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呼んでる、どこかでだれかが/考察エスパー魔美⑧

『どこかでだれかが…』
「マンガくん」1977年9号/大全集1巻

エスパー魔美は、藤子先生の日常マンガの中では珍しく、「成長する」物語である。変化する物語と言い換えてもいい。

主人公・魔美の超能力がパワーアップしていくこともそうだし、人間関係の成熟もある。中学生の魔美は、超能力を通じて大人の世界の周縁に触れて、ちょっとずつ物事を理解していく。調子に乗ったり反省したりの繰り返しだが、少しずつ「動いている」のである。これを成長と呼んでいいのだと思う。


本作は連載9作目。これまでの1~8話を列挙し、魔美の成長の記録をまとめてみたい。

第1話『エスパーはだれ?』・・・テレポートの能力開花
第2話『超能力をみがけ』・・・テレポートの仕組みが解明
第3話『勉強もあるのダ』・・・テレポートの仕組みの詳細が解明
第4話『名画(?)と鬼ババ』』・・・「お金と幸せ」を学ぶ
第5話『友情はクシャミで消えた』・・・テレキネシスの開花
第6話『くたばれ評論家』・・・高畑との関係構築・「評論」を学ぶ
第7話『春の嵐』・・・「男女の愛」を垣間みる・超能力を自由に使う
第8話『一千万円・3時間』・・・第4話の続編

超能力については、まずテレポートの能力が芽生え(1話)、二つの物体エネルギーが近づくことで発生することがわかり(2話)、無生物はテレポートできないなどの詳細な仕組みが判明し(3話)、高畑からテレポーテーション・ガンをプレゼントされる(4話)。

テレキネシスは、能力が開花し(5話)、自由に使えるようになる(7話)。この後、第11話で能力を発揮するには身振りが必要という条件が加えられる。

パパの絵については、魔美がモデルになっていることと、個展の準備をしていることが描かれ(1話)、ついに個展が開かれる(5話)。評論家に酷評され(6話)、本作(9話)で初めて魔美がヌードモデルとなっているシーンが登場する。*後ほど詳しく!

高畑くんは、自分のことをエスパーだと勘違いしながら超能力の仕組みを解明していく(1~3話)が、自分ではないと知ってショックを受ける(5話)。気を取り直して魔美にテレポーテーション・ガンをプレゼントし、エスパーのコーチ役を買って出る(6話)。しかしまだ超能力に未練は残っている模様(8話)。

隣に住む陰木さんにも触れておくと、初登場は5話で、さっそく嫌な感じを振りまく。本作(9話)で、そのネチネチさがさらに描かれる。この陰木さんとはしばらく険悪関係が続き、やがて事件が起きるわけだが、これについて少し先に考察する予定である。

魔美の学びについては、エスパーになって(1話)、「謎の美少女エスパーおマミ」という空想をし(2・3話)、勉強に支障をきたす。が、勉強面でも高畑のサポートを受け(6話)、本作(9話)ではテストの点も上向いている様子が描かれる。

また魔美はこれまでのエピソードを通じて、「お金と幸せ」(4・8話)、「男女の機微」(7話)、「芸術と評論」(6話)というテーマに触れて、大人の世界を覗き込んでいる。


さて、ここまでをまとめたところで、本作の話題に移っていこう。本作は大きくポイントが二つ存在する。

①魔美の新能力(困った人の思考派を感知する)が開花する。
②魔美がモデルとなる様子が初めて克明に描写される。

まずは②から解読していきたい。

「エスパー魔美」といえば、魔美のヌードにドキドキした、というような感想を持っている人が非常に多い。ヌード絵としては第一話から登場しているが、本作で初めて実際に裸になって、ヌードモデルとなっているシーンが描かれる。

まずはモデル料について、魔美とパパのギャラ交渉が行われる。魔美はお小遣い稼ぎという意味合いが強く、友人との遊びも断って仕事に臨む。要求するモデル料は4000円だが、パパからすれば「モデルは裸でふんぞり返ってりゃいいので楽なもの」と応じない。魔美は3000円を提示するが、パパは「2000円でなければカボチャを描く」と返し、これにて決着。

パパはその上で「真面目にやらないと首だぞ。大金払うんだからな」と満足気。パパの方が交渉上手であるようだ。

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この回は巻頭カラーで描かれているので、魔美のヌードもそれなりにリアルに描写されている。「ドラえもん」のしずちゃんの入浴シーンとは一味違う

さて、パパは描き始めると鼻唄を歌い始め、本式に乗ってくるとナツメロに移行するらしい。毎回有名な曲を歌詞をちょっと変えながら歌っている様子がたびたび描かれていく。

本作では、①「失恋レストラン」(清水健太郎・1976年)②「東京娘」(桜たまこ・1976年)③「あばよ」(研ナオコ・1976年)④「あんたが大将」(海援隊・1977年)⑤「湖畔の宿」(高峰三枝子・1940年)⑥「北の宿から」(都はるみ・1975年)が、一節ずつ歌われている。

ほとんどが本作が発表された77年5月の直前に流行していた曲ばかり。魔美は作中で、レパートリーは広いがどの歌も同じに聞こえると感想を抱いている。なお、調子が出た時に口ずさむのはナツメロらしいが、本作では「湖畔の宿」が歌われた。かなり古い流行歌だが、本作掲載当時にCMで使われてリバイバルされていたようである。

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ただ、どうやら大音量&音痴らしく、隣の陰木さんがやってきて、ペット犬のメリーちゃんがこの歌を聞いて食欲を失くしたとクレームを付けられている。

本作は、魔美がモデルを引き受けている間で、ベルのような音が聞こえてきて、その正体を探っていく、という構成となっている。陰木さんの苦情と、パパが絵の具を買いに行く空き時間で、魔美はベルの発信源に3度向かうことになる。

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今回ベルの発信源と思われる人物は二人と一匹。一人目は割り込みを注意して逆に暴力を振るわれている青年、二人目は物置に閉じ込められた男の子、三人目(一匹目)は木から降りれなくなっているネコ。彼らを助けると、ベルの音は消える。これはどういうことなのか?

この答えを導き出せるのはもちろん、高畑くんしかいない。高畑の考察は以下の通り。

①高畑の祖父は終戦末期に南方戦線に送られて半年後、まだ6歳だった父の前に血まみれで悲しそうな目をして立っていたのを目撃する。その後、その時間に死んでことを知る。これはおそらく、祖父の死ぬ瞬間の無限の思いが思考派となって届いたのではないか。
②人間がまだ野獣の頃、危機に追い込まれたとき、必死の思考派を仲間に送って救いを求めていたのではないか。
③魔美が助けた二人と一匹は、切羽詰まった気持ちが空中に放射され、たまたまエスパーだった魔美がベルの音でキャッチしたのではないか。

仮説だらけなのだが、既に天才・高畑の考えは全て正しいと思わせているので、全く疑問を挟まずに受け入れられてしまう。こうした非科学的な事象をいかにも現実的にありえると思わせる力が、高畑にも、藤子F氏にも備わっているのである。

この調子でジャンジャン呼び出されてはかなわないと魔美は訴えるが、高畑は、2~3日は過敏になっているが、よほどの危機以外には感応しなくなると、これまた説得力のある仮説。

そして高畑は重要なことを言う。

「こりゃあ、エスパーの宿命かもね。大きな力をもつということは、同時に大きな責任を負うことになるんだ」

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このセリフ、聞いたことありますよね? そう、ここでは「スパイダーマン」や「パーマン」などに代表される、ヒーローもの定番のセリフである。すなわち、力と責任のトレードオフが語られているのである。

このセリフの登場で「エスパー魔美」はヒーロー(ヒロイン)ものであることが、明確になったと言える。

そして、このベル音の設定は、スーパーヒーローものにおいての、ある種のツッコミ部分を解消してくれる働きがある。それは、ヒーローはなぜ悪事に巻き込まれやすいのか、というお話の不自然さについてである。

ヒーローは、何かと事件を目撃し、悪人と遭遇する。一度や二度なら偶然で逃げ切れるが、10回も続けば、そんなこと現実世界ではありえない、と感想を抱かせる。そこで、ヒーローものの必須条件として、悪との遭遇を必然とする設定を組み込まなくてはならない。

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この解決法としては、主人公を探偵や事件記者、警官などの犯罪に近い職業に就かせるパターンや、悪の気配を感じ取ることができる能力を身につけさせるパターン、終始パトロールをしているパターンなどもある。

エスパー魔美においては、困った人の気持ちをベル音でキャッチできる、という新能力を備えさせた。これによって、必然として事件・事故に出くわすことになったのである。


以上見てきたように、本作は、魔美=ヒーローものというジャンルを決定づけた重要なお話なのであった。加えて魔美=ヌードのイメージもここで定着することになった

次回の考察では、超能力に慣れてきた魔美の過信が引きおこす事件に迫る予定である。


エスパー魔美の考察、たっぷりやってます。下記のリンク集から記事を探してみて下さい。


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