「青臭いこと」について
何歳であれ、今の自分が最終形じゃない気がするのに、最終形にたどり着いたと思いたい、これでいいのよねと思っているあなたに観てほしい。
映画「青葉家のテーブル」を観てきた。
10連休の初日の朝に観たのだけれど、明日から仕事だ…という連休最終日の夜に観たかった映画だった。
あらすじネタバレは避けるけれど、とにかく「青臭さ万歳」な映画。
たぶん見る人によって感じるところは変わるのだろうけれど。
背伸びしないでありのままで生きよ、でもなく、
背伸びしたっていいじゃないの、人間らしいよね
みんなそりゃあ何者かでありたいよね。
センスのいいあの人には嫉妬するよね、
自分も、なにかの分野では何者かになれるんじゃないか、自分はまだそれに出会ってないだけじゃないか、
だからいろいろ試してみようっと、投げ出しても、それはただ向いてなかったからだもの・・・
そういう、青臭い気持ちを認めてくれる映画だった。
でもね、格好いい人ももともと格好いいわけじゃなくて
青臭さやもどかしさを経由して、じたばたあがいてかっこよくなったの。
ちゃんと闘った。
成果物がダサくても納得いっていなくても、
今これを出すときというときにちゃんと世に出した。
それをしないで、まだ私のはお試しだからと言い訳をしたり、他の人のほうがすごいから恥ずかしいと怯えてしまいこんでしまったら、
まともにこてんぱんにされることなくただ敗北感だけが残る。
もともとすごい人なんていなくて、最後の「えい!」をすくみながらやればかっこよくなれるかもしれないね。
私もしがないサラリーマンだし、いまやっている仕事が人生の正解なのか最終形なのかとは思えていない。思いたいけど、ちがうんじゃないと本心では思う。もどかしい、変えたい
でも他に何をやれるのかと思ったりしてすくむ。
好きなことはあるけど、ただの趣味だし、と。
でもそれでいいんだと思えた、今はね。
好きなことはあきらめず楽しみ続けて、覚悟ができたらそちらに舵を切ればいい。今の仕事の楽しい部分を全力でやって、サラリーマンとしてかっこよくあればいい。
それでもっとかっこよくなるために、はっきり最終形が見えたらまたそちらの世界でもがくことになる。
人生、欲を追ってなんぼだね、
その夢追いを青臭いと表現されるなら、青臭さ万歳です。
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