流されて気づく、約束の場所
村山由佳『ダブル・ファンタジー』の続編『ミルク・アンド・ハニー』を読みました。
以下、感想を少し書いて、いつもの感じに戻りますね。
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自由と引き換えに孤独を引き受けたものは、ずっとその孤独を引き受けなくてはいけないのか?
それでも満たされたいと願うのは、いけないことなのか?
奈津は体の中に「うろ」みたいなものを抱えていて、それを物質的に満たそうとしてきたようにも見える。
だが、彼女が選び取っていく出来事はあまりにも衝動的すぎるし、理解に苦しむ。
でも、理解しようなんて思うのが高慢なのではないか?
どれだけスキャンダラスなことをしていても、修羅場と呼ばれる場面においても、そういったことをしている自分を、斜め後ろからどこか冷静な目で見ている彼女は恐ろしいくらい”作家”なのだから。
彼女がこういうセリフを言っていた。
「言葉をもってる男に弱いのよ」
彼女が関係を持った男たちの多くに共通する部分だ(元夫の省吾は別としても)。
志澤、岩井、大林もそうだし、今回新しく登場する男もそうだ。
そういう意味でも彼女は恐ろしいくらい"作家"なのだ。
言葉に征服され、服従し、喜びを感じ、自身もまた言葉を武器にしているのだから。
実は途中で、この物語はちゃんと着地する場所があるのだろうか?という不安に襲われた。
奈津があまりにも流されているように見えたのだ。
でも、安心してほしい。
タイトルのように、「蜜と乳の流れる場所」そう、「約束の地」にたどり着くことができる。
これは、破壊と再生の物語でもあるが、巡礼の物語でもある気がする。
わたしたちは、何かを求めて旅に出る。
その何かが衝動から始まったものであっても、流されているように見えたとしても、安心していい、きちんと約束の地は用意されているのだから。
どうぞ、身をゆだねて最初の一ページを開いてほしい。
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田中圭ファンとして『ダブル・ファンタジー』をWOWOWで観て、そのまま原作もきちんと読み、続編『ミルク・アンド・ハニー』も読んでしまったのですが、久しぶりに小説をきちんと読む時間を楽しみました。
わたしも「言葉を持っている人」にめっぽう弱いので、なっちゃんと似たところがあります。
(あ、男性とうんぬんの部分じゃなくてね)
少し前に、「まっすぐな言葉を書く人」
でも書いたのですが、そういう言葉を書ける人じゃなかったら、田中圭という俳優にはまっていなかったと思うし、そういう意味ではわたしも
「言葉をもってる男に弱いのよ」
です(うん、なっちゃんと呼んでくれていいぞ?)
で、SNSなんかを普段見ていると、判で押したように似たようなテイストの、当たりさわりのない感じの文章を目にするのだけど、もうそういうの、おなかいっぱいだなって思って。
自分を格好よく見せようとか、仕事できるように見せようとか、頭良い人に見せようとか、可愛く見せようとか、謎の自己顕示欲が透けて見えるようになってきちゃった。
もっとまっすぐに、思ったことを、カッコ悪くても書いちゃえ!って。
まぁ、わたしもそういうポーズで文章を書いてSNSにUPしたこともあるので、過去の自分のことは棚に上げてるから偉そうに言えないんですけども…。
でも、なんていうか、みんなのカッコ悪い姿、わたしはもっと見たいです。
ほんとうは、多分そこに魅力があると思うから。
最後まで読んでくれて、ありがとう!
では、また!
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