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1分で読める短編:月の秘密

 私が生まれる少し前に一度だけ行ったきりで、それ以来人間は月に行こうとするのをやめてしまった。なんでも、「わざわざ行ってもそこに何もないことがわかってしまったから」だそうだ。

 そんな風に扱われるなんて、あんまりだ。月も、誰からも目指されずにぼんやりと浮かんでいるくらいなら、小さなゴムボールくらいの大きさにちぢこまって私の部屋に遊びに来ればいいのに。

 そうしたら、月といろんなことをしてみたい。とっても大きなコップにサイダーをなみなみ注いで、氷の代わりに月をぽちゃんと入れたら、月はどんな風に輝くんだろう。

 一緒にお風呂に入って綺麗になった月をベッドの方にひょいと投げると、同居猫のモクは夢中になって月を追いかけ回して遊ぶだろうな。ひとしきり遊んで眠たくなったら、枕の下に月を忍ばせて宇宙に行った夢を見てみたい。次の日は昼前くらいに起きて、パンを食べたら月と一緒に散歩に出かけよう。いつもは夜の街しか見られない月に、初夏の水曜日の爽やかな風を感じさせてあげよう。

 また夜になったら、そろそろお別れ。お気に入りのペンを取り出して、誰にも言っていない秘密を月の裏側にこっそり書いておいた。月は「お返しに僕の秘密も教えてあげる」とでも言うように、ぼんやり桃色に光ってみせた。

 ベランダから月を空に向かって放り投げると、月はふわふわと元いた場所に帰っていく。空のいちばん高いところまで行くと、そこで止まった。

 もし、物好きな誰かがまた月に行ったなら、私の書いたメッセージに気付くだろうか。もし、誰かが私の秘密を読んでクスリと笑ったなら、月はまたきっと桃色に輝いて、私にそれを知らせてくれる。

 

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