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世界を創造できても、コントロールはできない『地球製造法』/私は神さま⑧

考えてみると、物語を創造するクリエイターは、その物語世界の神さまであると言える。

世界の設定を定め、登場人物(キャラクター)を作り、彼らを交錯させてドラマを描いていく。作者の思い一つで、その世界はいかようにも創造されるし、キャラクターは生きることができる。まさしく森羅万象をつかさどる神そのものだ。

よって、「ドラえもん」の世界を創った藤子先生は、のび太やドラえもんにとっての神さまである。藤子先生の意志によって、のび太はぐうたらにもなり、頑張り屋にもなりうる。藤子先生の筆次第でひみつ道具をうまく使いこなすこともできれば、間違った使い方をして痛み目に遭わせることも可能なのだ。

けれど、のび太がいきなりテストで100点を取れるような勤勉なキャラクターにすることは、物語上ありえない。急なキャラ変更は読者も混乱するし、物語自体が破綻しかねない。

そう考えると、藤子先生が「ドラえもん」世界の神さまだとしても、何でもかんでも自分勝手に世界をいじくったり、キャラクターを動かすことはできないと言えそうである。

さらに考えていくと、私たちが住むこの宇宙や人間を創造した神さまも、きっと私たちに対して、自分の思い通りにならないと感じているのかもしれない。世界の創造はできても、世界のコントロールは不可能というわけだ。



本稿で紹介する作品は、「ドラえもん」の『地球製造法』という短編。一言で言えば「のび太が世界を創造するお話」なのだが、自分が作り出したからといって、その世界は思い通りに動かすことはできないとのび太は知ることになる。

創造主が世界を思うようにできないという皮肉。これは物語を創っても勝手にはキャラクターを動かせないという藤子先生の気持ちも込められているのではないかと思わせる作品である。


「ドラえもん」『地球製造法』(初出:地球せいぞうそうち)
「小学三年生」1973年3月号/大全集3巻

事の発端は、いつものようにスネ夫やジャイアンにバカにされて、口から出まかせを言ってしまうところから・・・。このパターンの作品だけ集めて記事にしてみたいくらいの頻度で登場する。(「のび太の恐竜」など)

今回はプラモである。スネ夫は自走して目を光らせる怪獣仮面、ジャイアンはミサイルが飛び出す宇宙戦車を作って自慢する。ところがのび太は、簡単に作れてしまうミニミニ飛行機を持ってきたので、程度が低いなどと言われてしまう。

負けず嫌いののび太。「実は今すごいのを作りかけている」と出まかせを言う。さらに付け加えて、

「世界で初めてという、珍しい面白いすごいのを作ってんだぞ!」

と、どんだけって程にハードルを上げてしまう。


のび太は当然、ドラえもんに頼ることになるのだが、なんと未来の世界にはプラモなんかないと言う。・・・この設定はあっさりと別作品で覆されるが、なかなか驚きの事実だ。

のび太が「なんか作らないと嘘つきになる」といってドラえもんのポケットを探ると、プラモのような箱に入ったものが出てくる。しかしこれはプラモではなく、「地球セット」という道具らしい。

のび太は地球儀ならつまらないと思うのだが、実はこの地球は「本物」で、海や陸、そして生物も住んでいるという。小さいながら、この地球とそっくり同じものができる道具だというのである。本物と聞いて大興奮するのび太。


地球セットのパーツは以下の通り。
・宇宙台紙
・ちりAとちりB
・ガス
・太陽ランプ
・宇宙時計
・観察鏡
わざわざ「ちり」が2種類あるのが芸が細かい。

地球が生まれて育っていく姿が見れるセットということで、教育目的の道具なのかもしれない ただ、生物が生まれてしまう点は、倫理的にどうなのか気になるところではある。


作り方も極めて簡単。宇宙台紙を広げて、その上にちりAとちりBを撒き、ガスを混ぜる。太陽ランプのライトを当てて準備OK。そこで宇宙時計の針を進めると、少しずつ地球が形成されていく。

本作のポイントはここからで、実際の地球がどのように作られていったかを、のび太の視点を借りて、読者に分かり易く紹介していくところだろう。こういう科学的な描写が、「ドラえもん」などの藤子作品の魅力の一つである。

ちりとガスが渦巻いて固まり、火の玉のような地球ができる。時間を進めるとやがて冷えてくる。そこで「観察鏡」の出番。観察鏡を覗くことで、地表で何が起きているかをモニターすることができるのだ。

なお、のび太はこの時点で、「地球を作っているから見に来い」とスネ夫たちに電話をしている。スネ夫たちは「バカじゃないか」とあまり相手をしていない様子。地球を作るという突飛な発想についていけず、この後もなかなかのび太の家にやってこないのだが、これがオチへの伏線となっている。


地表では火山の活動が始まり、大雨が降り、海ができる。海中には生物が生まれ、増殖し、形も複雑になっていく。そして植物が現れる。宇宙時計は1億年につき1分進むということだが、ここまで地球誕生から40分。40億年が経過したことになる。

今の地球は生まれて45億年と言われる(これを始めて知ったのは本作がきっかけである)。つまり、今から5億年前の世界がのび太の目の前にあることになる。さらに時計を進めて3億年前。トンボの先祖が飛んでいる。古生代が終わり、中生代へと進む。

中生代と言えば、ご存じ恐竜時代のこと。藤子先生は、大の恐竜好きで、どんな作品でも色々な形で恐竜を登場させているのだが、特に中生代を描くことが、生きがいであったようにも思える。

以前、恐竜についての記事を書いており、時代の区分についてもまとめているので、もしよろしければこちらを。。


恐竜時代となり、のび太は「こういう世界をじかに見たい」と言い出す。これはすなわち、藤子先生の願望そのものなのだが、ドラえもんはそれを叶えてくる。

なんと、観察鏡のスクリーン部分を外してそこに入り込むことで、体が小さくなって、地球の上に遊びに行くことができるのである。観察だけではなく、体感もできる。「地球セット」はなんて素晴らしい道具なのであろうか。


のび太は自分の作った地球の上に降り立つ。岩や木などここにあるものは全てのび太が作り上げたもの。のび太は大喜び&大はしゃぎして、

「じゃ、つまり僕は、この世界の神さまだ!!」

とそこら中を走り回る。

そんな動き回るのび太を、ドラえもんが「シーッ」と言って制止する。岩の向こう側に恐竜、ティラノサウルスが餌を探していたのである。のび太は「だってあれ僕が作ったんだろ」と不満そうだが、ドラえもんは「本人はそんなこと知らないもの」と返す。

ここでの二人の会話は、僕としては非常に興味深い。世界を創った者が、必ずしもそこに生きる者をコントロールできないという事実が、あっさりと描かれているからだ。


ともかくも、無数の恐竜を目の当たりにして、のび太は大感激。こういう景色をジャイアンたちに見せて驚かせたいと思うのである。

・・・とここで、思わぬ事件発生。

のび太の部屋に入ってきたママが、「お部屋に粘土なんか持ち込んで!」と激怒りしている。別に粘土くらい良さそうなものだが、ママは「捨てちゃうます」と言って、のび太が作った地球を窓の外に放り投げてしまう。

いくら粘土だとしても、2階の窓から物を捨てるのは止めた方がいいかと思うシーンである。


地球は地面に落ちて道路へと転がっていく。のび太たちからすると、地球がいきなり回り出し、大地震が来たかのような大騒ぎとなる。そして、一瞬収まるのだが、この時地球内部には異変が起きていた。

恐竜たちが大慌てで逃げていく。そして地鳴りがしたかと思うと火山が一斉に噴火する。大きな地割れができて、このままではのび太たちもただではいられない。

ところが出口があった場所に行っても何もない。ママが地球を観察鏡から分離させてしまったからだ。これはつまり、この地球からは帰れないことを意味する。


「冗談じゃない、無責任な!」、「来てみたいと言ったのは君じゃんか!」と言い争うのび太とドラえもんだが、そこへ一匹の恐竜が目の前に現れる。餌を探し続けていたティラノサウルスである。

恐竜に追われる二人。全力で走って逃げるが、のび太の力は尽きてしまう。と、そのタイミングで、偶然にも走って来た車が地球をポンと跳ねて、ママが捨てたルートと逆回しするようにのび太の部屋へと舞い戻る。

ドラえもんの目の前に出口が開き、間一髪滑り込む。そして脱出するやいなや、地球がドドド・・と煙を巻き上げ、ドカンと大爆発を起こす。地球は散り散りとなり、のび太たちは真っ黒け。作った地球は泥の固まりへと見すぼらしく姿を変える。


そこにようやくスネ夫とジャイアンが訪ねてくる。「地球を作ってなかったらうんと苛めてやろう」などと手ぐすねを引きながら・・・。

「この粘土細工が地球だって? のび太らしいや、あはは」

見る影もないのび太の地球を大コケにする。そんなのび太には、もはや弁解する気力も残されていないのだった・・・。


地球を作って自分は神さまだと喜んだのもつかの間、創造したはずの恐竜に襲われて、作った世界をコントロールできないことを知るのび太。

物語を創造するクリエイターも、そんな気持ちで自分の作ったキャラクターをひいこらと動かしているのだろうか。残念ながら、クリエイトの才能に恵まれなかった僕には、よくわからないことだが。


「ドラえもん」作品考察しています。


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