偉そうにしている人、必読です『二十世紀のおとのさま』/ありがたみは時代を超えて①
どこの世界にも偉そうな人はいる。でも偉そうにする理由は良くわからなかったりする。社長だから偉いのか? 年上だから偉いのか? 金持ちだから偉いのか? 政治家なら偉いのか? 有権者が偉いのか? 知っているから偉いのか? 出自が良いと偉いのか?
考えれば考えるほどに、「偉い」という意味がわからなくなってくる。
特に思うのが、リーダーは偉いのか?という問題である。会社の研修などでは、役職を持つ人やリーダーと呼ばれる人は、仕事上の決裁権が付与されているので、一般社員よりは重要なポジションであることは間違いないが、それでもそれは単なる「役割」に過ぎないとされる。
リーダーだから、人間的に偉いという理由にはならないのである。
その一方で、生まれながらに政治家の家庭だったり、会社で言えば創業者だったりすると、ずっと部下や雇用人から持ち上げられる生活になるので、自然と自分が偉いのだと思い込んでしまう人々も多い。
自分がリーダーであり、偉いのだと思い込んでしまっている人は、その周囲からするとイタイ人間なのだが、そうした方々は権力と結びついているので、これがまたややこしい事態を引き起こす。
本作はそうした偉そうな人の物語である。
ドラえもんが、退屈しのぎに「タイムテレビ」で昔のできごとを見ていると、いかにもぞんざいな態度のお殿様が、一人の農民に対して激怒している。
殿様はキジ狩りの最中で、矢をつがえた瞬間にうっかり農民が前を通りかかったので、獲物に逃げられたのだ。たったそれだけのことで、手打ちにすると怒り狂い、手下に農民を城の牢屋に閉じ込めておけと命令する。
ドラえもんは「いくら殿様だってあんまりだっ」とこちらも怒っている。のび太に怒っている理由を説明するが、のび太は、
と「手打ち」の意味が分かっていない様子。
ドラえもんが「首をちょんぎること」と説明を加えると、「なんだ、そんなことか。ええっ!?」とワンテンポ遅れて驚きの声を上げる。
いくら殿様でも簡単に人の命を取るなんて許せないと二人は意気投合して、タイムマシンでお百姓を救いに行くことに。まるでT・Pぼんのようである。
石垣の前にタイムマシンの出口が現れる。広大なお城のどこに牢屋があるかわからない。そこで二人は手分けして探すことにする。のび太は「交番でもあるといいのに」とその広さに戸惑う。
その頃、殿様は食事をのせたお盆をひっくり返して、またも激怒している。食べ物が不味いので作り直せと命じており、配膳をしていた腰元の女性を震えがらせている。殿様は
と怒り心頭。頭を冷やすためか、城内の散歩に繰り出す。
この殿様は自分が一番偉い状態が続きすぎて、自分の思い通りにならないことが許せないという、かなり思い上がった存在となっているのだ。
ドラえもんとのび太が牢屋探しに手間取っていると、散歩中の殿様がタイムマシンの入り口を見つけてしまう。覗き込んだ拍子にタイムマシンの上に落ちてしまい、そのはずみでスイッチを押してしまったらしく、タイムマシンが起動する。
と機械に対しても怒る殿様。もはや「無礼者」や「手打ちにするぞ」が口癖となっているようである。
殿様はタイムマシンに乗って、のび太の部屋にたどり着く。当然初めて見た20世紀に驚愕する殿様。せまっ苦しい家だと一階に降りていくと、ママがお茶を片手に煎餅か何かを食べている。
ママが驚いて「キャッ、どなた!?」と声を出すと、「殿様である」と案外冷静な返事。そして初対面のママに対して、腰元扱いして
と超絶、上からの傲慢な命令を下し、当然それに対してママは憤慨。いい争いとなって「手打ちにいたす!!」と殿様が刀を抜くと、刃の先が天井からつり下がっている電灯と接触して感電状態に・・・。
一方のドラえもんたちは牢屋から農民を解放させて、現代に戻ろうとするがタイムマシンが無くなっている。そこで「タイム電話」で22世紀のドラミにヘルプを求め、チューリップ型のタイムマシンで送り届けてもらう。すると一足先にタイムマシンが戻ってきている。
殿様はどういう経緯があったかわからないが、道に出ている。しずちゃん、ジャイアン、スネ夫を見つけて「城への帰り道がわからないので、案内いたせ」と威張り腐ったお願いをするが、「変なおっさん」と相手にされない。
腹が減ったところに、中華料理店の美味しそうな匂いを嗅いで店内に吸い込まれる。「何でもいいから早く持ってまいれ」と命じて、出されたラーメンを美味そうに食べる。藤子ワールドにおいては、古今東西、宇宙中の生き物がラーメン好きなのである。
そしてお代も払わず、「褒めてつかわす」と言って出ていこうとするので、口論に発展。「殿様であるぞ」と、いつものように権威で押さえ込もうとするが、
と、20世紀のラーメン屋には全く通らない道理なのであった。
結局女性店員いボコボコにされ、「城に帰ったら手打ちにしてくれるぞ」と叫ぶが、その声は届かない・・。
ドラえもんたちはママの話を聞いて、殿様がタイムマシンで現代にやってきたことを知る。果たしてどこへ行ってしまったのだろうか。
殿様は大きな屋敷に入っていき、「家来にして使わす」と性懲りもなく上から目線の発言をして、ここでもギタギタにされる。行き場も無くなり雨も降り出し、仕方なく土管の中で体を丸める殿様。
「わしはこれからどうすればいいのか。誰か助けてくれえ」と泣き言を言っていると、一人の少年が殿様に気がつく。困っている様子を見て、自分の家に来るよう救いの手を差し伸べる。
現代に来て初めて優しくされた殿様は「親切な子じゃ、侍にしてやるぞ」と上機嫌。ところが案内された家は、いかにも古そうなあばら家で、殿様は「汚い家だな」と思わず口にしてしまう。
さて、ここからの少年と殿様のやりとりが本作のハイライト。
これがいわゆる論破である。
答えに窮している所に、少年の父親が帰宅する。いかにも土木作業員といった風情で、朴訥としているが人は良さそうだ。
行くあてもないという事情を聞いて、「うちに置いてやってもいいが、明日から俺と一緒に働きに出ろよ」と極めて真っ当な申し出をする。他人の家に住むためには労働という対価が必要なのだ。
それからおそらく何日か経過したところで、のび太がドラえもんのいる部屋に駆け込んでくる。殿様そっくりの男が真っ黒になって働いているというのだ。
ドラえもんを連れて行くと、殿様が工事現場で懸命になって土を掘っている。へっぴり腰を注意され「すみませんでござる」と汗を流す殿様。その様子を見てのび太は「帰してあげても大丈夫じゃないかな」と、ドラえもんに言う。
かくして、本来の時代に戻った殿様。タイムテレビに映してみると、優しい笑顔が出ている。
殿様は20世紀で自分が偉そうにしている根拠がまるで無かったこと、労働の対価として真っ当な人間として扱ってもらったことなどが身に染みたのだろう。
すっかり思いやりのある良い殿様になって、みんなも喜んでいるのだという。
本作は偉そうにしていた殿様が、その根拠を失って行き場を失い、人の優しさや生きることの厳しさを学び、改心するという気持ちのいい話になっている。
一歩内容に踏み込むと、人が偉いという根拠は何かというテーマが浮かび上がる。親の七光りでふんぞり返る代議士や経営者、地方の名士・・。周囲から見て偉そうだな、と思わせる人物は、総じてその根拠は薄弱だ。
是非、組織のトップに立っている人たちは、本作を座右の銘にして、時々見返してもらいたいと思う次第である。
「ドラえもん」の考察をしています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?