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「鉄人兵団」のアイディアはここから始まった?『鏡の中の世界』/かがみの国ののび太②

大長編ドラえもん、すなわちドラえもんの映画が好きだった。何度も書いているが、僕が初めて映画館で見た映画は「ドラえもん のび太の恐竜」だったし、二度目に見た映画は「ドラえもん のび太の宇宙開拓史」であった。

その後大学生時代には年間300本とかの映画を映画館で見るようになる僕だが、その第一歩は「ドラえもん」の映画であったのだ。

そして大長編ドラえもんで最も重要なことは、どの場所が舞台となるか、ということだった。一作目は「恐竜時代」、二作目は「宇宙」、その後は「ジャングル」、「海底」、「魔界」、「小さくなった世界」と続く。毎年、次はどうなるんだろうと、胸をワクワクさせた。

そして7作目、「ドラえもん のび太と鉄人兵団」は、「かがみの中の世界」であった。(さらにその後は「地下」「石器時代」「動物の世界」「アラビアンナイト」「空」「おもちゃの世界」「夢の中」・・・と続いていく)

大長編ドラえもんの世界では、色々な不文律があるのだが、その一つに、のび太たちが大冒険した痕跡が現実社会に影響を及ぼさないというものがある。

その鉄則をクリアするために、毎回、タイムマシンに乗ったり、宇宙に行ったり、人目に触れない地下や海底に潜ることになる。その意味で考えていくと、「のび太と鉄人兵団」は、現実の地球に宇宙人が攻めてくるという、一般市民に影響を与えそうな設定となっている。

現実の地球が襲撃されるのに、その影響を市民に与えない。そうした難解な方程式をクリアしたのが、「鏡の中の世界」を作り出して、そこに敵をおびき寄せるというアイディアであったのだ。


本稿で取り上げるお話は、そうした「鏡の中の世界」がどういうものかを紹介するようなお話となっている。まるで大長編の習作のようなお話のようにも思える。

よって中身としてはタイトルほどに大冒険する展開にはなっていないのだが、藤子流の「鏡の中の世界」の構造を理解するためには、非常に重要な一作と言えるだろう。


ちなみに、前稿では本作とは全く異なる謎の世界としての「鏡の国」が登場する異色篇を取り上げた。こちらも注目しておいてほしい一作である。



『鏡の中の世界』(初出:のび太の鏡の中の世界)
「小学三年生」1982年6月号/大全集13巻

本作は扉を入れて24ページの中編だが、物語よりも世界観が重要であると考えているので、その点だけかいつまんでいく。

事のきっかけは、全く持って良くある話。ジャイアンに追いかけられ、「会うたびに殴る」と宣言されてしまうところから始まる。のび太は「もう一生家の外に出ないもん! 死んでも出ないんだ!」とべそをかくが、小学生はそうはいかない。

教室に入ってしまえばジャイアンでも手が出せないだろうということで、ドラえもんは「入りこみ鏡」という、頭がすっぽり入りそうな大きさのガラスを出す。

ガラスの端にはボタンが付いていて、これを押すと鏡になる。この中に入りこむと、そこが鏡の中の世界。左右あべこべになっていて、「入りこみ鏡」のボタンを再度押すと、元の世界から入りこみ鏡は消えてしまう。


鏡の中の世界には、なぜか人間の姿(生物全般?)はない。のび太が「どうしていないの」と尋ねると、ドラえもんはひと言「説明すると長くなる」と、原理説明をそこで打ち切ってしまう。

本当に長い説明が必要だったのか、まるで原理を考えていなかったのかは謎である・・。

鏡の中の世界にも、鏡があるのだが、そこには現実世界の様子が写し出されている。これが大きな特徴である。

ジャイアンにも出会わずに教室に到着し、そこで再度「入りこみ鏡」を抜けると現実世界に戻ってこれる。こうしてのび太はジャイアンの待ち伏せもかわして教室へ、ジャイアンとスネ夫はのび太を待っていたせいで遅刻してしまうのであった。


さて、こんな便利な道具を入手して、簡単に手放すのび太ではない。ドラえもんは「いつまでもこんなものに頼らずに」と鏡を一度取り上げてしまうが、ママが買い物を頼んできたのに乗じて、もう一度「入りこみ鏡」を出させて、そのまま鏡の中の世界に潜り込んでしまう。

誰にも邪魔されない環境を手に入れたのび太は、自分をいじめたジャイアンとスネ夫を懲らしめようと考える。

まずスネ夫の家へ潜入し、スネ夫の豪華なおやつを平らげてしまう。そしてその場に「ミラー貝入」という紙を残す。後にわかるが、この謎のメッセージは「ミラー怪人」と書き残したかったのである。


次にジャイアンの部屋に入りこみ、部屋中を物色してこれまで取られたものを奪い返す。のび太が部屋を汚くしたので、ジャイアンのママはカンカンとなり、ジャイアンを追い回す。ジャイアンは空き地の土管に身を隠すが、のび太はママに居場所を告げ口して、ジャイアンは見事に捕まり、ボコボコにされてしまう。

この時残した紙には「わるものはこうなるのだぞ ミラー貝入」と書かれている。鏡の中で書いたから「入」になったのかと一瞬思うのだが、ミラーはきちんとかけているので、単純に誤字であろう。


さて、お次はしずちゃんと一緒に鏡の中の世界で二人っきりで遊ぼうと考えるのび太。ちょうどしずちゃんは部屋でバイオリンの練習をしているのだが、相当酷い音らしく、近所から叱られたのでやめてほしいとママに言われてしまう。

しずちゃんは、ピアノよりもバイオリンが大好きなのだ。(典型的な下手の横好きなのである)

そんなしずちゃんの願いを叶えるべく、のび太は鏡の中に案内することに。この時も「ミラー貝入」と名乗るが、ようやくのび太は怪人の間違いだと気がつく。


さて、鏡の中にやってきたしずちゃん。「遠慮なく思いっきりデカい音で」とのび太に背中を押されて演奏を始めるが、これがブギ~~と、ジャイアンの絶叫に近い騒音で、のび太はとても聞いていられなくなる。

ということで、「いつでも弾けるから」と別の遊びに誘うのび太。人がいては出来ないことをやろうということで、本屋で漫画の立ち読み、パチンコの試打、映画鑑賞(おそらくスター・ウォーズ)、道路の真ん中で寝そべったり、普段なら料金のかかるボートに乗ったりする。

こういうところが、子供の憧れを誘う藤子先生らしい描写である。「大長編ドラえもん」の冒頭の方のシーンにもよく似た場面が描かれる。


空き地でボール遊びをしていると、土管に傾けて置いてあった「入りこみ鏡」にボールが衝突し、粉々に割れてしまう。この鏡は元の世界に戻る唯一の出入り口で、これでは鏡の中に取り残されてしまう。

セロテープで繋いでみても、テープが邪魔で鏡を通れない。のび太は大泣きを始めてしまうが、ここではしずちゃんが、「ドラちゃんが助けに来てくれる」と冷静に慰める。さすがである。


一方、いつまで経っても鏡の世界から戻ってこないのび太を心配しだすドラえもん。しかし、のび太がしずちゃんと一緒とは知らないので、どうせ帰って来るだろうと捜索はしないままに夜になってしまう。

そこでのび太たちは、小さな破片となった鏡から手を出してドラえもんに気付かせて助けを求める。鏡が割れてはどうしようもないと、ドラえもんは大慌て。

「どこでもドア」でいける世界じゃなし・・・。「タイムマシン」じゃなおさらだし・・・。どう考えても絶望だァ!!

と、取り乱す。

ここでのセリフは僕としては重要で、鏡の中の世界は、現実世界からでは「どこでもドア」(=距離の移動)でも、「タイムマシン」(=時間の移動)でも辿り着かない世界だと定義をしている点に注目したい。

言っていることはそれほど新しいことではないのだが、「鏡の中の世界」は現実の世界から「鏡」を通じてのみ移動できる特殊な世界であると、読者に伝えている部分なのである。

「現実から独立した世界=鏡の中の世界」という設定を明確にし、本作の3年後に描くことになる「のび太と鉄人兵団」の布石にもなっているように僕は感じられるのである。


さて、この絶体絶命の状況下で、今回はずっと冷静なしずちゃんがひと言。

ちょっと考えたんだけど・・・。「スモールライト」を使ったらどう?

現実世界から鏡を通じて「スモールライト」をのび太たちに浴びせて小さくし、割れた入りこみ鏡でも通過できるようにする。何とか帰還したのび太は、小さいままドラえもんに謝り倒すのであった。

なお、「スモールライトで小さくなった世界」は、本作の2年後に執筆される「のび太と宇宙小戦争」の舞台となるのだが、これもこの時発案したんだろうか? さすがにそれは違うか。




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