ミキオの未来社会まであと半世紀。『宇宙ヨットで月旅行』/目指せ月のお話⑤

「目指せ月のお話」と題して、1960年代の月面に人類を送り込むアポロ計画から着想を得た藤子作品を紹介してきた。これまでに「オバケのQ太郎」「キテレツ大百科」「ドラえもん」「ウメ星デンカ」から4作品の記事を書き終えた。

直近の記事はこちらから(他の記事にも飛べます)。


さてシリーズ記事も今回で一応の最終回。これまで同様、月に憧れる主人公(みきお)のお話だが、これまでとは趣向が異なり、実際に月旅行をしてしまうお話となる。ただし、100年後の世界であるが・・。


『宇宙ヨットで月旅行』「小学四年生」1974年8月号
『みきおのかつやく』「小学四年生」1974年9月号

まず「みきおとミキオ」について、簡単な概略から。ひと言で言えば、本作は、現代と未来世界の価値観のギャップがテーマとなっているギャグ作品である。

1974年に生きるみきおが、ある日洞窟(防空壕)の中で姿を消す。家族や友人たちが慌てる中、みきおはなんと100年後(2074年)の未来都市にタイムスリップをしていた。

未来には、みきおと姿格好が全く同じのミキオがいて、二人は意気投合する。それぞれ未来と過去に興味を持ち、時々洞窟の中のタイムトンネルを使って行き来をし、入れ替わって生活をすることになる。

ただの虫取りに大興奮する未来人や、メンコがメンバンとしてプロスポーツ化しているなど、現代人のみきおの視点で、未来世界が面白おかしく描かれる。

詳細な記事もあるので、宜しければ・・。


本稿で取り上げるのは、未来社会ではすっかりメジャーとなった月旅行にみきおが参加することになり、ひと騒動が巻き起こるお話。二カ月連続で掲載された力作で、未来社会への憧れと、ある種の警鐘も含んだ、「みきおとミキオ」の代表作である。


みきおとミキオは決まった時間で入れ替わることになっているが、この日はお互い交換を渋っている。それぞれ旅行が計画されているので、入れ替わりたくないのである。

ところが、未来のミキオは月旅行現代のみきおは大自然のキャンプということがわかり、やはり入れ替わろうということになる。それぞれの旅行スケジュールは以下。

現代:バンガローで一泊家族旅行。花や虫、リスやウサギなどの野生動物がうようよし、飯ごうでご飯を炊いて、キャンプファイヤーを囲む

未来:貸し切りヨットで友だちと月への一泊旅行。「晴れの海」でキャンプする

1974年当時は、アポロ計画によって10人以上のパイロットたちが月面に到達していたが、少年たちにとってはなおも強い憧れの場所だった。そんな月へのキャンプと聞いて、みきおは行きたくて仕方がなくなる。

一方未来人にとって、大自然でのキャンプは既に失われた得難い経験となる。バンガローなども博物館でしか見ることができない。ミキオは気絶しそうなほど興奮する。

互いの希望が一致し、結局いつものように立場を入れ替えることになるのである。


そういうことで、ミキオの友人たちと一泊の月旅行に出発するみきお。友人たちは、ガールフレンドのマリコ、ブクラとトンキョの3人である。

宇宙ヨットは宇宙船を遮る帆を使って走る乗り物。ボタン操作で離陸して、軌道に乗ったところで自動操縦に切り替える。小学生でも操作可能であるらしい。

しかし現代人のみきおはそうはいかない。みきおはくじ引きで運転手役を引くのだが、ボタンを押し間違えてヨットはキリキリ舞い。その後も、食事時間にライトを消そうとして、人工重力スイッチを押してしまい、無重力状態となって食事が飛び散ってしまう。

そんなみきおを見て、マリコは最近様子がおかしいと詰め寄ってくる。ミキオのことが気になっている子なので、みきおと入れ替わっていることでの違和感を感じているのである。


そんな時にトラブルが発生する。隕石が猛スピードで近づいてきて、ヨットにぶつかったのである。強い衝撃で吹っ飛ばされるみきおたち。この衝突でも船体は無事だったが、コンピューターがやられてしまう

ヨットは月に近づくと軌道を変えて着陸態勢を取らなくてはならないのだが、着陸軌道をコンピューターはまだ計算中だった。よって、計算が終わらないとヨットは月へと着かず、宇宙空間を彷徨うことになる。

大ピンチ到来! というところで、前半戦が終了。次号へ続くとなる。



地球にも戻れず月にも進めない。落ち込むミキオの友人たち。みきおは、コンピューターが壊れたなら、手計算で続きをやればいいのでは、と提案するが、マリコたちに「バカか」と呆れられる。

軌道計算はとても複雑で、人間では不可能だというのである。幸いほとんどの計算は終わっているのだが、最後の2467×13という式が残ってしまっているという。未来人にとっては、見ただけで頭がクラクラするような計算式のようだが・・。

みきおは、さらさらとひっ算して、32071という答えを出す。何だか正解のようだということで、自動操縦装置に答えを入れると、ヨットは月への着陸軌道に乗った模様。


月都市の「夢の浅瀬」ドーム。みきおは大勢の記者団に囲まれ記者会見に臨んでいる。計算機を使わずに答えを出したことで、それは奇跡だと報道陣に驚かれている。そして、報道陣は語る。

「人間にはもともと計算する力があったんだって。それが、便利な計算機を頼るようになってから、できなくなっちゃたらしいんだ」

たった100年後の未来で、人間の計算能力が喪失するとは思えないが、コンピューターに頼り過ぎたことで、人間の能力が劣化している例はいくつも思い当たる。

例えば、ネットの検索機能が充実したことで、辞書で調べるという能力は必要なくなった。PCの発達によって、手書きの能力は著しく低下した。デジタルな便利さと引き換えに、多くのアナログな技が失われている。

つまり「みきおとミキオ」で描かれている未来人の劣化は、半分現実のものとなっているのである。


気を取り直して、月面のキャンプ場(晴れの海)へと向かう。気密テント、太陽熱電池、酸素36時分など、必要なものは月面車に積まれている。利用者の負担が少ないキャンプコースなのだ。

ブクラの運転で月面を走り出す。陽気に歌いながら飛ばして、キャンプ地に到着。しかしキャンプシーズンということで、晴れの海はテントだらけ。キャンプ場で人だかりというのは、なかなか白けるものだが、マリコたちも、もっとひっそりした所へ行こうと言い出す。


キャンプ地指定から離れることに懸念を示すみきおだが、弱虫扱いされてウヤムヤに。さらに月面車のスピードを出し過ぎるなど、未来人たちは大はしゃぎ。(みきおはヘロヘロ)

ところが油断したため、クレパスに車輪を取られて、崖の下へと落下。みきおたちの体は無事だったが、車はバラバラとなってしまう。

岩は脆く、よじ登ろうとしても崩れてしまう。未来人の3人は、あれだけ威勢が良かったくせに、危機に陥った途端に「絶対にここから抜け出せない運命だ」などと言いながら号泣してしまう。


嘆く三人に、みきおは尋ねる。月の重力は地球の六分の一なのだから、飛び上がっていけばいいのではないかと。三人は口々に否定。またも機械に頼り切った果ての未来人の能力の劣化について語り出す。

「オリンピック選手だって無理だい」「昔の人間ならどうかわからないけどな」「昔の人って、体の力が強かったんですってね」「今じゃ、乗り物でも何でも機械に頼るようになったから・・」

未来人は、計算能力だけでなく、体力もかなり落としているようなのである。


現代人のみきおは、いとも簡単にピョンピョンと崖を飛んで登っていく。そしてロープをクレパスの底に投げて、3人を引き上げる。みきおのジャンプ力と力の強さに驚く3人。

そして3人を先導してどんどんと歩いて行き、パトロールを見つけて手を振るみきお。その様子を見ていた3人は、「ひょっとしてスーパーマンではないか」と感心するのであった。


100年後の未来は、子供たちだけでも月旅行ができる。本作は、そんな夢のような世界を描き出す。

その一方で、機械に頼り過ぎた未来人は、計算能力や運動能力を急速に劣化させている。その点は、まるで悪夢のようだ。

1974年当時の読者は、現代人のみきおが未来でヒーローとなる姿にエールを送ったに違いない。しかし今読み直すと、機械に頼りすぎて様々な能力が劣化している側の気持ちに共感できるようになっている。


「みきおとミキオ」は、1974年当時の未来への憧れと同時に、機械文明への警鐘が込められた作品だった。

連載から半世紀が経ち、今はみきおの現代社会とミキオの未来社会のちょうどその中間地点にある。改めて本作を読むと、未来への憧れよりも、強い警鐘の方に気持ちが向かってしまう。・・・これは怖いことである。

最後の月面着陸を成し遂げて、ちょうど今年で50年。つまり、この50年間私たちは月から遠ざかってしまっている。それは、この半世紀は進歩が止まっていたことを意味するのだろうか。


ミキオの未来社会まであと半世紀。今読むべき作品なのは間違いない。



藤子作品の紹介・解説・考察をしています。


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