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メンタルヘルスとポップカルチャー〜『2700八十島のメンタルの話』で考えるお笑いと精神疾患

一端の若手精神科医が日々の診療で感じていること、そこから連想したポップカルチャーの話をまじえながら書き残していく文章のシリーズです。

2700八十島のメンタルの話

7/19によしもと幕張イオンモール劇場で行われた『2700八十島のメンタルの話』。話題になっていたので配信で購入(アーカイブは8/2まで)して観た。2018年から様々な理由で心身に不調をきたし、そこから3度の入院(ライブ中は「天国に行っていた」と形容)を経て復帰に至ったお笑いコンビ2700の八十島。その天国時代の日々を八十島自身が時系列を追って話をし、その話を彼に近しい芸人仲間(バイク川崎バイク、囲碁将棋、スカチャン、金属バット、アイロンヘッド)が聞くというシンプルな構成のライブ。公演時間は約65分。


衝撃を受けた。八十島が語っていたのは普段、自分が診察室や病室で聞いている患者さんの話そのものだったのだ。さらに『メンタルの話』ということでこういうものでは?と想定していた“気分の落ち込み”や‘抑うつ状態“の話というより、”気分高揚“や”妄想“のエピソードばかりだったことにも驚いた。その突飛で他人からみると支離滅裂な行動の数々。作り話として聞く分には確かにとても面白いのだが、これは前提として八十島が経験した実話であり、病気の話なのだ。これを笑っていいものか。そんなことを迷ってしまった。


しかし気づけば反射的に笑ってしまっていた。なぜならちゃんと笑えるエピソードトークになっていたからだ。話している内容が非常に面白い。だからウケる。そういうシンプルな理屈で、僕の中にあったグレーな線を踏み越えてきた。れっきとしたお笑いライブだった。もちろん、その壮絶な歩みが現実に起きたことであるという事実が頭の片隅にあるので手放しにゲラゲラ笑うことはないが、それでも展開の多さと不意に現れるフレーズや妄想の形に噴き出してしまう場面ばかり。もしも診察室でこの話を語られたら決してそうはならないが、ステージショーとして観た時に正直とても面白かった。


興味深かったのが、八十島が抱えてきた妄想や気分高揚の1つ1つに彼の根っこにある“お笑い芸人”としての性質が大きく反映されていた点だ。日常で覚えた違和感を「ドッキリ」と捉えてしまったり、段々と壊れていく世界の不気味さもノリやボケやツッコミによって乗り切ろうとしたり、ある瞬間に”右肘左肘交互に見て“が発動した話は、その場面に自分が立ち会ったことを想像すると感情が揺さぶられすぎてもうどう反応していいか分からず、しかしやはり反射的にめちゃくちゃ笑ってしまった。ずっと白と黒の境目をうろうろしているような気分。これはきっと誰もがそんな心地になるのではないか。



笑っていいか、否か

思えば、常軌を逸した言動で面白がらせるというのはお笑いのベーシックなスタイルだ。その中でも“ヤバい”や“危ない”や“クレイジー”のように形容される言動で笑わせる場面は数多く見られる。コントのキャラクターとして、漫才のボケとして、もしくは実際に起こった奇人エピソードとして。強いこだわり、クセ持ちと称される発作的な動き、そして別の声が頭の中で聴こえるといった話はしばしテレビで芸人仲間が話したりその姿をイジッたりすることで、一応は笑えるもの、笑っていいものとして世の中に届いている。

上記のようなこととは違い、『2700八十島のメンタルの話』は当事者が自分のエピソードとして話していることは着目すべき点だ。そして、深刻な面持ちになるわけでも、イジったりするわけでもなく、ただ傾聴しながら絶妙な相槌でこの話を「笑える」とこちらに伝えていた芸人たちの姿も興味深かった。きっと芸人たちも初めての種類の話すぎて聞く態度には迷っている様子だったが最終的には理想的なバランス感を達成していたように思う。

「笑っていいか、否か」というグレーなライン。その境界線を丸ごと抱きしめて笑いあうような温かな空気が確かにこの65分の中にある。今も、精神疾患に苦しんでいる人たちのヒントになるはず、などとは決して言えない。しかし、芸人たちがこれほどまで繊細にステージを成立させようとする姿を見れば逆説的に精神疾患とは軽く扱っていいものではないことを実感できる。自己責任や甘えなどでは決して違うということが分かるはずだ。そういう意味では精神疾患に対して偏見を持つ人には観てほしいかもしれない。

このライブを観た後に自分が覚えた感情が何なのか、いまだに精緻な判定はできていないが、安心と祝福に近いものなのではないかと思ってはいる。笑いながらこういった話をすべきだ、ということでは決してないが八十島はこの選択をし、そしてそれは大きく観客や周囲の人々の価値観や感情を揺さぶっていった。これは芸人という「笑い」を前提とした特殊な生業の人々だからこそなせたことだろうが、精神疾患の扱い方としてあまりにも新鮮な光景だった。お笑い芸人という存在の深淵を少し覗けたような気がした。


笑いが呑み込む清濁

ここからは更に個人的な話。先述の通り、お笑い芸人とは森羅万象ほとんどすべてのことを笑いとして昇華していく。一般社会ではどうなのかと思われることでも、それを用いて時に大爆笑を巻き起こしていく。人の性質にしてもそう。本人にとってどうにもならないこともあれば、本人の欲望や怠惰が招くこともあり、しかしその欲望も怠惰も本人にとってどうにもならないことだったりして、そのどうにもならなさが笑いへと繋がっていく。その姿が愛おしく、時に自分を重ねながら痛快な思いになったりしてきたものだ。

しかし精神科医として勤めていると、様々なことを考えるようになった。いわゆるクズ芸人という人たちがしこたま作る借金を家族がどう思っているのか、セックスフレンドとの遊びに興じる芸人の恋人や結婚相手は何を思っているのか、妊娠と中絶を行った芸人の浮気相手たちはどんな風にその後の人生を歩んだのか。”それは当人間の問題“という常套句はあるが、当人間の問題が蝕んでいく人の心があるということを見ないようにするのは違うのではないか、と思ってしまう。思うようになってしまった、というべきか。

笑いは清いものも、濁ったものも等しく呑み込んでいく。上記のようなケースやエピソードとは全く異なるが、何でもアリな世界だからこそ『2700八十島のメンタルの話』のようなお笑いが生まれたのは間違いない。しかし角度を変えれば家族や相方の苦しさは図り知れず、決してめでたしめでたしで終わった話ではないはず。あくまで現在進行形の途中経過な案件であるし、生活する上で必要なお金が足りない、という強いストレスが原因になった事実も重要視されるべきだ。芸人魂が暴発したり、周囲が唆したり、よくない形で消費されたりしないことを願うばかりだ。

スキャンダラスな話に思いを馳せすぎたり、他人の辛さを感受してしまうことはかなりしんどいことなので普段はしっかりスイッチを切ったうえでバラエティを観ているのだが、今回の八十島の話でそのあたりのセンサーが少し感傷的になりすぎたかもしれない。ここで揺さぶられすぎるのは精神科医としてまだまだ未熟な証左だろう。どっしりと構え、どんなタイプの人の話でも受け止めすぎずに聴くというのが、あるべき精神科医の姿なのだから、、いやしかし時にエモーショナルにもなってしまう、そういう自分も受け入れた上で勤めていかなければな、とも思った。学ぶべきことが多すぎるこのライブ、第2弾もあれば真摯に楽しみたい。



追記(2022/08/19)

この「2700八十島のメンタルの話」で語られていたエピソードが、千原ジュニアのYouTubeチャンネルと2700のチャンネルをまたいで全4本の動画として語り直されてアップされていました。トークライブと同じく第2天国までの話が中心。いくつかエピソードも追加されており、より時系列も分かりやすくなっていた。ジュニアさんの聞き手としての技量の高さがとても伺えると同時に、やはりYouTubeとなるとこういうサムネイルをつけるよな、、、と。



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