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愛は期待することではないと思うんだよ

あなたは誰かに期待していますか。
期待に応えてくれなかった時、相手にどんな感情を抱きますか。
あるいは、誰かから期待されていますか。
期待に応えられなかった時、どんな気持ちになりますか。

私の個人的な経験では、期待をすることとされることには、どちらにも全くのメリットがありません。
なのに私が見てきた限り、多くの人はあまりにも他者に期待しすぎています。

この「期待」という厄介者について考えました。


私が子どもに期待しないようにする理由

私にはマメ(息子)とアズキ(娘)という二人の子どもがいます。

マメを妊娠した時に強く思っていたのが「子どもに期待をかけないようにする」ということでした。

「賢くて、運動ができて、イケメンで、背が高くて、優しくて、ユーモアがあって...」のような期待が、放っておくと際限なく膨らみそうでした。
それは裏を返すと、産まれてきた子が私の期待通りの子でなかったら、私は我が子にガッカリしてしまうということです。
自分の意志で産もうと決めた子に対して一方的に期待をかけて、一方的にガッカリするなんてことになったら、私はそんな身勝手な自分に一番失望するでしょう。それだけは避けたい。

「なんとしても子どもには期待するまい」と思い、お腹の子への感情をなるべく自分の「外側」へ置くようにしていました。

※その結果、出産後に子どもへの距離が開いちゃったのですが、その話はこちらに書いています。

さて、幸いマメは産まれながらの疾患等もなく、健康に産まれて育ちました。
しかし(今でこそ世界10指に入る絶世の美少年ですが(?))赤ちゃんの頃はよく肥っていて毛がほとんど生えておらず、なんというかジャガイモみたいな風貌で、一般的に見て可愛い赤ちゃんとは言えませんでした。

でも私は期待しないと決めたのだから、ガッカリもしません。
と言ってそれは「何とも思わない」「どうでもいい」というのともまた違います。

私がマメの顔貌の美に対する期待を放棄した時、その代替として

可愛さは相対的なものではないし、美醜に依るものでもない

という価値観を強めました。

「誰々よりも可愛い」ではなく、「私にとって、この子はただこのままで可愛い」

ということです。

「客観的に見て可愛いか?」なんてどうでもいい。「この子が可愛い」と思うことに客観的な視点なんて必要ないのです。
それは、美醜の問題だけでなく、喋り出すのが周りより早いかどうか、勉強ができるかどうか、活発なのか引っ込み思案なのか、子どもの全ての性質に波及していきました。

愛は期待と無関係だと教えてくれた夫

さて、私が子どもに対して努めてそのように接そうとしているのには、一つのきっかけがあります。夫です。

これまで私が付き合ってきた恋人たちはほぼ全員「私に期待する人」でした。
言い換えると「条件付きで私を愛してくれる人」でした。
その条件は人により様々でしたが、突き詰めれば全て「君が誰よりも俺を愛しているということを証明せよ」というものでした。

  • 毎日帰宅したらメールで報告する

  • 他の男と連絡を取らない、遊びに行かない

  • 毎晩電話する

  • 女友達を増やす

  • 誕生日や記念日をお祝いする

  • とにかく常に俺のことを一番に考えて行動する...

「俺の事が好きならできるはずだ。できないのは俺の事を大切に思っていないからだ」という理屈で、好きであることを証明するためには、相手の出す条件をクリアしないといけないのです。常にテストされているようで、ミスする度に責められ疑われることは非常にストレスでした。
でも私は、そうやって色々と要求されること自体が愛されている証拠なのだと信じていました。

ところが、夫に出会ってその価値観が一変したんですね。
夫は私に何も求めてきませんでした。
最初は単純にそこまで愛されていないんだと思いました。私のことどうでもいいんだろうな、と。
でもそうではなく、この人は、私が何かしなくてももう既に私のことを好きでいてくれる人なんだということが徐々に分かってきました。

条件付きではなくありのままを好きでいてくれることはすごく気が楽でした。付き合うということは、受け入れがたい要求でも我慢して受け入れるか、抵抗して自分の意見を押し通すために多大な労力を必要とするか、の二択だと思っていたからです。

私はこの気づきをもとに、子どもにも期待をかけないことを心がけています。

期待したくなくてもしてしまうのはなぜか

とは言え、やっぱり他人に期待してしまうのが人間というもの。
子どもに対してはまだ比較的、期待を取り払うように意識できるんだけど、
夫に対してはそれが難しく、何度も注意していることを繰り返しやられるとガチ切れしてしまいます。

(他人に期待してはいけないよ...)と囁く心の声に従うことができません。子どもには我慢できるのに、夫にできないのはなぜか...。

愛の差だな...。

というのは半分冗談ですが、やはり、愛も必要だし、そうでなければその人に対して無関心にならざるをえない。
無関心でいるのも難しい距離にいる人、つまり家族や友人等に対しても「期待しない」を実行できるようになりたい、というのが目下の目標です。

目の前にいる実例は...

本当は「人に期待をしない人」の一番のお手本が目の前にいます。
夫です。

夫は、あらゆる人・物事に一切期待しません。つまり愛の力に依らずに「期待しない」を実現することは可能なはずなのです。

しかし夫はあまりにも思考が単純なので、「どうして人に期待しないでいられるんですか?」とか聞いても「なんでかな?」みたいな何の役にも立たない返事しか返ってきません。
今後も「夫」という未解読言語で書かれた古代文書を地道に解読するしかないようです。がんばります。

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