結局はのび太の現実逃避?『昔はよかった』/ありがたみは時代を超えて②
今の時代に生まれたことについて、運が良かったと考えるか、もっと別の時代が良かったと考えるか、まあそれは人それぞれなのだろうが、誰しも一度は考える命題ではある。
今の日本が良い方向に進んでいるとは思えない自分としては、この時代に生まれてきた息子を見て、こんな嫌な時代で生活していかねばならないのか・・・と、少し憂鬱な気分にもなる。
もちろん、息子からすれば余計なお世話かも知れない。今の日本は、何だかんだ飽食だし、一応戦争はしていない。もはや一流国ではないが、生活に困らない二流程度の国には位置している。十分に満足だと思うかもわからない。
今の時代に生まれ育ったことは不幸なことか。それを考えることは、基本的には頭の体操であって、解答が得られる話ではない。けれど、昔と今とでどちらが自分にとって暮らしやすい世界なのかを知る方法が一つだけある。
それは、タイムマシンで実際に昔に行くことだ・・・!
珍しくのび太がパパと町を散歩している。今日のパパはセンチメンタルな気分らしく、昔を懐かしむ話題ばかり。
典型的な「昔は良かった」話である。
のび太はパパの話を聞いて、もっと昔には学校もなかったと考える。宿題をするようにママに注意され、「絶対に昔が良かった」と声を上げる。ドラえもんは、「そうも言い切れないじゃないか」と真っ当な反応だ。
のび太は学校のないような大昔で、実際に暮らしてみようと思いつく。昔の世界で暮らせるわけがないとドラえもんは止めるが、「気に入ったら帰ってこないかもね」と豪語して、のび太はタイムマシンに乗り込んでしまう。
読者もドラえもんも、のび太の「昔が良かった」というセリフは、単に学校に行って勉強したり、宿題をするのが嫌なだけだから言っていることがわかる。積極的というよりは、現実逃避的に昔に憧れているだけなのだ。そんなのび太は、昔で暮らしていけるのだろうか・・。
おそらくは江戸時代だろうか。裏山の一本杉は見えるが、当然山のふもとの学校は姿かたちもない。家も建っていないし、ドブ川だった場所には水のきれいな小川が流れている。
のび太のパパは手掴みでたくさん魚が捕れたと言っていたが、のび太が川に入って捕まえようとしても、さっぱりうまくいかない。魚がいることと、捕まえられることは別問題だと、のび太はすぐに理解する。
川の中で横転し、それだけで嫌気が差して、もう帰ろうと言い出すのび太。
とうそぶくが、この場合、長所ではなく短所である。
しかし一度は帰ろうと考えたのび太だったが、ドラえもんに馬鹿にされることを想像して、急に意固地になって、「帰るもんか」と方針転換。
少し歩いて行くと、近くに村があって一軒の農家を見つけて中に入る。しばらく下宿させてもらおうと言うのである。
家は古く、畳ではなく板張り。土間には蒔が何本も積んであり、家の中には囲炉裏がある。のび太はしばらく待たせてもらおうと、勝手に家に入り込んで横になる。「海水浴にでも行ったのかしら」などと呟いているうちに、眠ってしまう。
陽も落ちて、家の住民が帰ってくる。父親と娘のようだ。のび太にどこから来たのか尋ねてきて、「遠いところ」と答えると、「良かったら泊っていきな」と優しく声をかけてくれる。「昔の人は親切だ」と喜ぶのび太。
・・・と、順調なのはもうここまで。ここからは、「昔」がのび太が思っているような楽園でないことが次々と明るみに出る。
のび太は寝床で、もっと金持ちの家を探せばよかったと後悔する。が、しかし、江戸時代の農民の生活は、こういう質素なものなのだ。贅沢な現代人の醜態を晒すのび太だが、これは当然作者が敢えてそういう姿を描いている。
翌朝。のび太は寝坊して、「学校に遅刻する」と飛び起きるが、この世界には学校はない。「行かなくてもいい」とホッとするのび太。
家人たちは既に外出しており、畑にでも向かったのだろう。のび太の朝食が用意してあるが、昨晩と同じような内容なので、食べた気がしないと、相変わらずの飽食っぷりだ。
のび太にしては珍しく、おじさんのいる畑へ行き、「何かお手伝いさせて下さい」と申し出る。さすがにただで泊まらせてもらっているのは気が引けたのだろうか。
ところが、現代においてももやしっ子ののび太は、予想通り昔の世界では役に立たない。クワを持ったことがないので、畑を耕そうとしても、フラフラとへっぴり腰で、すぐに息が上がって手はマメだらけ。
次に女の子の仕事である水汲みを手伝うことにするが、井戸を掘っても水が出てこないということで、遠方の川まで汲みにいかなくてはならない。水の入った桶を二つ棒にぶら下げて、肩に担いで運ぶのだが、すぐに「肩が砕けそう」などと弱音を吐いて、転んで水をこぼしてしまう。
ロクに手伝いもできないので、「休んでな」と体よく突き放される。現代の空き地のある場所に来て、「呑気に野球なんかして、あの頃は良かったなあ」と、元の時代を羨ましがるのび太。この男は、常に他人の芝が青い、ここではないどこかに楽園があると思い込むタイプなのである。
さらに一日二食と聞いて、のび太はたまらずタイムマシンで現代に戻る。そのまま台所に直行してラーメンと餃子を作って食べて一息つく。ニヤニヤと何か言いたげなドラえもんには、「おやつを食べに来ただけだ」と言って、再びタイムマシンで昔の世界へ。
女の子が外仕事を終えて家に帰ってきたので、遊ぼうと声をかけるが、こんどは家の仕事があるという。蒔を割って、釜にくべて、火を起こす。のび太は「電気やガスがないってことはずいぶん不便なんだね」と感想を持つ。
女の子はその後も大根を干したりして、仕事は延々と続く。隣の家では小さい男の子が赤ん坊を負ぶっている。昔の世界は学校がない代わりに、子供にも割り振られた仕事がたくさんあるのだ。
さて、ここからこの家が大変な事態になる。
夕方、父親が帰って来るが元気がない。日照り続きで今年の稲は駄目かもしれないという。近くの川は隣村のもので、ここから水を引いたら血を見るような争いになるという。かと言って、年貢を納めなければ、牢屋に入れられてしまう。この世界の農民は、普通に食べていくだけでも精一杯なのだ。
そしてその晩、父親が高熱を出す。医者を呼ばなくてはならないが、三里ほど離れた村にしかいないという。三里は12キロ。バスやタクシーもなく、街灯も無いので夜道は真っ暗だ。
のび太はドラえもんに馬鹿にされても仕方がないと、タイムマシンで現代へと戻る。そしてニヤニヤしているドラえもんに泣きついて、おじさんを助けてくれと懇願する。
のび太はとても良い人なのに貧乏なんだと言うと、「その時代ではそれぐらいの暮らしが当たり前だったんだ」とドラえもんは答える。このやりとりは、読者である飽食の家庭に住む子供へ向けたメッセージになっている。
のび太は昔に戻り、ドラえもん=医者を連れてきたと言う。明け方になるだろうと思っていた女の子は、「もう?」と喜ぶ。そして、ここからは昔の人はもちろん、現代人も驚くような未来のひみつ道具のご披露である。
最初、部屋を明るくした時に、ドラえもんを見た娘が、「お医者さんかと思ったらタヌキじゃない」と突っ込んでドラえもんは憤慨する。さらに、便利グッズを渡したことで、稲荷大明神のお使いだといって拝まれるのだが、「お稲荷さんの使いはキツネだが、何かの都合でタヌキを遣わされたのだ」などと言われてしまう。
感謝されつつ、現代に戻るのび太たち。ドラえもんは言う。
今が良い、昔が良いと、現実逃避をするのは簡単だが、結局どの時代にも良いこともあれば不便なこともある。今いる時代で精一杯生きるしかない。そんな前向きな、力強いドラえもん(作者)のメッセージとなっている。
すぐに感化されるのび太は、急に前向き志向になって、
と、目を輝かせる。
が、すぐさま「頑張ってないじゃない、宿題は!?」とママに叱られる。
「やっぱり昔の方が良かった!!」と早くも前言撤回して、泣きながら宿題をするのび太。この男、相変わらず、目先に困難に挫けてしまうタイプなのだった。
さて、本作は、学校がない時代も大変だ、という極めてシンプルな作者のメッセージが込められた作品となっている。
現実逃避型で、ひ弱で、どうしようもないのび太なのだが、本作においては、一応は野良仕事を手伝おうとしたり、おじさんの命を救おうと一生懸命になる姿もきちんと描かれている。その辺のバランスが相変わらず素晴らしい。
明日は、どんな時代でも一生懸命がんばるんだぞと、息子に告げようと思いつつ、筆をくことにしたい。
「ドラえもん」の解説・考察をしています。
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