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いのちのやくそく・ 父の思い(その2) 183

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「いのちのやくそく 」(池川明、上田サトシ著、2016年8月1日、センジュ出版より発売)より抜粋して、少しずつ「マガジン『いのちのやくそく』」に書いています。
今回は、「父の思い」(その2)です。

「いのちのやくそく」を出版する際に、子どもの発達障がいに関する記述のほとんどが削除される可能性がありました。
もちろん妊婦さんに向けての本ですので、「発達障がいなんてとんでもない」という意見はもっともだと思いました。

しかし現代では多くの家族が直面している子どもの「発達障がい」という深刻な問題、そしてその問題に家族で取り組んでいく姿は美しいのです。彼らの諦めないで取り組む姿は、同じような問題で困っている家族にとって絶対に励みになる。だから載せるべきだと思ったのです。

それでも読者にとってこの家族の愛、子どもを思いやる姿の美しさを伝えるのには、そしてこの箇所が何故大切なのかを伝えるのには、「何かが足りない。この箇所が絶対にいると思える理由が必要だ」と思え、自分の小さかった頃の経験や思いを深く掘り下げて頭に浮かんだのが、難病を抱えて苦しんでいた自分、そしてその時の父の気持ちだったのです。

あの頃はわからなかったけど、発達障がいの子どもたちと関わるようになって、あの頃の父の気持ちがなんとなく理解できるようになりました。自分がなぜ子どもたちに関わるようになったのか、なんとなく解るようになりました。

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父の思い(その2)

なぜ僕がこんなにも発達に悩みを抱えるお子さんたちへ思いを馳せてしまうかというと、僕自身のことと重なるように思えるからです。

もう20年以上も前に亡くなった僕の父は、当時東京でひとり暮らししていた僕に会うたびに涙が出たそうです。若い頃はその涙の理由がわかりませんでしたが、今では父の気持ちが理解できるようになりました。

僕が美大を目指して東京で一人暮らしを始めようとした時も、アメリカに行こうとした時も、頑として反対して聞き入れようとしなかった父。ただの頑固な親父としか思っていなかったのですが、そうではなかったのです。

中学生の頃、僕は難病指定されていた腎臓病にかかってしまい、1年ぐらい入院していました。その間、僕は嫌がっていたのに父は毎日病院に見舞いに来てくれました。

退院してからの僕は中学、高校と合計6年間以上も体育を見学しなくてはならず、過度の運動も一切出来ませんでした。好きな長距離走を泣く泣く諦めたりもしました。

あの頃は自分のことで精一杯でわからなかったけど、今なら父の気持ちが理解できます。
あの時、父は僕の身体を気遣ってくれていたのです。
小さい頃から虚弱体質で何をするにも体力がなかった僕を見ていて、

「俺が死んだら、この子は一人でやっていけるのだろうか」
きっとそう思って僕を心配していたのだと思います。だから体力を必要とすることには極力反対して、それでもどこかで僕を信じて涙し、最後には応援してくれていたのです。

発達が気になる子どもたちとその親御さんたちに関わるようになって、それまで解らなかった父の気持ちが痛いほどわかるようになりました。

「僕が出会った子どもたちは小さい頃の僕で、そして親御さんたちは、あの時の僕の父なんだ」
そう思えるようになったのです。

「僕に何か出来ることがあるなら、なんでも協力したい」
と、あの頃の父の思いと似た気持ちを、僕はいつも抱いている気がします。

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