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大長編のネタ満載! キテレツ『公園の恐竜』/藤子Fの大恐竜博②

夏休みとなると、毎年どこかでやっていた「恐竜展」。関東近県の田舎育ちだったが、恐竜目当てで親や親戚に連れられて上京したものだった。

・・・その頃も記憶も踏まえつつ、本稿では「藤子Fの大恐竜博」シリーズの2本目として、「キテレツ大百科」から一本紹介・考察していく。本作は、後に描かれていく「ドラえもん」大長編3作で採用される大ネタが仕込まれている重要作となっている。

ちなみにシリーズ前回の記事はこちら。そこそこ面白いことも書いてます。

この記事でも触れているが、藤子F先生はあまたの恐竜エピソードを描いた後、その集大成として「藤子・F・不二雄の恐竜ゼミナール」という子供向けの恐竜学術書を執筆している。

その中で「恐竜は生き残っているか」という章があり、ネス湖のネッシーの例などを引き合いに、生存してないと完全否定はできないといった、F先生らしいロマン溢れることも語っている。

今回見ていく「キテレツ大百科」『公園の恐竜』は、もし恐竜が現在に生き残っているとしたら・・・というアイディアから生まれた作品である。逆に言えば、この壮大なアイディアを形にするために、大長編3本分の大ネタをぶち込んでいる作品でもある。


「キテレツ大百科」『公園の恐竜』
「こどもの光」1974年12月号/大全集1巻(てん虫未収録)

まず、本作の描かれた時期を確認してみよう。

本作が発表されたのは1974年12月で、ネッシーがいる・いない論争を描いた「ドラミちゃん」『ネッシーがくる』の4か月後の作品となっている。実はこの年の前後で、イエティだったりチツノコといったUMAをテーマとした作品を数多く扱っており、藤子先生自身や世間的にもそういう気分であったのかもしれない。

『ネッシーがくる』→『公園の恐竜』ときて、次に描かれたのがあの有名な『のび太の恐竜』(読切版)となる。本作から9か月後に発表された。この段階となると、UMAとして描くのではなく、「実際の恐竜はどのような生態であったか」という方向性にF作品は舵を切られていく印象を受ける。

個人的見解では、本作はUMAとしての恐竜を描いた作品としては、一つの区切りとなったものと考えている。

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冒頭、キテレツ不在でコンチという男の子が、ブタゴリラたちに「恐竜は今でも生きているのだ」と熱弁を振るっている。ちなみにこのコンチは、外見はアニメ版のトンガリのことだが、連載時にはトンガリという名前は出てこなかった。またアニメでは別キャラで「コンチ」というモブキャラが登場しているので、その点少々ややこしい。

さらに補足すると、トンガリ(本作ではコンチ)は「ドラえもん」ではスネ夫、「ドラミちゃん」ではズル木に当たるキャラクターだが、この手のスネ夫的人物は現実的で、たいていUMAはいない方を主張する。先に紹介した『ネッシーがくる』でも、UMAとしての恐竜は絶滅しているという論陣を張っていた。本作ではUMAを肯定している側に立っている点が非常に興味深い


ここで、コンチの主張を以下にまとめてみよう。

①南米アマゾン川の上流に恐竜が生き残っている
②もの凄い崖に囲まれた地域で、飛行機やヘリコプターでは近づけない
③アマゾンのジャングルで石器時代の生活をしている住民が発見され、その人たちの間で崖の向こうで恐ろしい竜がいると言われている。

簡単に説明で済ませているが、非常に大きなネタが組み込まれている。特に②の崖に囲まれた世界でUMAが生き残っているという世界観は、後の「のび太の大魔境」に引き継がれている。

外部と遮断された環境下で独自の進化を遂げるという考え方で、「のび太の大魔境」ではアフリカ大陸の奥地で犬が人間のように進化した世界を描いていた。

また、「のび太の竜の騎士」でも地下世界において恐竜が生き残り、独自の進化を遂げていたが、これも本作から通じる作品と言えるだろう。

③については、事実が含まれている。ブラジルやペルーなどのアマゾン川流域において、外界の人間と交わらずに今でも石器時代のような生活をしている孤立部族が、たびたび発見されているのだ。

本作執筆時に、どういったレベルの情報があったかは不明だが、未開の先住民がいるという「事実」がコンチの発言をリアルに感じさせる。


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コンチがバカにされている頃、キテレツは「夢遊境」という発明を完成させていた。この道具は、地球上の二つの場所を入れ替えるというもので、「ドラえもん」における「空間入れかえ機」と同等の効果を示す。

この道具を使った実験として、公園全体をまだ人間が行ったこともない場所ーアマゾン川の上流あたりと入れ替えてみることにする。夜も更けた後、公園に向かい500メートル四方をアマゾンのジャングルにしようと考える。

すると、ちょっとしたトラブルがあり、キテレツとコロスケは、公園の一部と一緒にジャングルの奥地へ移動してしまう。公園にジャングルを持ってくるつもりが、自分たちがジャングルに行ってしまったのだ。

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キテレツたちが辿り着いたジャングルは、何とも異様な雰囲気に包まれていた。火口の後だろうか、物凄い絶壁で四方を囲まれた場所で、何億年も前に栄えていた植物が生い茂っている。

キテレツは、絶壁に囲まれたここだけが、周りの進化から取り残されて、大昔の姿をそのまま伝えているのではと予測する。

するとその説を裏付けるように、恐竜が次々と現れる。翼竜(おそらくプテラノドン)が空を舞い、巨大なブロントザウルスが草を食べている。すると、チラノザウルス(Tレックス)がブロントザウルスに襲い掛かってくる。

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Tレックスに見つからないように静かにその場を離れようとすると、弱り切ったコンチが合流してくる。公園に本を置きっぱなしだったので取りに来たところ、「夢遊境」に巻き込まれて恐竜の世界にやってきてしまったのだ。

キテレツたちは、「夢遊境」を日本の公園に置いてアマゾンに来ているので、自分たちの力だけでは戻れない。Tレックスの脅威から身を守るため、公園の一部に戻り、マンホールか何かに隠れようとする。

するとコンチがもたついている隙にTレックスに見つかってしまい、凄いスピードで襲い掛かってくる。もう駄目だと思った瞬間、日本の公園の「夢遊境」のボタンを野良犬が偶然押してくれ、再度空間が入れ替わって、日本に帰ることができた。


戻ってきて早々、どういうことなのか説明しろと怒るコンチ。キテレツはキテレツ斎の発明については他言しないと決めているので、今夜のことは内緒にしてくれとお願いする。しかし、本当の恐竜を見たと喜ぶコンチは、明日、みんなに言いふらすと聞く耳を持たない。

翌日。公園に恐竜がいるわけがないと皆に総スカンのコンチ。ま、そりゃそうかという話である。

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公園に恐竜がやってくるというのは、『ネッシーがくる』でも似た展開だったが、翌年に執筆される『のび太の恐竜』でも使われたモチーフである。また、「夢遊境」のドラえもん版となる「空間入れかえ機」が初登場した『大雪山がやってきた』では、公園全体を雪山と入れ替えるという似たお話だった。


一応ここまでをまとめると、本作の設定が、ドラえもん大長編3作に大きな影響を与えているものと思われる。

公園に恐竜が現れる → 「のび太の恐竜」
ジャングルの奥地に外界から遮断された世界が残されている → 「のび太の大魔境」
独自の進化を遂げた世界に恐竜が生き残っている → 「のび太と竜の騎士」

またドラえもんとキテレツ大百科では、ひみつ道具とキテレツの発明の内容が重なることが多いのだが、本作登場の「夢遊境」は「空間入れかえ機」に先駆けての登場であった。

以上のように、藤子F史としても重要な位置づけの作品ということが理解できる。しかしながら本作は、なぜか現在入手しやすい「てんとう虫コミックス」には収録されていない。

よって少々マイナーな作品の扱いだが、是非とも再評価されることを願いたい。


キテレツ大百科やドラえもんの考察たくさんやってます!


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