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魔美、男女の機微を知る『春の嵐』/考察エスパー魔美⑦

『春の嵐』「マンガくん」1977年7号/大全集1巻

何度か「エスパー魔美」の考察で書いているが、藤子F先生は「エスパー魔美」の執筆にあたり、主人公を中学生に設定して、大人の世界にも活躍の場を広げようと考えていた

超能力の設定にフォーカスした話を終え、具体的な「大人の」エピソードに入っていくのだが、まず第4話『名画(?)と鬼ババ』で「お金と幸せ」というテーマを描き、次に第6話『くたばれ評論家』では「芸術家と批評家」の対峙という題材を選んだ。両方とも「ドラえもん」では踏み込めない大人領域のテーマを選んでいるものと思う。

今回考察していく第7話『春の嵐』は、「お金」に並ぶ大人にとって大事な主題ということで、「男女の結びつき」をテーマとしている。もっとも、魔美はまだ恋愛体質になる前の中学生であるという設定なので、作中、男女の機微は理解できない。よって、魔美は男女の感情の揺らぎを乱暴に「メロドラマ」だと表現して、本質には踏み込まない。あくまで大人の世界を覗き見る子供視点の話になっているのである。このあたりの匙加減は感心してしまう。

また、ラストでパパが添える一言があるのだが、これが作品の隠れた味付けとなっている。この点も最後に触れておきたい。

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今回の魔美はパパとのドライブで始まる。中古で買って5年目の赤い小型車で、ポンコツ、ポンコツ、と今にも壊れそうなエンジン音で走っている。魔美がドライブの目的地を問うと、パパは粋な台詞を吐く。

「目的地? 野暮なことを言っちゃいけませんよ君。行く手定めぬ春の旅。気に入った風景が見つかったら、そこが目的地だ。車を止め、イーゼルを立てようよ」

と、のんびりスタイルの魔美たちに、後ろから飲酒運転丸出しのジープが猛スピードで迫ってくる。一本道で避けられる場所もなく、最高40キロの速度制限がかかった車ゆえ、先に進むこともできない。クラクションを散々鳴らしたのち、ジープは魔美カーの背後からぶつかり、わき道へと押し出してしまう。

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これには怒り心頭のパパだが、もちろん、戻ってくる恐れがないと見切ってのけんか腰なのであった。何とか押し出された車を道路へと戻す魔美とパパ。そこに一人のスラリとした長身の美人が声を掛けてくる。「どこでもいいから車に乗せて行って欲しい」と。

女を乗せて走る車中。魔美はこの女性から春らしからぬ重苦しい空気を感じ取る。それが何かは読み取れないのだが、これはまだ魔美が男女関係の悩みというものを知らないゆえである。

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走っていると急に視界が開けて、創作意欲の湧くパパ。そこで女性は降りるのだが、そこに後ろから男性が駆け寄ってくる。「待ってくれ」と叫ぶが、女もまたどこかへと走り去ってしまう。パパは呑気に、

「若い男女が戯れている。春だねえ!」


パパは予告通りイーゼルを立てはじめ、魔美は春の野原の散歩へと繰り出す。草団子用のヨモギを摘んでおいてと頼まれつつ。

春を謳歌していると、先ほどの女性と同じ冷暗な思考波を感じ取る魔美。思念の先を追うと、さっきの男女が微妙な距離を開けて深刻な顔で座り込んでいる。魔美は様子を伺うが、テレパシーは発動してくれず何を言っているのか聞こえない。

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そこにコンポコの鳴き声。フャンフャンという声で「そろそろお昼?」と聞き取ってしまう魔美。犬相手のテレパシーは完璧である。「オヤジさんがお腹を空かす頃だ」と走って戻り、お弁当の用意をする魔美。ところが、お茶を家に置き忘れてきたことに気が付く。

「ひとっ走り取ってくる」と、前作で高畑から貰った「テレポーテーション・ガン」を使って、魔美は家へと戻ることにする。魔美は「こんな時エスパーになって良かったと思う」と言っているが、読者としては「エスパーになりたい!」と強く思わせるシーンである。

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「飯はまだか」としびれを切らしたパパだが、丁度よくお弁当とお茶の準備は完了させる魔美。食事をしながら、ヨモギのことを気にするパパ。よほどヨモギ団子を作りたいらしい。

食後、魔美は先ほどの男女のもとへと戻ることにする。魔美は彼女たちを「メロドラマ」と表現しているが、まだ男女の物語は、魔美にとってテレビドラマの中の世界である、という意味合いと考えていいだろう。

昼を挟んで、まだ二人は重苦しく座ったままであった。どんよりと暗い影をスクリーントーンでばっちりと表現している。ここで二人の関係がようやく明らかにされる。

・男性と女性は結婚をしようと考えている(考えていた)。
・女性は身寄りのない孤児院出身で、中学しか卒業していない。
・それにより男性の母親に結婚を反対されている
・踏ん切りの付かない男性に対して、女性は駆け落ちを提案している。
・男性は一人息子として、そうした行動を取ることができない
・男性は誰とも喧嘩できないいい子で育っている(少々過保護)。

と、これほどの情報をあっと言う間に説明してしまう。

煮え切らない男の態度に呆れて女性は立ち去ってしまう。二人を覗き込んでいたことが女性にバレ、バツが悪くなってヨモギを探すフリをする魔美。ヨモギ探しが、すっかり繰り返しギャグとなっている。

魔美は男らしくない男とは、別れた方が幸せかもと考える。このようにして中学生女子は、恋愛や男女関係を知っていくのである。

1人で歩く女性(名は和子)に、冒頭でジープに乗っていたワルたちが、目を付ける。嫌がる女性を無理やり車に乗せて走り出し、魔美とコンポコは、女性から発せられた不穏な空気を感じ取る。困った人の念波がベルとして聞こえるようになるのは少し先だが、既にそうした伏線が張られ始めていると見ていいだろう。

「誘拐事件、110番!」と動き出そうとする魔美を、なぜかコンポコが制止する。魔美は、「まず恋人に知らせるべきだと言うの?」などとコンポコとまるで対人間のような会話をしており、やはり犬とのテレパシーは完璧である。それにしてもコンポコの方が男女の機微を良くわかっている。

まだ頭を抱え込んでいる男に誘拐されたことを知らせると、男は躊躇せず鉄砲玉のように走り出していく。本当に愛していることが、この行動力で良くわかる。魔美は男を女を連れ去ったジープの前へとテレポートさせる。急ブレーキで止まる車から、女性は男のもとへと逃げ出す。男の名は一郎であることがここで判明。

さあ、ここで男は悪漢たちに女を賭けて立ち向かう!

が、もともと坊ちゃん育ちの一郎は、悪のリーダーに全く歯が立たない。ワル男は刃物を取り出し、女を置いていかないと殺すぞと脅す。「早く逃げて」と和子は一郎に説くが、既にボロボロの一郎は、逆に気合を入れなおす。

「今わかったんだ。君を失うぐらいなら、死んだ方がいい」

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いよいよ魔美の出番到来。よろけながら悪漢に挑もうとする一郎に助太刀するべくテレキネシスで男どもを次々と投げ飛ばす。ところが4対1の入り組んだ乱闘となって、うまくテレキネシスを使うことができなくなる。

訳が分からなくなったその時、急に突風が吹きおこる。テレキネシスで空気を動かした結果、嵐を呼ぶことができたのだった。魔美は大風で男たちを吹き飛ばす。一人の男がジープに乗り込んで一郎に襲い掛かるのだが、魔美は車もテレキネシスで宙に浮かせて、クシャミの拍子で分裂エネルギーを発動させてバラバラにしてしまう。

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男たちは逃げ出していく。何が起きたのか驚くばかりの一郎に対して、和子は一直線に抱きついてくる。この男女の対比が少しばかり泣ける。そんな二人をみて、これからうまくやっていけると思う魔美。

と、そんな魔美の手には、ヨモギが包まれていると思われるハンカチが。いつの間に摘んだのだろうか・・。

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ラスト。魔美のパパは、自分が絵を描いている間に起こったことを全く知らぬままで、魔美の採ったヨモギの量の少なさに呆れるばかり。最後までヨモギが絶妙な小道具として登場している。

またポンコツというエンジン音で帰宅の途につく魔美とパパ。そこで唐突に「世はすべて事もなしだ」とパパが一言添えてお話は閉じる。今回読み直すまであまり気にしていなかったのだが、実はこの一言にはきちんと意味がある。

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「世はすべて事もなしだ」は、翻訳家の上田敏『海潮音』の中で取り上げているロバート・ブラウニングの『ピッパが通る』からの一節、「春の朝(あした)」に基づく。下記に引用してみよう。

時は春
日は朝(あした)、
朝は七時(ななとき)、
片岡に露みちて、揚雲雀(あげひばり)なのりいで
蝸牛(かたつむり)枝に這ひ
神、そらに知ろしめす。すべて世は事も無し。

本作のタイトル「春の嵐」は、この一編を参考に付けられている可能性がある。また、『ピッパが通る』は、町に溢れる悪人をピッパが改心させていく、というような流れなのだが、本作は「改心」まで至らないものの、やはり悪人たちを懲らしめる話となっている。

ちなみにこの詩は「赤毛のアン」のラストでも引用されているのだが、魔美は赤毛がウリであり、「エスパー魔美」のパイロット版では「赤毛のアン子」という役名であった。ラストでの何の説明もないパパの発言は、つい読み飛ばしてしまいがちであるが、こうした知識・教養を踏まえているということを、Fマニアとしては見逃せないのである。


エスパー魔美の考察、細かくやっております。下記のリンク集からご興味あるところへ飛んでもらえれば幸いです。


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