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書評;小説『LESS レス』…この世界でゲイであることの困難と喜びが生まれる可能性


ピュリッツァー賞を受賞した小説『LESS レス』(アンドリュー・ショーン・グリア著、上岡伸雄訳、早川書房)は、アラフィフのゲイの小説家の、愛すべきぎこちなさに満ちた世界旅行をたどる旅小説である。同時に、風刺と人間味に溢れたコメディでもあり、後悔と孤独に彩られたロマンスでもある。

訳者あとがきによれば、ゲイである著者はこう述べているらしい。

この世界でゲイであることの困難を認めるとともに、そこに喜びが生まれる可能性を示す本を書きたかった

なんということだ。読み終わった今、それは、大成功していると言うしかない!

冴えない独り身の中年ゲイ作家が世界をめぐる

大雑把にいうと、ストーリーはこうだ。

まもなく50歳の誕生日を迎えるゲイの主人公、アーサー・レスは小説家だ。新作の小説は出版社から出版を断られてしまい、いまいちどこか足りない日々を送る。

その主人公の元恋人の男が別の男と結婚式をあげることになり、レスも招待をもらった。でも自分は絶対にそんな式になんか参加したくない。そこで、式への出席を断る口実を得るために、海外での仕事の予定を入れまくり、世界を巡ることにした。元恋人のことなど思い出すことはないだろうと確信しながら長旅に出る。

旅先ではことごとくトラブルが起き、レスの予定どおりに事は運ばない(自分が遭遇したら泣きたくなるが他人事なら笑える類のやつばかりだ)。米国からメキシコ、イタリア、ドイツ、モロッコ、インド、日本をめぐり、出会う人々の機微に触れたり触れなかったりして、あの結婚式をやりすごすのだ(個人的にはモロッコのエピソードがお気に入り)。

アーサー・レスは、歳を取った最初の同性愛者である

この小説には、奇妙な一文がある(「アーサー・レスは、歳を取った最初の同性愛者である」)。その意味は、続きを読めば、すぐにわかる。

アーサー・レスは、歳を取った最初の同性愛者である。(略)ほかに五十歳を過ぎたゲイの男は見たことがない。(略)あの世代はエイズで死んだのだ。レスたちは、五十歳を過ぎた領域を探索する初めての世代のように感じられる。

エイズ禍という悲劇に見舞われた、レスよりも年上の世代。そして、同性婚が実現している時代に青春の二十代を生きる、レスよりひとまわり年下の世代。彼らにもそれぞれ困難がある。

一方、アーサー・レスはそのどちらの世代でもない。

つまり、二十代の青春時代に「恋愛から結婚へ」という典型的な「喜びが生まれる可能性」を持ち得ないまま、五十歳を超えても「グランドセントラル駅で迷子になっている」ように生きることになったのが、レスの世代なのだろう。ロールモデルなく年齢を重ねていく、そのよるべなさが、ゲイであることのひとつの困難なのではないか。

年齢を重ねるということ

もしもあなたが異性愛者で結婚に前向きなら、年齢を重ねるということは、結婚式で子どもから感謝の言葉をもらって涙することかもしれないし、孫から「ながいきしてね」とクレヨンで描いた似顔絵をもらうことかもしれない。

しかし、同性愛者にとって、年齢を重ねていくとはどういうことだろう?(あるいは、文科省認可の家庭科の教科書の挿絵に描かれるような家庭のあり方をめざさない異性愛者にとっては?)

この作品を読み進めれば、アーサー・レスと旅先の人物との邂逅から、そのヒントのようなもの(答えではない)を教えてもらうことができるような気がする。

「誕生日おめでとう!一緒にクソだめに向かって落ちていきましょう」
「ほとんど五十歳って、変な感じだろ?ようやく若者としての生き方がわかったって感じるのに」
「そう!外国での最後の一日みたいですよね。ようやくおいしいコーヒーや酒が飲める場所、おいしいステーキが食べられる場所がわかったのに、ここを去らなければならない。しかも、二度と戻って来られないんです」

自己肯定感に乏しそうな五十歳のアーサー・レスと、エネルギーにあふれる猛者たちのやりとりは、悲哀と諧謔にあふれていて、とにかく愛おしいと感じる(ラストで、それは頂点に達する)。今アラサーでゲイの自分が、若者以上・中年未満の今のタイミングでこの作品に出会えたことは、今年得られた幸運の中で2番めくらいに大きいかもしれない。



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