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神さまは皆の望みをイチイチ叶えていられない。『のび太 神さまになる』/私は神さま③

もしも自分が神さまになって、思い通りのことができたなら・・・。そんな風に思ったことは誰もがあるのではないだろうか。

藤子作品では、そんな皆の思いを汲んで、「もしも自分が神さまになったなら」、もしくは「神の力を得たなら」というお話がいくつか存在する。

そこで、「私は神さま」と題して、神様になった人々のお話を見ていく。おおよそのパターンとしては、神の力を良いことに使おうと考えるのだが、徐々に力に溺れて、最後はロクなことにならない・・という展開が多い。

のび太はその最たる人間のようで、「ドラえもん」にはのび太が神さまになって、最終的に自分が損をするお話が何本も描かれている。本稿はその二本目となる。


これまでの記事はこちら。


「ドラえもん」『のび太 神さまになる』(初出:神さまセット)
「小学四年生」1983年4月号/大全集13巻

のび太が神さまになるのはこれで二回目。しかも前回から7か月後に描かれている。この時の藤子先生の重要なテーマだったのだろうか? (・・・そうとしか思えないのだが、これは別の記事で紹介する)


冒頭は、のび太がジャイアンとスネ夫に追い回されるいつもの始まりかた。捕まりそうになった瞬間、天上からピカと光が差し込む。そして、光の中から声が聞こえてくる。

「のび太を放せ。放さないと神の罰が下るぞ」

何が何だか呆然となる3人。すると、ジャイアンとスネ夫目がけて、ガラガラと雷が落ちてくる。真っ黒こげになって逃げていくジャイアンたち。のび太は「本当に神様が助けてくれたのか」と尋ねると、「これからもいい子になれば守ってあげよう」と、神のご加護を約束される。


のび太は大喜びで、ドラえもんに神様の話をしに帰ると、ドラえもんが何かのひみつ道具を出している。ドラえもんが使っていたのは、誰でも神さまになることができる「神さまセット」。何のことはない、のび太を救った神様はドラえもんなのであった。

神さまセットは全部で4点の道具で構成される。
神さまプール・・天の神様が下界を見るように町をみることができる
神さまマイク・・天の声を下界に伝えることができる
神さまステッキ・・光を出したりや雷を落とすことができる
神さまぼう・・これを被ると、神さまセットの力を行使することができる


のび太はさっそく、自分も神様になってみたいと申し出る。まあ、予想通りの行動である。

神さまプールをダイヤルで調整していくと、再びジャイアンとスネ夫の姿が見える。彼らは男の子(はる夫?)から本を取り上げようとしている。全く懲りていない姿をみて、のび太は怒り、マイクを使って「止めないと神の罰が下るぞ」と警告する。

そして間髪入れずに雷を落とすと、ジャイアンは一人逃げ出していく。一人残されたスネ夫は、「神様って本当にいたのか」と驚く。「おお、いるとも」とのび太が答えたので、すかさずスネ夫は、

「じゃ、お願い。ジャイアンに取られた電子ゲームを取り返して下さい」

とお願いしてくる。

なるほど、神様の力を使えば、これまで大勢の人から借りパクしたものを取り返すのはわけない。スネ夫の電子ゲームを取り返して喜ばれると、みんなの分も自主的に取り返すのび太神さまであった。

人を助けて感謝されることは気持ちいいと感じるのび太。ドラえもんは「いい神様になりなさい」と行ってしまい、のび太神さまは一人になる。


しずちゃんにも神の恵みを与えようと言って、神さまプールを覗く。すると、案の定しずちゃんはお風呂に入っていて、ちょうどシャワーが出ない様子。そこでのび神さまは、ステッキを使って水を落とすのだが、調節が難しく土砂降りをかけてしまう。

本作の大筋においては、このしずちゃんのシーンは不要なのだが、明らかにしずちゃんの入浴シーンを描きたいがために、挿入されているようだ・・。


神さまを呼ぶ声がする。プールを覗くとスネ夫がショートケーキを持って、自分を呼んでいる。「ここにいるぞ」と反応すると、ケーキはさっきのお礼だという。

のび太は美味しくそれをいただくと、返す刀でスネ夫がお願いがあるという。そして紙に書き出された欲しいものリストを渡される。そこにはビデオテープとレコーダー、プール、無人島など、あらん限りの品物が書かれている。

こんなの無理だと答えると、神さまのクセにとスネ夫が食い下がるので、「欲張りの罰」ということで雷を落とす。この判断は、間違っていないようか気がする。


ところが、スネ夫だけでなく、町のあちこちから神様にお願いする声が上がる。お小遣いの増額、喧嘩に強くなりたい、ガールフレンドが欲しい・・。お願いする方はタダだが、叶える方は楽じゃない。

神さまは願いを叶えてくれない・・・なんて世の中に良くある声だが、神さまの立場からすれば、そんなのイチイチ取り合っていられないというのが、本当の所であろう。そんな風に思えるシーンである。


のび太はママからお使いを頼まれたことから、これをはる夫に渡して、買ってこいと命じる。先ほど守って貰ったお礼で、断れば罰が当たると脅す。助けたことに対してお礼を求めるのは、別に間違ってはいないことだが、これを神さまがやり出すと変なことになっていく。

案の定、そのマンガを見せろ、宿題教えろと要求がエスカレートしていき、最終的には、「お賽銭を持って空き地に集まれ」と子供たちを招集する。

町で神さまの評判が悪いことを聞きつけたドラえもんは、急ぎ部屋へと戻り、強欲ばったのび神を、プールの中へと突き落とす。神様にいやいやお賽銭を払われそうになった子供たちに、囲まれてしまう神さまのび太であった。


物語の構造は、のび太がドラえもんの便利な道具を最初は正しいことに使うのだが、やがて自らの欲に任せて調子に乗ってしまい自分が酷い目に遭うという、頻出の「ドラえもん」フォーマットそのもの。

しかしよくよく中身を見てみると、皆が神様に気軽に願いごとをする一方で、たった一人の神様が各自の願いごとをいちいち叶えていくのは大変なことだということが描かれている。

日本人は身近に神様が存在するので、すぐに神頼みをしてしまうわけだが、その頼みごとをする前に、神様の立場に思いを馳せてみるのも悪くないかも知れない・・。


「ドラえもん」考察さらに続きます。


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