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恐竜愛があふれ出す!『恐竜さん日本へどうぞ』/藤子Fの大恐竜博④

夏といえば恐竜。

ということで、数多ある藤子F先生の恐竜をテーマとした作品を検証していく「藤子Fの大恐竜博」シリーズも本稿で4本目となる。


夏といえば恐竜と書いたが、実際に藤子先生は毎年夏になると必ず「ドラえもん」で恐竜をテーマにした作品を書いていた時期がある。そのあたりをテーマとしたのが下記の記事である。

一覧化してみると分かりやすい。

『ネッシーがくる』 1974年8月号
『のび太の恐竜』読切版 1975年9月号(8月発売)
『大むかし漂流記』 1977年7月号
『宇宙ターザン』 1978年8月号
『恐竜が出た!?』 1979年7月号
『のび太の恐竜』大長編版 1980年1~3月号)
『恐竜さん日本へどうぞ』 1981年8月号
・・・
『恐竜の足あと発見』 1985年7月号
『のび太と竜の騎士』 1986年11月号~)

UMAとしての恐竜を題材にした『ネッシーがくる』を皮切りに、毎年のように夏に恐竜作品を描いていたことがわかる。そしてそのクライマックスとなるのが、1980年に連載・映画化された『のび太の恐竜』の大長編版である。

初めての映画原作に藤子先生が選んだテーマは、子供の頃から大好きな恐竜だったのだが、藤子先生が後年に発表した子供向け新書「藤子・F・不二雄 恐竜ゼミナール」にて、このように語っている。

「まんが家になってからも、大好きな恐竜を忘れることはできませんでした。少しずつ勉強しながら、恐竜を題材にしたまんがを描いていきました。そして、本格的な恐竜まんがをーーという意気込みで描いたのが、大長編ドラえもんの「のび太の恐竜」なのです」

恐竜ものの集大成として「のび太の恐竜」にチャレンジしたようである。

そして、念願の本格恐竜まんがを描き上げた後、通常ならこれで一段落となりそうなものだが、藤子先生はその翌年の夏、またまた恐竜を題材にした作品を描いてしまう。それが、『恐竜さん日本へどうぞ』である。

本作はどういう意図で描かれたものだろうか。

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「ドラえもん」『恐竜さん日本へどうぞ』
(初出:恐竜たちに「招待錠」を)
「小学五年生」1981年8月/大全集10巻

一度集大成となる恐竜作品を描いて、その翌年にさっそくもう一本短編を発表したわけだが、その理由もまた「恐竜ゼミナール」に残している。

「1981年(昭和56年)に開催された東京上野の国立科学博物館での「中国の恐竜展」は、わずか2カ月の間に50万人の人々が詰めかけるほどの大盛況ぶりでしたが、その50万分の1が、かくいう、このぼくなのです。挙句の果てに『ドラえもん』の1エピソードを描き上げたのには、我ながら感心したものです。それが「恐竜さん日本へどうぞ」です」

「中国の恐竜展」に触発されたのがその理由ということである。

ちなみにこの展示会は、1981年の7月7日から8月末まで開催された。『恐竜さん日本へどうぞ』が発表されたのがこの年の8月号なので、開催してすぐに見に行ったか、もしかしたら内覧に参加していた可能性もある。いずれにせよ、恐竜展を見てから~構想~執筆したとすれば、とんでもないスピードである。

そしてこの作品は、ストーリーもさることながら、作者の恐竜愛が溢れかえった描写の連続が魅力的である。

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冒頭で、のび太とドラえもんは、パパに連れられて「中国の恐竜展」に行く。展示されている恐竜の骨格を見てのび太たちは驚き、中国ばかりに恐竜がいるのを羨ましがる。骨格で紹介された恐竜は、後に本物の恐竜として実際に登場させているので、注目しておきたい。

骨で登場した恐竜は以下の4種である。

チンタオサウルス(高さ5.5メートル)
ズンガリプテルス(翼竜の一種)
トウジャンゴサウルス(ステゴサウルスに似た剣竜)
マメンチサウルス(体長22メートル、体重50トン)

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学校で、「恐竜展のことを詳しく話してあげるから、家に遊びに来ないか」としずちゃんを誘うのび太。そこにスネ夫が現われ、パパがアメリカから恐竜の卵の化石を買ってきたので、自分の家に遊びに来るよう告げる。スネ夫は「のび太の恐竜」でもツメの化石を見せびらかし、しずちゃんの歓心を引いていた。

のび太はしずちゃんがスネ夫の家に行くと予感し、帰ってドラえもんに相談する。そこで出したのが「招待錠」というどうしてもお客を呼びたいときに使う薬である。

薬の半分を呼びたい場所に置き、もう半分を呼びたい人に飲ませると、必ずそこにやってくる。はじめに置いた場所から薬がずれると、呼び出しの効果が消えるという仕掛けである。

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のび太は、この道具を見て、あるアイディアが思い浮かぶ。それは、半分の薬をのび太の部屋に置き、もう半分をタイムマシンで大昔の中国に行って恐竜たちに飲ませようというのである。

薬を飲んだ恐竜たちが大昔の日本に渡って住み着けば、日本でも恐竜がいたことになって化石が出るようになる、という凄い思いつきなのである。

ということで、世界に誇る恐竜博物館を作るため、タイムマシンで1億3700万年前の中国大陸へと向かう。時代はジュラ紀と白亜紀の境目あたりだという。

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ここで情報の補足をしておこう。

地質時代の区分としては、生命が多様化した「カンブリア爆発」を境に「古生代」と呼ばれる時代に突入する。そして恐竜が登場したのが「中生代」、そして恐竜を始めとする多くの生命が絶滅したころから「新生代」と区分している。

・古生代(5.7~2.5億年前) 恐竜前
・中生代(2.5億~6500年前) 恐竜時代
・新生代(6500年前~現代) 恐竜後

恐竜が活躍した時代は中生代となるが、ここも細かく3つに区分される。

・三畳紀(約2億5000万年前~約2億年前)
・ジュラ紀(約2億年前~約1億4500万年前)
・白亜紀(約1億4,500万年前~6,600万年前)

*区分年は諸説あり

本作は、最も恐竜が栄えた時代設定を選んでいる。


広大な中国大陸なので、化石発掘の分布地図を頼りにピンポイントで恐竜を集めていく。

まずはチンタオサウルスを探しに山東省へ。水辺に棲んでいたという情報をもとに探すが、白亜紀後期の恐竜なので、まだいないのかと思いきや・・、そこに姿を現すチンタオサウルス。化石が見つかってないけど白亜紀前期にもいた、ということにしたらしい。

そして、生き生きとしたチンタオサウルスの動きが描かれているのだが、「中国の恐竜展」で見た復元図を基に、藤子先生が嬉々として描いている様子が目に浮かぶ

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続けて四川省のツーコンでトウジャンゴサウルス、ジュンガル盆地でズンガリプテルスを見つけて、それぞれ招待錠を飲ませて、日本へと向かわせる。この二頭も、冒頭の恐竜展で紹介されていた恐竜たちである。

そして、ユンチュアノサウルスを挟みつつ、絶対に欠かせないというマメンチサウルスを招待しにいく。体長22メートルという巨大さな体を、見開き2ページで表現している。振り向くたびに長い距離を右往左往するドラえもんたちを描いたりして、恐竜愛を大いに感じさせるド迫力であった。

多くの恐竜に招待錠を飲ませて、日本ののび太の部屋があるところまで移動を始める。壮観な眺めである。

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さて、満足したのび太とドラえもん。現代に戻る前に、今恐竜たちが向かっているジュラ紀の日本に立ち寄ることに。果たして恐竜たちは、日本に満足してくれているのだろうか・・。

すると、タイムマシンを抜けた先は、なんと見渡す限りの海。そう、この時代はまだ日本列島が形作られる前であり、東京などはまだ海の底なのである。つまり、招待錠で招待された恐竜たちは、薬の効力によって海の底へと落ちていってしまったと考えられるのである!

溺れる恐竜たちを想像して、後悔に苛まれるのび太。思わず海の中に飛び込むが、ドラえもんが引き上げる。大変なことをしたと、泣きながら現代へと戻るのび太たち。

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戻ってみると、部屋にあるはずの「招待錠」のかけらが一つもない。なんと、あんまりに散らかっていたので、のび太のママが掃除をしていたのである。本作、実は作品の最初の方で、ママがのび太に部屋を片付けろと言いつけていたのだが、これが伏線となっていたのだ。

恐竜たちは海に沈むことなく、中国大陸へと戻っていく。ママのおかげだと泣いて感謝するのび太たち。

ところで、最初の「招待錠」の目的だったしずちゃんの方はどうなったのか。・・・しずちゃんは結局、恐竜の卵を選んでスネ夫の家へと行くことに。招待錠は、全部恐竜に使ってしまったので、もはや挽回も不可能なのであった。

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急ピッチで作ったとは思えないストーリーの完成度と、「中国の恐竜展」で見てきた恐竜の骨格を元に、さっそくそれらを生き生きとしたマンガにしてしまう恐竜愛。

藤子F先生らしい、恐竜作品ではないかと思う次第である。

F先生は本作を描き上げ、少しばかりの空白期間を経て、再び恐竜を題材にした作品を発表する(『恐竜の足あと発見』)。そして、その翌年には、今度は恐竜絶滅の謎を追った大長編ドラえもん『のび太と竜の騎士』を描くことになる。

この段階において、まだまだ藤子先生の恐竜熱は収まりそうもないのであった。


「ドラえもん」考察たくさんやってますので是非。


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