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満たされた時代の幸福感とは?『福来たる』/ありがたみは時代を超えて③

いつだって私たちは満ち足りない。車を買えば家も買いたくなるし、一汁三菜では物足りず、たまには贅沢な外食もしたくなる。一流大学にも入りたいし、高給取りにもなりたい。

いつだって私たちは、もっと、もっとと上を目指してしまう、飽くなき上昇志向の持ち主なのだ。

そして、今の時代における「物足りない物事」は、かつての時代においては贅沢極まりないものだったりする。今と昔では尺度は違うのだけど、今の世の中は物理的に満ち足りているのは間違いない。


藤子作品では、今とは別の世界(時代)を体験することで、今自分が享受していることが、当たり前ではなかったと知れるお話がいくつかある。

「ありがたみは時代を超えて」と題して、そんな作品を3本をまとめて紹介していく。本稿はその3作目となる。

これまでの記事は以下。

2本目で紹介した「ドラえもん」の『昔はよかった』は、今回紹介する作品とほぼ同時期(少し前)に発表されており、内容もかなり近しい。一つのネタを子供向けと大人向けで書き分けたような、二つで一つの関係となっている。


『福来たる』「漫画アクション増刊S・F8」1981年9月5日号

本作の主人公は中年のサラリーマン。役職は係長。名前は作中明らかにならない。口うるさい奥さんがいて、年頃の娘がいる。持ち家のようだが、公庫の返済うんぬんという会話があるので、住宅ローンでも組んでいるのかもしれない。

本作の発表は1981年。物価の高騰が叫ばれたころで、当然給料も右肩上がりの時代だが、働いている職種によっては、物価上昇に給料が伴わない家庭も多かった。

この「係長」の家庭は、その中では中流だと思うが、どうも今の生活に不満であるらしい。


冒頭では、アフター5で酔っ払い、係長が管をまいて、部下を困らせている。部下に対しては「独身貴族でいい御身分だ」などと愚痴っているが、部下も車のローンが残っているところにビデオを買ったので、生活のやりくりには困っている様子。

ちなみにビデオというのは、1981当時だとビデオデッキのことだろうが、まだまだ高級品だった。

係長は部下から帰ろうとせっつかれるのだが、帰ると奥さんから色々と不平不満を募られるので、できれば帰りたくない。部下は終電があるということで姿を消し、係長は「蒸発だァ」と息巻いて公園のベンチで横たわる。


ところが、しばらくして我に返る。どうやら酔いがそこそこ醒めたらしい。そこで帰ろうということで、フラフラと公園内を歩き出す。この時に

「働けど、働けど、貧乏においつく稼ぎなし」
「正直の頭にかみさんどなる」

と独り言を言っている。

一応わかりにくいところなので解説を加えておくと、まず一つ目は「稼ぐに追いつく貧乏なし」に引っかけたジョークとなっている。本来は一生懸命に働けば貧乏にはならないという前向きな意味合いだが、稼ぎを貧乏を反転させて、「働いても貧乏のままだ」という自分を卑下した発言となっている。

二つ目の「正直の頭にかみさんどなる」は、「正直の頭に神宿る」の言い換えとなっている。本来の意味合いとしては、「正直者には神様の助けがある」という正直さを促進させる言葉。これを神様→かみさん、宿る→どなると言い換えて、正直に過ごしているのに奥さんがうるさい、という愚痴にしているのである。


で、神様を口にしたからか、係長は園内の片隅で、小さな神様のような姿の人物がいることに気がつく。あんた誰と声を掛けると、「わしが見えるのか」と驚く。係長は、あんた大人?それとも子供?と続けて質問するが、その人物は名乗るのを途中で止めてしまう。

係長はその人物の風貌を見て、何かを連想させると言って考え出す。

・手に小槌
・ゾロっとした着物
・広いおでこ
・福耳

そしてついにその名を思い出す。

「そーだ、福の神だ!!」

ズバリ言い当ててもらった神様は、「わしの名を知っておったか!!」といたく感激した模様。

百年ぶりに人の世に現れたが、町も人の心も変わってしまい、自分のことを気づいてもくれない。しかし信心深い人間が一人残っていたと、係長の手を握るのだった。

係長は、信心深くはないけれどと断りを入れつつ、素朴な疑問を呈する。

「百年ぶりって、ずーっとさぼったわけ?」

これには神様、「神に対する口の利き方を知らん!」とムッとする。そして、この100年の空白について語り出す。1ページ丸ごと語っているので、ここは要点のみをまとめておこう。

・福の神になったのは3000年前
・昔は良かった。ひと掴みのアワ、一匹の干魚で皆大喜びしてくれた
・飢饉の年などは引っ張りだこだった
・誰も彼もが福の神を家に招こうとした
・文明開化の中で少しずつ仕事がしずらくなった
・すっかり自信を無くし、うつ病にかかって、100年の静養を余儀なくされた

つまりはこの福の神、時代が進むごとに喜ばれなくなって、自信喪失して心の病気になったのだという。近代化は神さまの心も蝕むものなのだ。


絶望していたところ、自分の姿を見つけてくれたと再度喜ぶ福の神だったが、係長は「酔いのせいで見えたのでは」とか、「UFOとかこっくりさんのような眉唾の迷信を信じる」などと福の神のプライドを傷つける発言をするものだから、ついに「ムカーッ」となってどこかへと飛んで行ってしまう。

そして係長、貧乏だなどと言ってた割に、終電が無くなったと言ってタクシーで帰宅する。このあたりのシーンを見ると、貧乏と言っているのは、実質的ではなく、他の家庭を比べたことによる相対的なことのような気がしてくる。


さて帰宅する係長。毎晩いい御身分ね、と皮肉たっぷりに奥さんに出迎えられる。そして帰宅した夫を捕まえ、

「こんなこ言いたかないんですけどね」

と文句言う気満々。すかさず係長は、

「僕も聞きたかない、わかっているから」

と言葉を遮ってしまう。皆まで言うな、ということである。


その夜遅く。係長が寝ていると、福の神が寝室に現れる。神様曰く、「このまま消えるのは口惜しいので、せめて一人くらいは福を授けて喜ばせたい」と思い直したというのだ。

「そうこなくっちゃ」とあくまで軽いノリの係長。心の底から神を信じないと神通力が得られないと聞くと、

「信じますよ。信じるだけなら元手はいらん。いくらでも信じましょ」

と、信心深さを全く感じさせない言いぶりで答えるのであった。なお、起きだした奥さんには福の神の姿は見えないようだ。


さて翌日、福を授けようと、係長宅の生活を観察する福の神。すると、神様にとって衝撃的な事実が明らかとなる。

①ひねるだけで水が出る
②ウォークマンから音楽が流れ出す
③食べ残した食べ物を捨ててしまう
④子供のお小遣いが1000円(10万銭)

特に③については、命の綱である食べ物をいとも簡単に捨て去る様子をみて、狂わんばかりに驚かされる。たった100年で食べ物の価値が下がってしまっているのだ。

神様は「わしおりる!! とても務まらん」と係長の家から飛び出して行く。福の神が与えるようなものは全て揃っているし、逆に有り余っているのだ。


係長は飛び出した神様を引き留めて、以下のように説得する。

「豊かになんて、外見で判断して貰っちゃ困る。まだまだ欲しい物、行きたい所、したい事は限りなくあるんですよ。百パーセント満ち足りた気持ち、涙が出るほどの幸福感が欲しいのです」

このセリフだけを読むと、そんな贅沢な話があるか、と思えてくるが、でもこれって日頃の僕たちが考えていることと同じなのではないだろうか。

携帯電話はあるし、食べ物も水もあるし、旅行だってできる。100年前の暮らしからすれば、生活必需品も贅沢品も揃っている。しかし、そうした物的幸福では飽き足らず、もっと心の底から楽しめる物事を強く欲求しているのだ。


係長が提示したような幸福感は、いったいどうすれば得ることができるのだろうか。神様は「手に余る・・」と困るが、為せば成ると言って励ます係長。果たして、神様はどのような方法を考え出すのか。


目の前に星がチラつく係長。気がつくとそこは江戸時代の片田舎で、農民の格好で横たわっている。吾助と呼ばれており、自分の名前は吾助だったと思い出す。

記憶がさらに蘇る。二年続きの大凶作で奥さんは飢え死にし、娘は身売り。絶望の果てに首を吊ったのだが、こうして生き残ってしまったらしい。

「なんで死なせてくれなかっただ~」と泣き叫ぶと、近所の人だと思われる男から「おらの家へ来いや」と声を掛けられる。ひと掴み残っていたアワのおかゆを出してもらい、何日ぶりかの飯をがっつく吾助。

「酷い世の中、いっそ死んで極楽へ行った方がましだ」などと男に言われ、吾助は「そういえば、極楽のようなところに住んでた気がする」と言い出す。

・飯が捨てるほどある
・夜も赤々と明るい
・千里を一瞬に走る乗り物
・夏涼しく冬暖かいカラクリ

それを聞いた近所の男は、そりゃ夢だと一蹴。そんな暮らしは人間の分に過ぎると感想を述べる。


そんな吾助を見ている福の神。神様は係長に涙が出るような幸福感を与えるべく、食うや食わずの暮らしを提供したのであった。苦労が骨身に染みたころに、現代に呼び戻すことで、100%満ち足りた気持ちになってくれるはずだ。

皮肉にも、係長に与える福はすでに無く、逆に一時便利さをはく奪することで、幸福感を感じさせようというのである。

しかし、と思う。福の神は、

「だが・・・それもいつまで続くことか」

と、呆れ気味に呟くのだった。


喉もの過ぎれば熱さ忘れる。不便だった経験も、便利さに囲まれているうちに、きれいさっぱり忘れてしまうだろう。たった100年前の、食うに困った本当に貧乏だったことを、私たちはきれいさっぱり覚えていないのだから。



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