神の力を持ったとしても『ぼくは神様』/私は神さま②
八百万の神々という言葉があるように、私たち日本人の身の回りには神様だらけ。なので、「願掛け」「お参り」など、子供の頃から何かと神頼みをするのは、日本人の風習である。
身の回りの物事をマンガの題材とする藤子F作品においても、「神様」は頻出のテーマである。特に、自分が神さまとなった時に、どんなことが起こるのか、というエピソードを数多く描いている。
前回は、のび太が神さまとなったお話を紹介した。
のび太が神さまとなるお話は、実はまだまだあるのだが、それは次稿以降で書くとして、本稿では「少年SF短編」に属する『ぼくは神様』という作品を見ていきたい。
「神掛かっている」と言われる人を時々見かける。やることなすこと大当たり、まるで未来を見通せるような千里眼を持つ、幸運の女神を携えた方々である。
しかし、運と不運の総量は決まっている、なんていう話もある。幸運の後には不幸がやってきて、人生全体の運気は均すとトントンというヤツだ。
本作は、そんな強運を手にしてしまった少年のお話・・。
主人公は中学生の男の子神山。昔から妙にツイていると自覚している少年で、この日も友人の小山とのジャンケンに勝って、理香の相合傘をゲットする。理香と相合傘をして帰る途中、不良たちに絡まれるのだが、タイミング良く不良が水たまりに転んで難を逃れる。
さらに家に帰ると、トウモロコシを食べたいと願っていた通りにおやつが出される。そして雨を止めと念じると、急に空が晴れわたる。ここまでくると、この運の良さはただ事ではないような気がしてくる。
神山はこの強運は、一種の超能力ではないかと思い始める。そこで明日のテストでは、先生の出題を自分が決めたことにして、ヤマを絞り、寝てしまうことにする。他の問題が出ればアウトという、ある種の博打である。
翌朝、自分の出題部分を理香と小山に伝えてテストに臨むと、見事にヤマ掛けが大正解。驚き声も出ない理香と小山だが、「僕の思い通りにならないことはない」と、神山は大はしゃぎである。
神山は思う。「少なくとも身近な世界は、僕の意志に支配される。いわば僕は、ミニ神様だ」と。神様と自覚したのはまだ良いが、問題はこの力をどのように使うか、ということである。
その夜、夕飯の食卓では汚職代議士の無罪判決についての話題となる。パパは「結局は力のある者の勝ちさ」とやや投げやりな感想を述べる。その一方で、悪運に守られたほんの一握りの人間たちが国の為政者であることに憤慨しているようだ。
この話を聞いていた神山は、自分ならそんな悪いことしないと考える。たとえ力があっても、理想的な社会を作るためだけに使うと。確かに理想はその通り。でも、実際に力を持った時に、そのような理想を貫き通せるのだろうか・・?
翌朝。小山と理香に昨日のテストでは、事前に問題を盗み見していたのではないかと指摘され、憤慨する神山。自分が問題を選んだんだと説明するが、もちろん聞き入れてもらえない。
神掛かった力は、凡人には納得できないものなのだ。
その晩。枕元に謎の男が立っているのに気づき、「オバケー!」と慌てる神山。現れた男は、「宇宙確率調整機構の管制官ゾロメー」と名乗る。
この男の説明によると、世の中には確率以上にサイの目を自由にするような人間がいるのだという。その力が小さいうちは、単にツイている、運のいい人で済まされるが、これが大きく成長すると世界中を思いのままに動かすようになる。例えば、アレキサンダー、ナポレオン、ヒトラー・・。
神山は、そんな力が自分にあると聞いて、「素晴らしい」と喜ぶが、ゾロメーは「何が素晴らしいものか」と反論する。そして、この力は人間には荷が重すぎるのだという。そして続ける。
ゾロメーは、このような悲劇を防ぐのが任務だという。そして、神山にもその力を返せと迫る。
神山は神の力を返したらどうなるか尋ねると、ゾロメーは、これまでの埋め合わせに多少運の悪い人になる、と答える。せっかくの力を得た神山は、その話を拒絶。お前なんか消えちまえ、と念ずると、ゾロメーの姿は消えてしまう・・。
ここからは、一気呵成に神山の神の力が発揮されていく。自分自身の力を操れなくなる過程が、容赦なく描かれていく。ポイントだけ述べていこう。
チラッと思っただけで、願いが叶ってしまう状況になり、さすがの神山も反省をする。
しかし、ここで一転、自己肯定に走る。
僕自身、このような力を持ったことはないが、権力にしろ神の力にしろ、強大な力を持った人間は、すべからく自己肯定に走ってしまうような気がする。妙にリアリティを感じさせる展開である。
神山に力があることはわかった。しかし、周囲の目は厳しくなっていく。どこか腫物に触るような男になっていくのだ。
理香はすっかり神山の遊びの誘いに乗らなくなった。不良たちには、テストの問題を事前に忍び込んで知っていたのだろうと難癖を付けられる。(この時は、連れ込まれた倉庫の花火が爆発して、不良たちから逃れる)
テストの件は小山が言いふらしたに違いないと、神山が問い詰めるが、知らんと拒絶。すると怒りに任せて神山は言う。
力を持った人間が口に出してはいけない言葉である。元々の親友である小山はこう返す。
その後、理香が現われて、小山とどこかへ行ってしまう。仲の良かった3人組だったのに、いつの間にか小山と理香だけで遊ぶようになっている。
それに対して、逆上する神山。思わず「死んじまえ、死ね死ね・・」と念じてしまう。・・・我に返った神山だが、一度願った望みは取り消せない。なんと、理香と小山はダンプカーに突き飛ばされ、二人とも即死してしまう。
ここでの描写は全く遠慮のない残酷なもので、SF短編における藤子作品の過激さが見て取れる。
事故現場を見て、神山は「神様!!」と助けを乞うが、神様は自分なのであった。
とてつもないショックを受けた神山は、その夜、晩ご飯も食べずに部屋に閉じ籠る。そしてフラフラと立ち上がると、縄を結って首吊り自殺を試みる。・・・が、縄に首がぶら下がっても死なない・・。
と声が聞こえてくる。しばらく姿を消していた宇宙確率調整機構管制官のゾロメーである。彼は自分が消えてからの運命を、神山に夢で見せていたのだ。
再度、力を返すように言われる神山。翌朝目覚めると、今までのことはまるで嫌な夢だったように感じられる。(本当に全て夢だったのかもしれないが)
別の日。雨が降ってきて、理香の相合傘を求めて小山とジャンケンする神山。あっさりと負けてしまい、小山からは「弱くなったな」と揶揄される。けれど、神山は負けても全然悔しがらない。そればかりか・・
と、雨の中を走っていくのであった。
神様のような力を持ったとしても、力をコントロールする術がなければ、その力は必ず暴走してしまう。力を行使する能力と、力を制御する能力を兼ね備えてこそ、真っ当な力の持ち主なのだと言える。
本作は神様をテーマにしつつ、「力」についての考察を巡らすお話なのであったのだ。
「SF短編」(目指せ)全作考察中
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