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伝説の打ち切りマンガ『海底人間メバル』/藤子F初期作品をぜーんぶ紹介!!④

『海底人間メバル』「ぼくら」1955年1・2・4月号

子供の頃からの「まんが道」愛読者として気になっていた作品は3本あって、一つが以前記事にした「バラとゆびわ」で、もう一本が今回取り上げる「海底人間メバル」、そしてもう一本が「四万年漂流」である。

「バラとゆびわ」は64ページというとんでもないボリュームで、藤子両先生の、描いても描いても終わらないエンドレスな様子が強烈に印象を残している作品。

「海底人間メバル」は、初めての里帰りをして気を緩ませてしまった藤子先生たちが、恐怖の電報責めの後、本作の連載を落としてしまい、普段は温厚だった牛坂編集長が激怒して、才野が泣いてしまうシーンが恐ろしく、それゆえ忘れ難い作品となっている。

「四万年漂流」は、藤子不二雄初めての連載作品だが、壮大過ぎて打ち切られてしまうという苦い思い出の一本。読みたかったが、合作作品ということもあってか、藤子・F・不二雄大全集には収録されていない。

「海底人間メバル」は、「まんが道」でほとんど読むことができるが、読み比べると、コマ割りなどが異なっている。元原稿をそのまま載せていたかと思っていたが、「まんが道」執筆の際に書き直しているのである。

掲載誌は「ぼくら」という講談社の月刊漫画誌で、「りぼん」と同時創刊された。「海底人間メバル」は、創刊号からの連載作品で、藤子先生たちが期待されていたことが良くわかる。

ただ期待を寄せられていた藤子不二雄は、先述した通り帰省をきっかけに数本の連載や読み切りを落としてしまう。本作も3月号で掲載されるはずの作品を飛ばしてしまい、その翌4月号で強制的に打ち切りとなってしまう。

なお、この件で、業界を干された藤子不二雄であったが、先述の牛坂編集長(モデルは石坂編集長)が、そろそろカムバックを、という粋な図らないを見せて、「ぼくら」で再び連載を持たせてくれる。それが、「宇宙少年団(後にロケットくん)」である。

本作は安孫子先生の作品となるが、こちらも少し前に初単行本化されて陽の目を見ることとなった。F先生の作品と言われても納得してしまうほど絵がそっくりなのが驚きであった。いずれこちらも考察してみたい作品である。

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本作は全三回の連載で打ち切られたわけだが、一話が4ページなので、全部で12ページの短編と言える作品である。しかし、12ページで終わらせるには本当にもったいないバックグラウンドが設定された作品である。後の藤子先生の作品にも通じるエッセンスも盛りだくさん。少し内容について深掘りしてみよう。

まずタイトルの「海底人間」が印象的。主人公は海底人のメバルという青年である。藤子不二雄最初のヒット作となる「海の王子」にも通じるキャラクター設定となっている。

物語は、陸地が海に沈み始めるという、クライマックスからスタートする。水没しつつある陸地で、ムク博士は脱出し損ねてしまうのだが、謎の青年メバルが水に飛び込んで救い出す。メバルは海中でサメの襲撃をいなすなど、泳ぎがだいぶ得意そうだ。

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メバルは博士を無事救出するが、こうした人道的な態度を見せるメバルに対し、仲間の海底人は気に食わない様子。「敵を助けるとは何事だ」と言われていることから、海底人は地上人を敵と考えていることがわかる。「陸上の人間は生きる価値がない」とまで敵視している。

それに対してメバルは「土地を沈める命令を受けても人間を殺せとは命じられていない」と反発している。メバルは海底人の中では穏健的な考えであるようだ。

そんなやりとりを経て、博士を乗せて脱出した船に、海底から海底人の快速艇が迫るところで第一話が終わる。

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ここまでで、まずムク博士が何の科学者なのかがはっきりしない。キーパーソンであることは間違いなさそうだが、具体的な役割が明らかにされない。

また、海底人が陸上の人間を嫌う理由も不明である。ただ、海底人の中でも考え方の違いがあるようだ。この陸上に暮らす人間と海底人との対立構造は、「ドラえもん のび太の海底奇岩城」でもお馴染みの構図である。

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第二話。海底人間の船が迫る。しかし、船は先に陸地に着いてしまい、襲撃は未遂に終わる。少し拍子抜け。メバルたち海底人は、役割が終わったとして、海へと戻っていく。

陸ではムク博士が、ゴロウという少年に迎えられる。ゴロウの父親とは何かしら深い縁があるようだ。そして博士は、「ある研究をしている。それがわかればなぜ海が広がったかわかる」と言っている。もう少し連載が続けば、この研究の内容なども判ったことだろう。

海中ではメバルが、大統領の新たな命令をカレー大佐から伝達される。「陸上人に紛れて、人間は何人いて、どんな暮らしぶりをして、土地がどれだけ余っているかなどの調査をしろ」というものである。

大統領は海底人の版図を広げたい意図は持ちつつ、無用な人間の殺生は求めていないことがわかる。いわば穏健派の考え方であろう。

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この話を聞いて、「全部沈めてしまえばいい」という強硬な態度のログマ少尉。彼のバックには陸上の人間を滅ぼすことで海底が発展すると考えている司令官がいる。こちらは強硬派ということだろう。

海底人の中にも穏健派と強硬派がいることが判明したところで第二話が終了。こうした二派の分裂模様は、「のび太と雲の王国」の天上人たちの考え方に通じている。

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そして最終回。広げた大風呂敷をどのように閉じるのか?

ログマに襲われるメバルだったが、ムク博士が間に入って難を逃れる。ムク博士は、事態を収めるためメバルたちと海底に向かって大統領と接見することにする。ここで海底の国の首都がアトランティスであることが判明。ムーやアトランティスなど、沈んだ大陸という都市伝説はF先生ではしっかりと押さえなくてはならない。

海底で人間と海底人とで話し合いが行われる。しかしそうした平和的解決を望まない司令官は、地球全てを沈めてしまおうと動き出す。テリウム弾というミサイル(?)を使うらしい。

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その動きを察知したメバルは、潜航艇で後を追う。司令官の反撃に遭うのだが、メバルはそのまま潜航艇に乗ったままテリウム弾の砲台に神風突撃を行って、砲台の大破に成功する。

司令官の野望は潰(つい)えるが、メバルもまたその姿を消してしまう。メバルの生死は不明という終わり方となっており、「海の王子」の週刊連載の最終回とほぼ同じラストとなっている。

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海底人対陸上人の対立構造の争点は何だったのだろうか。
海底人が領土を拡大する理由は明らかとなっていない。しかし、穏健派の大統領も、地上の一部を沈める命令は出しているので、何かやむにやまれぬ理由があるのだと想像される。考えらえるのは、海底火山などで海底人の住居スペースが減ってしまったとか、海底人の人口が増え過ぎてしまったとか、そんな理由だろうか。

環境問題なども現代的見地からは考えられるが、本作が描かれた時代は、まだ海底が神秘の世界だった頃で、例えば、陸上人が海を汚した仕返しに、というような感じは全く見受けられない。

本作は無念の打ち切りとなってしまったが、本作が描こうとしたテーマや構造は、その後のF作品に登場する。全体的には「海の王子」とテイストが似ている。本作のムク博士は、チエノ博士となり、メバルの正義感は海の王子へと繋がっている。

海底人対地上人の構造は「のび太の海底奇岩城」、海底人の中の派閥の違いは「のび太と雲の王国」に繋がる。こうしたSF的なダイナミックな物語構造は、本作で構想され、ドラえもんの大長編で結実したと言えるだろう。


最後に余談だが、本作の登場人物たちは、海底人は全て海の生き物となっている。メバルやカレーは魚の名前がそのまんま。ログマ少尉は、マグロのことであろう。あまりヒネリの無い命名である。


本作など、藤子Fの初期作品もたくさん紹介しています。気になる方は下記目次からチェック!をお願いします。


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