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ノストラダムス批判?『大予言・地球の滅びる日』/大予言のウソ①

何度か書いているが、藤子作品ではネッシーやイエティに代表される「UMA」は実在のものとして登場することが多い反面、「ユーレイ」については実はウソだったというオチで終わる作品がほとんどである。

そしてもう一点似たような例では、藤子作品では超能力者は大勢登場するものの、超能力の一つである「予知」については否定的に描かれる、ということである。

もちろん100%の事実ではないが、間違いなく以下の傾向がある。

UMA
(〇)ネッシー、イエティ、UFO、ツチノコ
(×)ユーレイ
超能力
(〇)テレキネシス、テレポート、透視、テレパシー
(×)未来予知


もちろん例外はあって、例えば「中年スーパーマン佐江内氏」で予知能力が一瞬だけ芽生える話がある。しかし予知能力は人間にとっては荷が重すぎるという説明と共に、一回で能力は消えてしまう。

超能力に憧れるF先生だが「予知能力」だけは別と考えている節があるのだ。


F先生の異説インタビュー集「藤子・F・不二雄の異説クラブ」の予言についての部分を読むとその考え方が良くわかるので、一部抜粋してみる。

(暗殺や大地震など)ズバリ予言した話はよく紹介されますね。だけど、その(予言を的中させた人の)長い人生を通じて、次々と当てていったという話は、あまり聞きません
思うに、預言者というのは、(中略)商売として、しょっちゅう予言しているはずです。とすれば、膨大な予言の中から、いくつか当たっても不思議はないという感じもします
否定はしきれないのですが、インチキみたいなものも多いなっていうのが実感です

一発屋としての予言はありうるとしつつ、継続的に予言を的中させる人間はいないのではないかというのが、F先生の考えである。


F先生は、20世紀後半の予言ブームの立役者ノストラダムスについても嫌疑を示している。その部分を抜粋してみよう。

予言についてもう一つもどかしく思うのは、「ノストラダムスの大予言」等に見られる、表現の曖昧さです。解釈次第で、どうにでも受け取れそうな…。「ちょっとズルいや」という感じがするんですよ
曖昧な部分を除いて、科学的検証ができるようになってほしいと思っています。

超能力を信じたい、けれどあくまで科学的な態度でその存在を明らかにしたい。そういうF先生の一貫した思想がここでも見えてくるのだ。

UMAの中でも「ユーレイ」を別枠で考えている点についても、この思想が大きく影響しているのは間違いない。そのあたりについては下記の記事を参照いただきたい。


それではさらに、僕らの子供時代を恐怖に陥れた「ノストラダムスの大予言」についても簡単に触れておこう。

16世紀のフランスの宮廷医であったミシェル・ド・ノストラダムスは、占星術を駆使して数多くの予言を遺したとされる。日本で突如ブームとなったのは、1973年五島勉氏によって遺稿集「諸世紀(百詩篇)」の記述を翻訳・解釈した「ノストラダムスの大予言」を出版したことによる。この本の中で、1999年7月(後に8月に訂正)に人類が滅亡すると紹介され、一気に終末ブームが巻き起こった。

「ノストラダムスの大予言」は200万部以上のセールスを記録し、1974年には映画化もされる。この映画については内容面などに大いなる問題を抱えた作品で、残念ながら今見るのは大変に困難な状況である。

70年代後半は、世間的には公害や資源の枯渇が騒がれ、終末論が流布する土壌ができていたと考えられる。実際、本書をきっかけにオカルトブームが起こり、藤子作品でもそうしたテーマの短編などが数多く発表されている。


五島氏の「ノストラダムスの大予言」は、後に問題の多い著作であることは明らかになっていったが、僕が多感だった子供時代(1980年代)では「1999年7月に恐怖の大王がアンゴルモアを復活させ…」という予言は恐怖でしかなかった。

「1999年にはどうせ滅亡するんだから」と自堕落な生活に陥る者、怖くて夜眠れなくなる者、クリエイターとして影響される者(ケロロ軍曹で地球を滅亡させにくるアンゴル=モアちゃんなどが代表例)など、少なからず子供たちに影響を与えたのである。

しかしながら、F先生も指摘されているように、ノストラダムスの大予言は、各篇の意味がとりずらく、解釈が非常に曖昧となることは子供ながらにわかっていた。例えば、人類滅亡の詩を紹介しておくと・・

百詩篇第10巻72番
1999年、7か月、
空から恐怖の大王が来るだろう、
アンゴルモワの大王を蘇らせ、
マルスの前後に首尾よく支配するために。

今読んでもさっぱり意味がわからない。。


さて、そんなことで、藤子作品において「予知」は眉唾として描かれることがほとんどである。そこで今回から全4回のシリーズとして、予知・予言がいかに嘘くさいかというエピソードを取り上げてみたいと思う。題して「大予言のウソ」


「ドラえもん」『大予言・地球の滅びる日』
「小学五年生」1984年7月号/大全集10巻

まずはズバリ「ノストラダムスの大予言」をテーマとした作品から見ていく。

五島勉の「ノストラダムスの大予言」はいつしかシリーズ化し、ブームは静かに続いていた。本作はそんな中で描かれ、パロディというより批判のようにも読める作品である。

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冒頭、不穏な天候の中、ドラえもんがガールフレンドのタマちゃんとハイキングに出かけていく。見送ったのび太は部屋でドラえもんの日記らしき本を見つける。パラパラと読んでみるが、暗号めいていて意味がよくわからない。

例えば「ジョーガンネ玉落としわずかなり学刈 ターと老婆を抜く」などいった感じである。

これをみんなに見せると、ジャイアンは「世界ねごと全集」、しずちゃんは「暗号の教科書」ではないかと予想するが、スネ夫だけは「これとよく似た恐ろしい本を読んだ気がする」と、気がかりな様子。

家に戻ったのび太だが、まだ三時前だというのに辺りが薄暗く、電灯を点けないと新聞も読めない。不穏な空気の中、スネ夫が思い出したと言って駆け込んでくる。

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スネ夫が思い出したのは「ノストラダムスの大予言」であった。スネ夫によれば、

「訳の分からないことが書いてあるけど、その後の歴史と突き合わせせれば戦争・災害などの大事件がピタリピタリと言い当てられることがわかる」

と、ノストラダムスの大予言をすっかり信じている様子。

この観点でドラえもんが置いていった本を読んでいくと、これも予言の書ではないかというのである。問題となる部分を抜粋してみよう。

39ページ「ゴリラキツネより機械の鳥をうばう」
172ページ「ター扉をひらく無音バスもぐる」
200ページ「暗き天にマ女は怒り狂う この日〇終わり悲しきかな!!」

これをスネ夫の解釈で読み解いていく。

39ページは1月1日から数えて39日目、2月8日のこと。この日は旅客機のハイジャック事件が起きており、犯人と機長の顔はゴリラとキツネにそっくりだった。
172ページは6月21日。この日は深夜バスが運転手の居眠り運転で湖に飛び込む事件があった。

最後の200ページは7月19日。これはこの時点で未来の出来事となる。スネ夫は「〇」を地球と読み、これはすなわち地球滅亡を予言していると考える。

そういえば、本日はこの世の終わりとも言えるほどおかしな天候となっている。のび太とスネ夫はドラえもんに頼んで「タイムマシン」で逃げようと大慌て。手分けして、みんなに声を掛けていく。

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しずちゃんやジャイアンは信じたようだが、出木杉君はいたって冷静に対応してくる。

「予言なんて信じないよ。みんな偶然かこじつけだ」

この発言は、F先生の本音がズバリと考えてよいだろう。暗い天候についても、時々ある自然現象の黄砂だと無碍もない。

「信じないなら勝手にしろ」と家に戻るのび太。するとドラえもんが帰宅しており「人の日記を勝手に見るな」とご立腹の様子。予言の書と思いきや、去年の暗号日記なのだという。

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ここで謎の記述のネタバラシが行われる。

「ジョーガンネ玉落としわずかなり 学刈 ターと老婆を抜く」
→年賀状お年玉少ない。ガッカリ。のび太とババ抜きした
「ゴリラキツネより機械の鳥をうばう」
→ジャイアンとスネ夫がラジコンを取ったこと
「ター扉をひらく無音バスもぐる」
→のび太がどこでもドアで入っていったらしずちゃんが浴槽に潜った
「暗き天にマ女は怒り狂う この日〇終わり悲しきかな!!」
→暗き天は0点、マ女はママ、〇はどら焼き、どら焼きが無くなれば悲しい

ちなみに200ページで終わっているのは、ここで日記を止めてしまったからだという。

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なぜドラえもんが暗号で日記を書いたのか不明だが、スネ夫が勝手に世界滅亡を読み解いてしまった、というお話であった。作中で「ノストラダムスの大予言」が言及されているが、出木杉の言葉を借りて「予言は偶然かこじつけ」と断じている。

予言と呼ばれるものへの批判を分かりやすく描いた作品だと言えるだろう。


「ドラえもん」考察たくさんやってます。



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