英雄譚的創作にしても、鉄十字勲章を二度もらっていることは記録として確かである。鉄十字勲章は、軍人が戦場で功績を残した際に与えられるもので、これを二度も称えられているということは、相当に勇敢な人物だったことが窺える。

だが、ヒトラーはこれだけの武勲を収めていても、入隊して5年経った30歳になっても階級は伍長のままだった。これは人間性による扱いなのかもしれない。ヒンデンブルク大統領がヒトラーを「ボヘミアの伍長」と呼んで揶揄していたのは、伍長止まりの彼を煽ったものである。ちなみにボヘミアには「浮浪者」の意もあり、明らかな蔑称として用いている。その他、「ペンキ屋」などの蔑称で呼び、ヒトラーを常に蔑んでいた。

軍部がヒトラーを昇進させ、新人をまとめたり、教育したりする立場にいつまでも就けなかったのは、上に立つには何かしらの問題性があると感じていたからだろう。そんな軍の中で不遇な扱いを受けている時だった。ある日、ヒトラーは軍の上司から、とある任務を与えられた。それは、ドイツ労働者党(ナチ党の前進)への潜入調査任務だった。弱小の党で影響力はなさそうだが、発言内容が過激過ぎるゆえに彼らは軍部から目を付けられていた。ヒトラーはこの政党の情報収集の任務を命じられた。当時の党員は街のカフェや酒場などで議論を交わしていたため、アプローチは容易だった。ヒトラーは客人を装い、党員がたむろしている酒場に入店する。そこでは党員による熱い演説が繰り広げられていた。その内容に静かに耳を傾けていたヒトラーだったが、何を思ったのか自ら彼らの演説に乱入する。彼は持論を展開して周囲を驚かせた。それを見ていた党首アントン・ドレクスラーは、その演説の才能に興味を持ち、ヒトラーに入党の誘いを持ちかける。ヒトラーの答えは、まさかのイエス。彼は軍の任務を投げ出してドイツ社会労働者党への入党を決意し、すぐさま軍を除隊した。ヒトラーの党員番号は555だった。最初の5はフェイク数字なので、彼が55人目の党員だった。党員がヒトラーを含めて55人しかいない弱小政党である。

その後、ヒトラーはこの政党に何の決まりもなく、旗も紋章もないことに気付き、すぐさま改善する必要があると考えた。軍を除隊してまで来たのに、半ば趣味でやっているような政党に入ってしまったなど、彼のにとっては堪ったものではない。ヒトラーはそうして次々に行動し、持ち前の巧みな演説で党員と活動資金をみるみるうちに増やしていった。党首アントン・ドレクスラーは始めこそヒトラーを評価していたものの、注目がヒトラーばかりに集まり、自身が蔑ろにされて面白くないとしてヒトラーの足を引っ張る行動ばかり取るようになった。こうしたことが原因で二人は仲違いし、やがて袂を分つこととなる。

Germany Third Reich
C-210 Silvered AE
PCGS SP58

ドイツ第三帝国で1934年に製造された銀メッキ真鍮バッジ。アドルフ・ヒトラーの肖像が描かれている。本作が造られた1934年は、ナチ政権発足の1933年の翌年にあたる年である。ドイツ労働者党を基盤としたヒトラーは既に一部から注目されつつあったが、ナチ政権の樹立により、その名は一気に世に広まることとなった。

表側に「WINTERHILFE 1933 1934 GHITLER'S DANK GAU WESTFALEN-NORD」、裏側に「PAULMANN & CRONE, LUEDENSCHEID, GES. GESCH.」のドイツ語銘文が刻印されている。記念の年、製造メーカー名が刻印されている。

ウィーンで画家を目指すも挫折し、建築家を進められるも学がないことからその道も断念せざるを得なかったヒトラー。官職に就く高給取りの父から遺産を引き継いだ彼は金銭的には余裕があり、ある程度働かなくとも生活していける環境にあった。だが、アマチュア画家として自分が描いた水彩画を売りながら、彼は己の人生を模索し、燻る日々を送っていた。

画家に憧れウィーン美術アカデミーへの進学を希望していたヒトラーだが、成績が悪く試験には落ちた。アカデミーの講師から絵画の才能には欠けるが、建築物の絵はまだマシなため、建築学科に進んではどうかという苦肉の回答が帰ってきた。だが結局、建築学科を受けることなく終わった。というより、彼の経歴では受ける資格がそもそもなかった。ちなみに、このウィーン美術アカデミーを受けて試験に落ちたが、大成した人物がいる。ユダヤ系画家のマルク・シャガールである。

Germany Third Reich
1934 C-211 AE Westfalen-Nord
PCGS Genuine AU Details 98-Damage

ナチ政権発足1周年を記念して製造された真鍮製バッジ。ヒトラーの肖像が描かれており、ドイツ語で「GAUS WESTFALEN NORD, WINTERHILFE 1933/34, HITLERS DANK」の刻印が打たれている。ナチ政権の統領ヒトラーへの謝辞を示したもので、GAUS WESTFALEN NORDはナチ党の党区だった。裏側には製造メーカー「HERSTELLER PAULMANN & CRONE, LÜDENSCHEID GES. GESCH」の刻印が打たれている。

Germany Third Reich
1934 Labor Day Brass
PCGS MS63

ドイツ第三帝国で1934年に製造された真鍮製バッジ。5月1日の国民労働の日を祝ったものである。デザインは、Arbeitstag Abzeichenによって手掛けられた。男性像の下部には、労働を象徴する農工具の鎌、大工の金槌を携えた鷲が描かれている。鷲は鉤十字が表されたリースを脚で掴んでいる。「TAG DER ARBIET」とは「労働者の日」を指す。鎌は農業、金槌は産業を象徴している。鎌の取手部分にRKという本作のデザインを手掛けた人物のイニシャルが合字で記されている。

「ARBIET」とは、現在日本でも使われている「アルバイト」の語源である。日本では非正規雇用の臨時雇いを指す言葉として使われているが、本来は「労働」を意味する言葉である。日本ではニュアンスの異なる使い方をされているが、労働という点では共通している。

当時、労働者記念日を祝したイベントでは、主催となる団体がイベントを記念してバッジを造るのが習わしだった。こうしたバッジは参加者が着用し、イベントの宣伝を行うと共に、資金調達のために配布・販売された。


Germany Third Reich
1934 Saar Liberation Bronzed Iron
PCGS MS62

ザール併合を記念して1934年に製造された青銅メッキ鉄製バッジ。ハーケンクロイツを掴むワイマール鷲の下に握手の様子が描かれている。これはドイツとザールの融和を象徴するもので、ザールの併合を意味している。ドイツ語で「DEUTSCH IST DIE SAAR 1934 DES DEUTSCHEN EHRE IST DIE TREUE(ドイツはザール。1934年。ドイツの名誉は忠誠心)」と記されている。

Germany Third Reich
1935 Seafaring Alu
PCGS SP63

ドイツ船乗り記念日を祝い、1935年に製造されたアルミニウム製バッジ。ハーケンクロイツを掴むワイマール鷲の下部に帆船が描かれている。ドイツ語で「SEEFAHRT IST NOT TAG DER DEUTSCHEN SEEFAHRT 25./26. 5. 1935(船乗りは欠かせない。ドイツ船乗り記念日。1935年5月25日、26日」と記されている。裏側には製作メーカー「PAULMANN & CRONE, LÜDENSCHEID」の刻印が打たれている。

Germany Third Reich
1935 Labor Day Alu
PCGS Genuine UNC Details 95-Scratch

5月1日の国民労働の日(メーデー)を祝し、1935年に製造されたナチ党アルミニウム製バッジ。3人の男性が描かれており、左から順に杭、巻物、麦穂を手にしている。彼らの下部にはハーケンクロイツを掴むワイマール鷲が表され、ドイツ語で「TAG DER ARBEIT(国民労働の日)」と記されている。

Germany Third Reich
1936 Labor Day Alu
PCGS SP58

5月1日の国民労働の日を記念して製造されたアルミニウム製バッジ。ハーケンクロイツを掴むワイマール鷲の背後に剣、金槌、農工具が描かれている。これは労働を彷彿とさせるモティーフ、軍事、産業、農業を意味している。「1 MAI 1936」の刻印は製造年号と記念日の5月1日を示している。裏側にはメーカー名の「ROBINSON OBERSTEN / NAHE」の刻印が打たれている。

Germany Third Reich
1936 Reichs Party Day
PCGS Genuine UNC Details 97-Environmental


ドイツ第三帝国で1936年に発行されたREICHSPARTEITAG(Reichs Party Day)を祝した亜鉛製バッジ。膝をつく3人の兵士が描かれている。同式典はワイマール共和国時代の1923年からナチス政権下の1939年まで行われたプロパガンダイベントだった。1936年は9月8日から9月14日までニュルンベルクで開催された。

Germany Third Reich
1937 Labor Day Alu
PCGS Genuine AU Details 97-Environmental

1937年に「国民労働の日」を祝って発行されたアルミニウム製バッジ。ハーケンクロイツを掴むワイマール鷲の上に樫の葉を持つ幼児が描かれている。国民労働の日は、1933年にナチ政権によって定められた記念日だった。ナチ政権が崩壊するまで毎年デザインを変え、この記念日を祝ったバッジが製造された。

Germany Third Reich
1939 Reich Party Day Gilt Alu Matte
PCGS SP62

ハーケンクロイツを掴むワイマール鷲、麦穂を持つ裸婦、花束を握る幼児、葡萄が絡んだ杭が描かれている。また、ドイツ語で「REICHSPARTEITAG 1939」の刻印があり、1939年のReich Party Dayを祝ったものであることを示している。

1939年4月にヒトラーの50歳の誕生日を祝って行われ
た祭典Reich Party Dayを記念して製造されたアルミニウム製バッジ。この祭典では軍事パレードが行われ、ヒトラーを筆頭とする軍人がニュルンベルクの街を行進した。

【勲章】

Germany Third Reich
1939 War Merit Medal Brass
PCGS SP63

ドイツ第三帝国の民間人用二級戦功十字章。直接的な戦闘ではなく、戦争遂行に貢献した人物に授与された。製造メーカーは、Richard Simm & Söhne。マルタ十字型の中に配された鉤十字を葉冠が囲むデザインが施されている。鉄十字にハーケンクロイツを配した典型的なナチスの紋章が強烈な印象を与える。裏側には「Für Kriegsverdienst 1939(戦争功労のために。1939年)」と記されている。

フィールドの艶感は化粧箱から取り出したばかりかのような良好な状態で、歴史の惨劇を昨日のことのように伝える。真鍮製で、最初から装着用のバチカンが付けられた造りになっている。本作二級章には本来リボンが付属しており、リボンは国家色の黒白赤で彩られていた。

勲章の授与内容は様々だった。例を挙げれば、警察業務、捕虜の収容、兵器の開発・増産、国民の士気高揚への貢献等、多岐に亘る功績が評価され、授与の対象となった。受章者は官僚と軍人を始めとして、警察、企業家、民間人で構成された。

受章者が軍人の場合、陸海空軍司令官ないし師団長が授与を行った。受章者が軍人以外の場合、閣僚ないし大統領府官房長官が行った。騎士級の授与は、ヒトラー本人が行った。

敗戦によってワイマール共和国となったドイツは、膨大な賠償金に見舞われた。結果、戦争が終わっても国民はいつまでも貧困から抜け出せずにいた。そうした先行きが見えない不安から生まれたのが第三帝国だった。

彼らは第一帝国を神聖ローマ帝国、第二帝国を鉄血宰相ビスマルク指導下のドイツ帝国とし、自分たちをその後継にあたる第三帝国と称した。第三帝国は仮想敵の存在(ユダヤ人)を明確にした上、善悪の対比という誰にでも分かりやすいシンプルな二元論構造を用いて国民を先導していった。だが、それが更なる終わりの道の始まりでもあった。

Germany Third Reich
1936-45 Nimm-3860 Silvered AE Matte Loyal Service 4
PCGS Genuine AU Details 98-Damage

ドイツ国防軍勤続4等勲章。1936年からナチ政権が解体される1945年まで製造され、授与された勲章である。国防軍の勤続に対して敬意を示したもので、本作は4年間勤続した四等対象者に与えられた。階級を示す4の数字が裏側に大きく記されている。この勲章制度は、ドイツ国防軍の勤続年数に応じ、その栄誉を讃えるため、1936年3月16日にヒトラーが制定した。勲章のデザインは、リヒャルト・クラインによって手掛けられた。

ドイツ国防軍勤続勲章は、陸軍、海軍、空軍の三軍に所属する軍人が授与対象者で、4年間で四等、12年間で三等、18年間で二等、25年間で一等、40年間で特等が与えられた。ドイツ国防軍は1935年から1945年までしか存在しなかったが、勤続年数の対象はドイツ第二帝国のドイツ帝国軍やワイマール共和政のワイマール共和国軍からの従事も勤続年数に含んだ。

【メダル】

Germany Third Reich
1934 C-10 Ag Matte Edge Raised FEINSILBER
PCGS SP58

ドイツ第三帝国で1934年に発行されたパウル・フォン・ヒンデンブルク追悼メダル。デザインは、Munich. B. Bleekerによって手掛けられた。ヒンデンブルクはドイツの軍人で、第一次世界大戦においてロシアに勝利を収め、国民的英雄となった。その後、大統領に就任する。終始ヒトラーを毛嫌いしていたが、晩年はヒトラーに懐柔されていく。当時は英雄として扱われていたヒンデンブルクだが、ナチ政権の誕生を許した人物として評価され、今では像の撤去、展示された彼の棺にだけ照明が当てられないなどの措置が取られている。

本作には、鉤十字と握手の図が描かれている。鉤十字は、ヒトラーが深い興味を持っていた古代ギリシアの遺跡からの出土品に度々描かれていた模様である。有能な古代人をリスペクトしていたヒトラーは、彼ら模様をナチ党のシンボルとして導入した。古代ギリシア時代に発行された貨幣の上でも鉤十字は見られる。考古学に強い関心を寄せていたヒトラーは発掘も行っており、聖書に登場するロンギヌスの槍を探し出そうともしていた。

都市伝説では、ヒトラーが回収したロンギヌスの槍をアメリカ軍が押収したという。この槍を手にした国家は世界の覇権を握るとされる。最初はローマ帝国、ロンギヌスは帝政初期の人間だが、この白内障の老兵の槍を4世紀のコンスタンティヌス1世の母ヘレナが発見したという。その後、フランク王国が回収し、続いて神聖ローマ帝国、そしてドイツ第三帝国の手に渡って最終的にアメリカ合衆国の手に落ち、現在はアメリカが世界の覇権を握っているという。ちなみにロンギヌスの槍と称される槍は世界に複数存在しており、その来歴は怪しげである。

刻印されたドイツ語銘文は下記の通り。

銘文表:GROSSER FELDHERR ZIEHE EIN IN WALHALL.
銘文裏:ZU VOLLER ERFUELLUNG UND VOLLENDUNG DER GESCHICHTLICHEN SENDUNGS UNSERES VOLKES.
銘文縁:BAYER. HAUPTMÜNZAMT FEINSILBER.

ヒンデンブルクを讃美の上、エッジには本貨が銀であることを保証する内容が示されている。


Germany Third Reich
1934 C-10 Ag Matte Edge Raised FEINSILBER
PCGS MS63

ドイツ第三帝国で1935年に発行されたザール編入住民投票記念銀メダル。ザールは石炭の産地であり、それゆえ、ランプを腰から下げたの鉱夫の姿が描かれている。裏側にはザールの地図が描かれている。ザール炭田を巡る「ザール問題」という深刻な独仏間の対立は投票の結果、ドイツ側に軍配が上がった。

ザールはこの時代、独立の維持、あるいはフランスに編入、もしくはドイツ編入されるかの三択の道を政治上迫られていた。ザール炭田を掌握することは戦略上重要であり、フランスもドイツもこれを狙っていた。ザールは住民投票を行い、結果、当時勢いのあった第三帝国に編入されることが取り決められた。

本作はその住民投票を祝い、第三帝国で発行されたマットシルバーメダルである。ザールはフランスの国境に面し、古くからフランスとの交流が深く、文化的影響は勿論フランス語を話す者もいた。炭田の件も含め、フランスはこの選挙結果に猛反対したが、第三帝国の勢いを止めることは誰にもできなかった。

ザールを編入した第三帝国の喜びがドイツ語で表されている。「DEUTSCH DIE SAAR IMMERDAR VOLKSABSTIMMUNG IM SAARGEBIET 13.1.1935」すなわち「ドイツのザールは永遠に。ザール地方の住民投票 1935年1月13日」。ザールが永遠にドイツのものであること、そして記念すべき住民投票の日付が記されている。

【貨幣】

Germany Third Reich
1934-A 5M Potsdam
NGC XF45

ドイツ第三帝国ベルリン造幣局で発行された5ライヒスマルク銀貨。銀品位.900。表側に「21. März 1933 A」、裏側に「Deutsches Reich 1934 5 Reichsmark」のドイツ語銘文。

ナチ政権発足一周年を記念して発行された。描かれたポツダム・ギャリンソン教会は、ナチ政権がドイツの主導を宣言した地として知られる。彼らにとって記念すべき場所であるため、この教会がシンボルとして描かれた。裏側にはドイツを象徴する伝統的意匠のワイマール鷲が描かれている。本貨は教会の左右に日付が刻印されたタイプで、日付の記載がないヴァージョンも存在する。細分類が興味深いコインである。

Germany Third Reich
1934-G 5M Potsdam J-357
PCGS MS61

ドイツ第三帝国カールスルーエ造幣局で、1934年に発行された5ライヒスマルク銀貨。ポツダム・ギャリソン教会とワイマール鷲が描かれている。教会の下部に記された「G」の刻印から、カールスルーエ造と分かる。本貨はノーデイト版だが、教会の左右の空白部分に日付が刻印されたヴァージョンも存在する。

ドイツ第三帝国の貨幣にはミントの豊富さを始めとして、幾つものヴァリエーションが存在する。発行当時から熱心なコレクターがおり、こうしたヴァリエーションの豊富さはファンを魅了した。5ライヒスマルクは第三帝国の最も高額面の硬貨で、国民車計画の際の自家用車1台が1,000ライヒスマルク程だった。

Germany Third Reich
1935-A 5M Potsdam J-357
PCGS MS63

ドイツ第三帝国ベルリン造幣局で1935年に発行された5ライヒスマルク銀貨。ポツダム・ギャリソン教会とワイマール鷲が描かれている。ギャリソンは兵営の意で、同教会は18世紀に軍人のために建設された。ベルリンの国会議事堂が放火で損壊したため、ギャリソン教会でナチ政権による新体制が宣言された。

Germany Third Reich
1936 Tk 50 Gr NSDAP in Austria
PCGS Genuine UNC Details 97-Environmental

ナチ政権支配下のオーストリアで発行された50グロッシェン鋁貨。ハーケンクロイツを掴むワイマール鷲の上部には、NSDAP(国民社会主義ドイツ労働者党)すなわちナチ政権を意味する刻印が打たれている。ナチ主導のクリスマス寄付を祝したアルミニウム製の記念硬貨である。

裏側にはドイツ語で「Weihnachtsspende NSDAP Zu lindern die Not der Besten, sei diese Spende uns-Pflicht-(ナチのクリスマス寄付。悲惨さを和らげるこの寄付は我々の義務である)」と記されている。

オーストリアはヒトラーの出身地であり、彼はこの地で画家を目指す青年だったが、美大には不合格。軍人としての道を歩み、その後ナチ政権を確立していく。

Germany Third Reich
1938-B 2M
NGC UNC Details Artificial Toning

ドイツ第三帝国ウィーン造幣局で発行された2ライヒスマルク銀貨。ウィーン発行は、1938年~1944年にかけてのオーストリア併合期のみのミントマーク。銀品位.625、彫刻師はF. KrischkerとA. Vocke。表側に「1847-1934 B Paul von Hindenburg」、裏側に「2 Reichs Mark Deutsches Reich 1938」というドイツ語銘文。

描かれているのは、ポール・フォン・ヒンデンブルクという当時のドイツの大統領を務めた人物である。軍人として活躍した彼は数々の功績を挙げ、ドイツを強国として世界に知らしめたことから英雄として祀られ、その後大統領の座を手にした。

ヒンデンブルクはナチ政権に対して批判的な感情を抱いていたが、その勢いと国民からの熱狂的な支持には彼さえも抗うことができなかった。現在、ヒンデンブルクの遺骸は教会に安置されているが、ナチの暴走を止められなかった責任から、彼の棺にはスポットライトが当てられていないという不遇を受けている。

Germany Third Reich
1936-F No Swastika J-360
PCGS MS63

ドイツ第三帝国シュトゥットガルトで1936年に発行された5ライヒスマルク銀貨。2ライヒスマルク銀貨は品位が.625だが、5ライヒスマルク銀貨は.900で造られている。

ヒンデンブルク大統領とワイマール鷲を描いており、ヒンデンブルクのうなじ付近の「F」の刻印がシュトゥットガルトを示すミントマークである。ヒンデンブルクは軍人としてのキャリアを歩み、武勲から当時は国民的英雄とされた。

Germany Third Reich
1938-D 1Pfg J-361
PCGS MS64RD

ドイツ第三帝国ミュンヘン造幣局で1938年に発見された1ライヒスペニヒ青銅貨。一般流通していたナチ政権下の小額面貨幣である。デザインは、Franz Paul Krischkerに手掛けられた。ハーケンクロイツを掴む鷲の下部に「Deutsches Reich 1938(ドイツ帝国 1938年)」の銘、裏側には「1 Reichspfennig D(1ライヒスペニヒ ミュンヘン造幣局)」と記されている。Dはミントマークで、ミュンヘンを示している。

Germany Third Reich
1940-A 10Pfg Military Issue
PCGS Genuine AU Details 92-Cleaned

1940年にベルリンで発行された10ライヒスペニヒ亜鉛貨。占領地のみで流通した軍用貨で、7つの造幣局で発行された1940年から1941年の僅か2年間のみ発行された。

西洋圏では比較的珍しい珍しい孔開き貨幣で、ナチ政権のシンボルであるハーケンクロイツとワイマール鷲の頭部が表されている。また、Reichskreditkassen(帝国信用組合)のドイツ語銘文も見られる。

第二次世界大戦による消耗と物資不足から貨幣の素材は貧弱なものとなり、亜鉛が多様されるようになった。貴金属やニッケルは、武器の生産に集中した。

Germany Third Reich
1940-A 5Pfg Military Issue
PCGS Genuine AU Details 94-Altered Surf

1940年にベルリンで発行された5ライヒスペニヒ亜鉛貨。占領地のみで流通した軍用貨で、7つの造幣局で発行された。1940年から1941年の僅か2年間のみ発行された。

西洋圏では比較的珍しい珍しい孔開き貨幣で、ナチ政権のシンボルであるハーケンクロイツとワイマール鷲の頭部が表されている。また、「Reichskreditkassen(帝国信用組合)」のドイツ語銘文も見られる。

第二次世界大戦による消耗と物資不足から貨幣の素材は貧弱なものとなり、亜鉛が多様されるようになった。貴金属やニッケルは、武器の生産に集中した。

Germany Third Reich
1944-Ḏ 5Pfg J-370
PCGS MS62

ドイツ第三帝国ミュンヘン造幣局で1944年に発行された5ライヒスペニヒ亜鉛貨。ペニヒは補助単位で100ペニヒ=1マルクの換算。本貨はOtto VogtとHans Herbert Schweitzerの二名の彫刻師に手掛けられた。表側に「Deutsches Reich · 1944 ·」、裏側に「Reichspfennig 1 D」のドイツ語銘文。

鉤十字のリースを掴む鷲が描かれている。第二次世界大戦への物資投入で多くの金属が武器などの使用に優先して使用された。結果、貨幣に金属を使う余裕がなく、錫や亜鉛などが素材として利用された。

Germany Third Reich
1944-Ḏ 1Pfg J-370
PCGS MS65

ドイツ第三帝国ミュンヘン造幣局で1944年に発行された1ライヒスペニヒ亜鉛貨。ペニヒは補助単位で100ペニヒ=1マルクの換算。本貨はOtto VogtとHans Herbert Schweitzerの2名の彫刻師に手掛けられた。

前述した通り、鉤十字が入ったの文物は敗戦後に政治的都合から貨幣・勲章・メダル・バッジを始めとして、そのほとんどが溶解ないし処分された。だが、そうした新政権の排除活動から何とか逃れ、末裔によって大切に守られてきたものが現代でも僅かながらに残されている。本作もそうした歴史の闇を物語る証人としての生き残りのひとつである。


以上、ドイツ第三帝国で発行された貨幣・勲章・メダル・バッジを紹介した。ナチ政権は積極的にこうしたグッズを製作し、政権の宣伝活動ないし資金調達のツールとして利用した。これらは歴史の教科書には登場しないが、ナチ政権の真の様相が垣間見られる原資料である。文字資料だけでは得られない真実と、当時の空気感を感じられる遺物ではないだろうか。

第二次世界大戦とは何だったのか。ナチスとは何だったのか。彼らが起こした残虐非道な行い。だが、これら全てをヒトラー一人のせいにして片付けてしまうのは、とても危険な考えである。ヒトラーを生み出したのは国民であり、彼単独で全てのことが成せたわけではない。国民一人ひとりの中に小さなヒトラーがいたのである。この点を理解せずして、真の平和は訪れないことだろう。



Shelk 🦋

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