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タンポポ空を行く/ためになる!のび太の観察日記①

少し前のテレビ番組で、現役東大生が選ぶタメになるマンガランキングで「ドラえもん」が1位に選ばれていた、らしい。

その番組を見てないので選出理由は不明だが、何となく想像はつく。「ドラえもん」の世界では、時おりF先生の博学さを背景とした、科学的な物語が展開される。しかも、子供の情感にきっちりと訴求する分かりやすさと知的好奇心に満ちている。

この知的好奇心というものが非常に重要で、宇宙だったり深海だったり時間の流れだったりとテーマは多岐にわたるが、何かもっと知りたい、もっと勉強したいという気持ちにさせてくれるのである。

そのあたりの勉強に向かわせる力を東大生たちは評価していたのではないかと思われる。

今回から3回に渡って、のび太が「観察」する物語を取り上げていくのだが、それらもまた、若い読者の知的好奇心を高める作品ばかりである。作中、のび太自身も勉強をする気になったりしている。

そんな「ためになる」作品をご紹介していこう。


『タンポポ空を行く』(初出:ファンタグラス)
「てれびくん」1979年6月号/大全集19巻

とある日。去年カブトムシを飼っていたガラスばちの中で、タンポポが育っているのをドラえもんが見つける。のび太はあっさりとそれを捨てようとするので、ドラえもんは呆れる。

「やっと育った花の命を君は無残にも・・・」

のび太は「たかがタンポポでそんな大袈裟な…」とそっけない。ドラえもんは生き物や自然を愛することの大切さを説くが、まったく理解されない。

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そこで、「ファンタグラス」という道具を取り出して、ビジュアルとして動植物のことを理解してもらおうと試みる。この「ファンタグラス」は、この眼鏡をかけると植物や動物が擬人化されて見える。童話の世界の登場人物のようになるのである。

このグラスでタンポポを見ると、捨てられると聞いて泣いている。そこで庭に植えかえるかと提案すると、嬉しそうに笑うのだった。

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タンポポを庭の日当たりのよいところに植え直し、水をやると、それを見ていた庭中の木々も水が欲しいと言い出す。最近雨が降っておらずノドがカラカラなのだという。そして仕方なく水まきをしていると、屋根の上の猫たちが、

「見て見て、怠け者ののび太が。雨でも降るんじゃないかしら」

と手厳しいコメント。すっかりやる気をなくすのび太だったが、ドラえもんは、「本当に猫がしゃっべっている訳ではなく、のび太が心の底で思っていることだ」とフォローする。

ただ、この説明は一部納得できるものの、やはり動植物が実際に思っていることではないかとも考えられる。というのも、物語の後半でタンポポが、いかにしてのび太の部屋にやってきたかを語るのだが、そのお話はとてものび太の脳内で作ることのできるレベルではないからだ。

ではドラえもんは、間違った説明をしたのだろうか。

僕が思うには、本作を単行本に収録するにあたって、特に後半部分を大幅に加筆したことが影響しているだろうということだ。タンポポが綿毛に対して語った自分の半生の部分は、まるっと書き足されている。第三者では知りえない情報を語るシーンを後から付け足されてしまったので、「ファンタグラスを掛けている者の心の声が聞こえる」という設定から逸脱してしまったのだろう。

なので、この辺りの矛盾は、加筆修正で出てきた部分と結論し、いったんこの設定は深く考えずに読み進めたい

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のび太は拗ねて部屋で寝そべっていると、アリの行列を見かける。どら焼き狙いかと思ってファンタグラスをかけると、

「怠けていると今にきっと後悔するぞ。のび太みたいにならないように。せっせ、せっせ」

と働いているのだった。それを聞いて、のび太は自ら勉強机に向かう。ママは「気が変になったんじゃないかしら」と驚くのだった。

以降、のび太とタンポポとの交流が深まっていく。水をやったり、嵐が吹けば植木鉢を被せて飛ばされないように押さえてあげる。タンポポはのび太に感謝しつつ、やがて立派な花を咲かせる。のび太は、タンポポとゆっくりと会話する時間が楽しくて仕方がない。

けれど、深くタンポポに入れ込み過ぎたのび太は、ジャイアンたちの野球の誘いを断り続け、内に籠っていく。ドラえもんに、たまには皆と野球をするよう勧められるのだが、のび太は

「僕は自信のないことには手を出さないんだ」
「じゃ、自信のあることって何だ?」
「え~・・・・・・。何にもない」

と、ふて寝してしまう。

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のび太がこうして自分の世界に閉じこもってしまうことは何度もある。過去のおもちゃを見つけて幼児返りしてしまう『あの日あの時あのダルマ』や、森の中から出ようとしなくなる『森は生きている』など。こうした展開となるときは、たいてい感動的なラストを迎えるパターンが多いのだが、本作はどうなるのだろうか。


タンポポは成長し、花は綿毛となる。タンポポにとって、綿毛の一つ一つは子供。子供たちは独り立ちして、みんな次々と空へと飛んでいく。広い世界のどこかで、きれいな花を咲かすのだ。

ところが一本の綿毛が、タンポポから飛び立とうとしない。「いつまでもママといるんだ」と、泣いている。「勇気を出さなきゃ」と説得するが聞き入れない。のび太はその様子を見て、タンポポのお母さんも大変だと思う。

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その夜。のび太はタンポポの坊やのことが気にかかって眠れない。そこで、「ファンタグラス」を掛けて、タンポポたちの様子を伺うことにする。すると、タンポポのママが、自分のこれまでの来歴について語りだす。この部分、感動的なので、ほぼ全文引用する。

「ママも風に乗って飛んできたの。遠い遠い、山奥の駅のそば」
「ある晴れた日、大勢の兄弟たちと一緒に飛び立ったの」
(怖くなかった?)
「ううん。ちっとも。初めて見る広い世界が楽しみだったわ
「疲れると列車の屋根に降りて、ゴトゴト揺れながら昼寝したの」
「夜になるとちょっぴり寂しくなって泣いたけど、お月様が慰めてくれた」
「高く昇って海を見たこともあるわ。青くて広くてとってもきれいだったわよ」
「やがてこの町について、のび太さんのお部屋に飛び込んだの」
(ママ、旅をして良かったと思う?)
「もちろんよ。おかげで綺麗な花を咲かせて、坊やたちも生まれたんですもの

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翌日。そよ風が吹いて、坊やは旅立つ。それを見て心配になったのび太が、グラスとタケコプターを付けて綿毛を追う。「大丈夫かい」と声をかけると、

「うん。思ったほど怖くない」
(どこへ行くつもり?)
「わかんないけど・・・、だけどきっとどこかで綺麗な花を咲かせるよ」
「ママに心配しないでと伝えて」

(がんばれよう)

旅立つことが怖くて泣いていた姿はもうない。勇気を出して一歩踏み出すその姿は、感動的だ。タンポポの綿毛であっても。

のび太は地上に戻り、野球をしているドラえもんたちを見かける。

「僕も・・・、入れてもらおうかな」

このセリフの「僕も」の部分が胸を打つ。タンポポの坊やも勇気を出して飛び立った。「(それなら、)僕も」。そういう意味合いである。

自信があってもなくても、やらなくちゃいけないことがある。

のび太の少しだけ前向きなつぶやきが、僕の胸をぐっと締め付ける。

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