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生きること、それは食べることにある。

こんにちは。サリーです。

ここ最近、新生活の基盤を整えていて、なかなか投稿できていませんでした。ですがその間にも、いくつかの記事にいいねを頂いていて、とても嬉しいです。ありがとうございます。

今日は、今の私にとって大切な"食”をテーマに話を書きたいと思います。
新天地に移ってから、物心ついたころからずっとしたかった”自炊”と、”お弁当作り”に勤しんでます。

これまで24年間生きてきて、実は自炊もお弁当作りもほとんど本気ではしたことがありませんでした。
高校までは、学業と部活などの学生生活を第一にして生きており、そして大学ではキッチンがない寮生活。そんなこんなしているうちに、人にとってとても大切な”食”というものにあまり触れずに生きてきました。

食を忘れた私

そんな私が”食”に興味を持ったのは、大学生の時です。
もともと食べることは好きで、また家族の習慣的に、3食きっちり食べてはいました。

そんな私が台湾にきてから、最初は3食きちんと食べていたものが、だんだん学業や活動で忙しくなり、だんだん朝ごはんを抜くようになり、しまいには晩御飯しか食べない、1日何も食べないなんてこともありました。

そんな生活を数ヶ月続けていくと、集中力がなくなり、元気が出なくなり、やる気が起きなくなって、土日は寝て過ごして、しまいには授業に行かなくなることもありました。

その当時は、家庭のことや過去のことに悩んだり、学業や生活で挫折したから、うつ的な症状が出ているとばっかり思っていて、逆にすごく自分を追い込みました。特にひどかったのは2年生前期、中間テスト期間にインナーチャイルドが爆発し、とうとう学習に身が入らなくなり、一週間泣き続けるそんな日々を過ごしたこともありました。ただ日本ではどんなことが起きようともそんな状態になったことはなかったので、ただただ困惑でした。

その後、自分の素直な気持ちを受け入れ、自分を大切にするということを覚え始め、一旦は気持ちも落ち着き、学校生活も送れるようになりました。

今振り返ってみると、その事件のすぐに、バイクを手にいれ、いろんなところにご飯を買いに行けるようになってから、ちゃんと食べるようになって、自然に元気を取り戻したのかなと思います。

ただその時は、不調の原因が栄養不足だったとは、全く思っていませんでした。

食の原体験

そしてしばらくたって、大学3年生の時に、とうとう食の大切さに気づき始めました。
そのきっかけは、とある友達の家にお泊まりさせてもらった時です。
その友達は、自分よりも勉強もできて、意欲的にいろんなことに取り組んでて、元気で、とても尊敬する人。

そんな彼女が朝、手作りの茶碗蒸しとポトフを出してくれました。
それまでの私の朝ごはんの常識は、白ごはんかパンは必須。そこに果物をたべる。台湾でだと、蛋餅かサンドイッチを食べるかどうかぐらいでした。

だから彼女の朝ごはんにとても驚き、正直お腹いっぱいになるんかなと失礼ながら思ってしまいました。けど郷に入りば郷に従え精神で、ありがたくいただきました。

まず、茶碗蒸しもポトフもとても美味しく、また炭水化物を食べなくても、お腹がいっぱいになることに感動しました。

そして、いつものなら、日中身体が痒くなったり、精神的にムラが出てたり、多動症がでてくるのに、その日、一日中体調がすごくよく、脳も心もスッキリしていました。

そして彼女のすごさの根底を支えているものが、"食"だということにも直感的に気づきました。

その原体験が"食べるもの”、”飲むのも”が人を作るということを私に教えてくれました。

そこから、学校の寮をでて、一人暮らしを始める段階で、電気調理器具を調達し、少しずつ自分で調理をし、食べるようになり、また水をよく飲むようになりました。

そうするうちに、段々と自分が明るくなり、いろんなことに楽しく意欲的に取り組むようになりました。

その調子が続けばよかったのですが、意欲的に活動することで、また料理をする時間がなくなり、留学最後の方に”食”に興味をなくす時期を過ごします。
ただこのころは食べないという選択肢はなく、また周りの援助もあり、ちゃんとなにかしらは食べていました。そしてそのまま、大学を卒業をし、日本に完全帰国しました。

炭水化物との戦い

日本に帰ってきてから私を待ち受けていたのは、炭水化物との戦いでした。

私の実家は大阪にあり、大阪の主食といえば、粉もんと白ごはん。
実家でも、外でも、どこで食べても、とりあえず3食白ごはんか、パンはついてきます。また多くの精製糖質も身近に溢れていました。

そして周りにはたくさん食べる人、食べさす人が沢山いてました。
ありがたいことなんですけど、ありというまに、台湾で55キロまで痩せていた体は60キロ近くまでリバウンドしました。

そして私は一年間大阪でフリーター時期を過ごすのですが、その期間私は某有名ファストフード店にお世話になりました。

そこでは厨房で身体を使って仕事をしていたのですが、最初の頃お金を貯めたくて、お昼ご飯はその店の商品をよく食べていました。

そういう生活が続いていくと、段々また自分の不調に気づき始めました。
また体の痒みがではじめ、精神的に不安定になるし、集中力が低下し、無気力になり始めていてました。仕事にも、当時していた学習にも悪影響が出始めました。

そんな状態に危機感を覚え、台湾で調子が良かった時のことを振り返り、何が違うか比較してみました。

まず飲み物は、水を飲むことが減っていて、代わりにカルピスなどを飲む機会が増えていました。食べ物は、食べる量が多いし、炭水化物・ジャンキー中心の生活が中心になってました。また補足で、断然に運動量が減っていました。

そこに気づいた私は、食生活と運動を見直しました。

タンパク質、鉄との出会い

まず飲み物は水を主に摂るようにし、食べ物はバイト先で食べる回数を減らしたり、白ごはんを食べる回数を減らしました。そして日々ストレッチや筋トレをするようになり、平時は大分元気を取り戻し始めました。

ただやはりダメだったのが、月経前後。この時期の体調•精神のムラ、そして集中力の低下がどうしても解決できずに、悩んでました。

そんな折、たまたまyoutubeで多動性について調べていると80歳ぐらいのおじいちゃん先生と出会いました。その先生は藤川徳美先生という広島で精神科の開業医をしていらっしゃる方で、その動画は、”栄養療法でADHDは改善する”というものでした。

最初、半信半疑でとりあえず見てみようと思い、動画を開きました。それが運命の出会いでした。

詳しくは是非自ら先生の動画や、書籍を読んで理解していただきたいのですが、その中で私が衝撃を受けた言葉があります。

それは”体の不調は炭水化物&精製糖質中心の生活で、身体のエネルギーを作るのに大切なタンパク質と鉄、ビタミンが不足しているから"
"先進国では量的栄養失調はほとんどないけど、質的栄養失調で苦しんでる人が沢山いている。”という内容です。

その内容を聞いた時、目から鱗の気持ちになり、この先生が私の悩みを解決するためのヒントをくれるかもと思い、先生の動画や、書籍から情報収集をしました。

結論だけをいうと、その後私は、お肉中心の生活に切り替え、プロテインと鉄サプリを飲み始めました。

それを続けていくと、段々体に芯ができ始め、脳内もスッキリし、精神的にも劇的に落ちつきました。
月経前後も以前より大分元気に過ごせるようになりました。
そのうち、肉中心の生活を続けていくと、プロテインとサプリをやめても元気で過ごせて、体の痒みもなく、脳の多動性も落ち着きました。

そして今

そして今、仕事をきっかけに一人暮らしを始め、自ら食材を選び、自分の食事を用意し、また念願の弁当作りにも励んでいます。正直これをしたいがために、地元を離れ、今の会社に就職したと言っても過言ではないです。
ここ二週間"食"を中心に考え、日々暮らしていると、ふとこんなことを思いました。
『あ、生きることって、食べることなんだな』
人間いつかは死ぬ、それまでどう生きるかは、どう食べるかがとても重要になってくる、最近そう思います。

今まで人間関係とか、将来とか、仕事とか、生きがいとか、自分の未熟さとか、いろんなことに悩んできたけど、まずは自分が摂る”食”を真剣に考えれば、自ずと他の問題も解決するのでは、そんな仮説をもとに、まずはこの一年過ごしていきたいなと思います。

そしてその仮説が、私の人生のテーマである『自分と、大切な人が幸せを感じる環境を作る』に通づると信じて。

以上
サリーの”食”に関する原体験と、仮説でした。

後書き
最後までご一読頂きありがとうございます。
この内容を投稿しようかとても悩みましたが、同じことで悩んでいる人に、少しでも役にたてばいいなと思い、投稿することに決めました。
私は今、身体・精神の不調に悩んでいる20代以下の人たちに伝えたいです。
『一度自分の食と真剣に向き合ってほしい、それがあなた自身があなたを大切にすることに繋がるから。』と。

ちょっぴり大学までの教育で、もっと生きるとは何かを考え、実践できる環境があればいいのになぁと思ったりするこの頃です笑。

これはあくまで、私の体験と仮説なので、こんな人もいるんだなと参考程度に読んでもらえると嬉しいです。

サリー



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