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ビアトリクス ・ポターとピーターラビットに会いに行く

ビアトリク・ポターとピーターラビットに会いに行く
『出版120周年 ピーターラビット展』世田谷美術館

今回は、世田谷美術館で現在開催されている『出版120周年 ピーターラビット展』の展示の中で特に印象に残った作品をピックアップして紹介していく。今年2022年3月26日から開始された本展は、2022年6月19日まで開催されている。

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最寄りの用賀駅から世田谷美術館は、徒歩で15〜20分ほどのところにある。美術館までの道中には閑静な住宅街や新緑が美しい砧公園が広がっており、晴れた日は散歩道としても楽しめる。幸運にも天候に恵まれ、美術館の道中も非常に楽しめした。砧公園の入り口付近に展覧会の案内看板が設置されており、いよいよ拝見できると胸が高鳴った。

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世田谷美術館の入口。入口と出口が隔てられているので、入場する際は左側から入るようになっている。空の色を見て分かるように、雲ひとつない快晴だった。頬をくすぐる暖かな風が気持ち良く、穏やかな気持ちで鑑賞に入ることができた。美術館は、日々の喧騒や多忙さを忘れさせてくれる憩いの場である。芸術鑑賞は、気持ちに余裕を持つ上で欠かせない。

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入館後に最初に目にすることになるポップ。胸の高鳴りがさらに激しくなる。このエントランスでチケットを購入し、さらに進んだ展示会場入口でチケットを提示し、会場内に入ることができる。

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『ピーターラビットのおはなし』1920年代 緑色厚紙装丁
『ベンジャミンバニーのおはなし』1904年初版 厚紙装丁
『フロプシーの子どもたち』1909年初版 厚紙装丁
フレデリック・ウォーン社
Shelk 個人蔵

『ピーターラビットのおはなし』は、ポターの女性家庭教師ムーアの息子ノエルために当初執筆された。ノエルは病弱な男児で、ポターは『ピーターラビットのおはなし』を彼への見舞いとして送った。ピーターは作中で冷えた水が入ったじょうろに隠れたことから風邪を引き、最後はベッドで寝込むシーンで終わる。これは、病床に伏せるノエルを象徴したものである。

館内展示品の撮影は禁止されているため、ここから紹介するものは展示作品のポストカードを用いて撮影を行った。ビアトリクス・ポターは、既に版権が切れている作家である。

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私家版『ピーターラビットのおはなし』2刷
1902年 ストレンジウェイズ&サンズ社
ウォーン・アーカイブ及びフレデリック・ウォーン社蔵

初刷に比較して表紙の色味が少し黄色味を帯びている。ピーターと三匹の妹フロプシー、モプシー、カトンテールが描かれている。

ポターの記念すべき作家デビューの第一歩である私家版は限定250部で、主に身内や知り合いに販売・配布された。私家版はすぐに完売したため、普及版の製作をポターは考えるようになった。翌年には普及版の出版を取り付け、以後、何度も版を重ねて現在では1億5000万部を超えるメガヒット作品に至った。

普及版の出版にあたり、フレデリック・ウォーン社からピターに幾つかの条件が出された。まずは、挿絵を全てカラーにすること。そして、本の売価は1シリング6ペンスに設定し、そのうちポターの印税は1冊につき1ペンスとされた。2刷以降は、1冊につき3ペンスになるという契約内容だった。1シリング=12ペンスであるから、初版時の彼女の印税率は約5.5%、2刷以降は約16.6%だったことが分かる。この取引内容は、1901年12月16日の編集者ノーマンとポターのやり取りの書簡から分かる。初版は当初5000部の予定だったが、8000部に変更されて出版された。出版後、8000部は瞬く間に売り切れ、すぐに増刷が決定された。

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『ピーターラビットのおはなし』初版 焦茶色厚紙装丁仕様
1902年 フレデリック・ウォーン社 14.3*11*1 cm
ウォーン・アーカイブ及びフレデリック・ウォーン社蔵

初版の装丁は全部で4種類存在する。本作はそのうちのひとつで、焦茶色の厚紙装丁で造られている。この普及版は焦茶色の厚紙装丁の他、深緑の厚紙装丁、緑色の布装丁、黄色の布装丁の4種類が存在する。緑色と黄色の布装丁は豪華版として生産された。厚紙装丁は6000部、布装丁の豪華版は2000部、計8000部が初版としてリリースされた。

表紙を飾るピーターのイラストはリアルなウサギに基づき、目が赤く着色されていた。少しグロテクスで可愛さに欠けてしまうため、現在の普及版では目の色が修正されている。

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『ピーターラビットのおはなし』表紙及び挿絵原画
1902年 紙・鉛筆・ペン・インク・水彩 7.4*7.4 mm
ウォーン・アーカイブ及びフレデリック・ウォーン社蔵

この挿絵は記念すべき第1巻の表紙を飾る最も著名なものだが、5刷以降は出版社側の意向で物語の挿絵から削除された。だが、オリジナルの忠実性を重んじる現代の考えから、2002年のリニューアル版で見事復活を果たした。

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『ピーターラビットのおはなし』表紙及び挿絵原画
1902年 紙・鉛筆・ペン・インク・水彩・ガッシュ 8.4*8.4 mm
ウォーン・アーカイブ及びフレデリック・ウォーン社蔵

ピーターが木戸の下を潜り抜け、マクレガーの畑に侵入するシーンの挿絵。ピーターは母からマクレガーの畑には近づかないようにと警告されていたが、好奇心を押さえ切れず中に立ち入ってしまった。ピーターの父はマクレガーの畑に入り、捕まってウサギパイにされてしまった経緯を持つ。それゆえ、母は同じ過ちを起こさないようにピーターに畑に入らないように強く警告していた。

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『ピーターラビットのおはなし』表紙及び挿絵原画
1902年 紙・鉛筆・ペン・インク・水彩 10.0*8.4 mm
ウォーン・アーカイブ及びフレデリック・ウォーン社蔵

マクレガーに見つかり、逃げ出すピーターを描いた挿絵。マクレガーは「待て、泥棒!」と叫びながらピーターを追いかけている。野ウサギは畑を管理する者にとっては収穫物を食い散らす害獣であり、厄介な存在として実際に疎まれていた。

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『きつねのトッドのおはなし』見返し部分及び挿絵
1912年 フレデリック・ウォーン社

1903年以降の見返しには、シリーズに登場する動物が配されていた。だが、『きつねのトッドのおはなし』の初版以降、このデザインで統一されるようになった。この挿絵は『きつねのトッドのおはなし』の作中に登場する挿絵の一部であり、悪いキツネのトッドを描いた看板をピーターと仲間たちが見ているシーンである。

きつねのトッドのおはなしでは、彼に連れ去られたベンジャミンとフロプシーの子どもたちを助けるため、ベンジャミンとピーターがトッドの家に救出に向かうストーリーが描かれている。

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ピーターラビット・シリーズの1912年以前の見返し
フレデリック・ウォーン社
Shelk 個人蔵

当初はこのような見返しデザインだった。キャラクターたちがそれぞれ持ち物を持って配されているもので、これも非常に可愛らしい。

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『ピーターが見ている夢』
1895年 紙・鉛筆・ペン・水彩 19.1*20.3cm
ヴィクトリア&アルバート博物館(元リンダー・コレクション)

ポターの祖父母の邸宅カムフィールド・プレイスの寝室がモデルにされている。ベッドで眠るウサギは、ピーター・パイパーがモデルになっている。

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『庭の野ウサギ』
1892年 紙・鉛筆・水彩・ガッシュ 20.9*30.0cm
ヴィクトリア&アルバート博物館(元リンダー・コレクション)

1892年にポターがスコットランドに位置する避暑地のヒースパーク邸で描いた作品。ポターがベンジャミン・バウンサーと散歩をしていた時に近寄ってきた野ウサギを描いたと記録されている。ウサギの背後に描かれているのは、ウサギが好物とするキャベツの葉である。ベンジャミン・バウンサーは、ピーターのいとこのベンジャミン・バニーのモデルにあたる。ベンジャミン・バウンサーは作中のベンジャミン同様、快活な生活のウサギだったとポター自身が記録している。一方、ピーターの方は作中同様、おとなしく臆病な性格のウサギだった。

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『暖炉のそばで横たわるピーター』
1899年 紙・鉛筆・水彩 9.4*18.1cm
ヴィクトリア&アルバート博物館(元リンダー・コレクション)

暖炉の前で横わたるピーター・パイパーが描かれている。このウサギは実際にポターが買っていたウサギであり、彼がピーターラビットのモデルになっている。本作は湖水地方のダーウェント湖畔にあったリングホーム邸で描かれたことが記録に残っている。画面右下には「aug 99」とあり、彼女の生没年代から1899年8月に描かれたことが分かる。

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作品の撮影は禁止されているが、撮影することが可能なスポットも幾つか存在する。このマップは撮影可能なスペースであり、ポターが愛し、活動拠点とした湖水地方の位置関係が記されている。

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ピーターがラディッシュを食べるワンシーンの挿絵を立体物にしたもの。現代で造られたこの立体作品は、撮影が許可されている。

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ピーターが母にボタンを閉めてもらう著名なシーンを再現した立体作品。こちらも同様に撮影可能作品のひとつである。

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『ピーターラビットのおはなし』挿絵一部
Shelk 個人蔵

上記の立体作品は、『ピーターラビットのおはなし』の作中に登場する著名な挿絵の再現である。

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『ピーターラビットのおはなし』1920年代 緑色厚紙装丁
『ベンジャミンバニーのおはなし』1904年初版 厚紙装丁
『フロプシーの子どもたち』1909年初版 厚紙装丁
フレデリック・ウォーン社
Shelk 個人蔵

以上、『出版120周年 ピーターラビット展』の作品の一部を紹介した。ここでは紹介できなかったがものの、会場には挙げ切れないほどにもっと多くの素晴らしい作品が展示されているので、ぜひ足を運んでその目で見て欲しいと思う。

ビアトリクス・ポターは父方の祖父エドマンドが紡績業で財を成し、彼女の父はその巨万の富を継承した。それゆえ、父は弁護士資格を持つエリートだったものの、弁護士としての仕事を行わず、サロンに通って仲間内と会話を楽しむ優雅な生活を送っていた。母方の祖先も同じく木綿を扱う紡績業で成功し、財を成した富豪だった。ポター家は、いわゆるイギリスの産業革命の波に乗った新興富裕層であり、貴族階級ではないものの、非常に裕福な上位中流階級に区分される。それゆえ、ラファエロ前派のジョン・エヴァレット・ミレイなどとも交流があり、ポターは一時期彼を師とし指導も受けている。

だが、ポターが生きた時代は女性が外で活躍することが好ましくないことと認識されていた。ましてや作家として活動するなど、当時の上流階級の中ではあり得なかった。確かに上流階級の子女は、学問の他に絵画が嗜みのひとつとされたが、それはあくまでも趣味の範疇であり、どこかに嫁ぐ際に恥をかかないための花嫁修行の一環でもあった。また、当時の富裕層の間では子どもを学校に敢えて通わせず、自宅に家庭教師を招いて教育を受けさせることが理想及びステータスとされた。そのため、ポターには友人がいなかった。その孤独を埋めるかのように彼女は動物たちに興味持ち、彼らに囲まれて生活をするようになった。だが、彼女の動物に対する観察眼はそこで磨かれたと言える。それゆえ、5歳年が離れた弟バートラムの誕生は、彼女にとっては何よりも喜ばしいことだった。バートラムの存在は、彼が亡くなるまでポターを精神的に支えることになった。

ポターは類まれ且つ多くの才能に恵まれた女性だった。当初は植物の研究に興味を持ち、キノコに関する論文も残している。だが、女性という理由だけで評価はされず、研究者としての道に進むことは許されない不遇な扱いを受けた。それでも、彼女はそうした苦境に折れることなく、自らの道を信じて突き進んだ。ポターは女性の社会進出の先駆けとなったファーストペンギンとも言える。絵本作家としてだけでなく、彼女はビジネスマンとしての才能にも長けていた。両親及びおばから継承した財産で農場を購入し、後に農場経営者としても成功した。

とはいえ、ポターは金銭的には恵まれたものの、その人生は幸せとは言い切れないものだった。最初の婚約者は出版社の御曹司ノーマン・ウォーン(ウォーン三兄弟の末っ子)で、年下の彼のプロポーズを彼女は快く受け入れた。だが、ポターの両親は階級が違すぎるとして結婚には猛反対。それでも二人は互いを必要とし、順調に愛を育んでいたが、突如ノーマンが白血病を発症し、帰らぬ人となった。

ポターは晩年、湖水地方で農場経営社として活動するが、湖水地方のニア・ソーリーにあるヒル・トップ農場を紹介した不動産仲介業者のウィリアム・ヒーリスと恋に落ちる。だが、ここでも彼女は親の反対に合う。ポターの母はまた身分の違いを持ち出した上、自分の面倒を見るようにと結婚に猛反対し、娘の本当の幸せに耳を傾けようとしなかった。ここで弟のバートラムが味方し、自分も実はワイン商人の娘と実は籍を入れており、生活は貧しく慎ましいが、結婚は楽しいものだと告白し、姉の結婚の後押しをした。

ポターは1943年11月に気管支炎を起こして病床に伏し、1943年12月22日に77歳でその生涯を閉じた。彼女の資産は夫ウィリアムに継承された。彼女が持っていたフレデリック・ウォーン社の株及び著作権・印税は、元婚約者のノーマンの甥フレデリック・ウォーン・スティーブンズに渡された。そして、湖水地方の4000エーカーを超える土地と15個の農場と建物は、ナショナル・トラストに寄贈されることになった。ポターは生前から亡くなった際は散骨することを望み、彼女の願い通り実行されたが、散骨地は非公開にして欲しいという遺言により、散骨が行われた場所は現在でも不明である。

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『ピーターラビットのおはなし』 中表紙挿絵一部
1920年代 フレデリック・ウォーン社
Shelk 個人蔵

私は家の本棚にあったピーターラビットの絵本と祖父母宅のビデオを観て、幼いながらもその世界観に夢中になった。特に祖父母の家で観たピーターラビットのアニメーションは強烈な記憶として残っており、今でも昨日のことのように鮮明に覚えている。女性シンガーの澄んだ歌声(主題歌:Perfect Day)を背景にポターが森でスケッチをしている場面から始まる。だが、夕立ちが訪れ、彼女は急いで画材を片付け家まで駆け抜ける。冒頭は実写で、帰宅後、彼女がノエル宛に手紙を書くところからアニメに切り替わるという流れになっている。

それから時を経て、作品だけでなく作者のポター自身に興味を持つようになり、彼女に関する本を読み漁るようになった。その過程で彼女の信条に強く胸を打たれた。慈愛に満ちた人であり、これこそが自分が理想とした人間像だと確信した。ポターは自身の印税が減ったとしても本の価格を抑え、子どもたちが気軽に手に取れる本づくりをポリシーとした。彼女にとってそれは譲ることのできないものだった。私も出版にあたっては、彼女のそのポリシーを継承した。出版に際してだけではない。彼女の信条、生き方には多くの共感する部分がある。気高く、真っ直ぐな彼女の背中を、これからも私は追い続けていくことだろう。


Shelk 詩瑠久🦋


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