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【建築物考】#5 太陽の塔

みなさんこんばんは。いかがお過ごしでしょうか。

今日も変わらず暑かったですね。ボクは午前中は陸上競技場でトレーニングをしてきました。朝だったので、少しは涼しいかと思いきや、全くそんなこともなく、熱中症になるかと思うぐらい、暑かったです。体調管理には気を付けましょう。


今日の建築物は、「太陽の塔」をテーマにお話しします。

言わずと知れた1970年大阪万博の際に建てられました。6400万人の来場は当時から2010上海万博で抜かれるまで、万博の最多数でした。

太陽の塔は、大阪万博のシンボルアイコンででした。

マンガ「20世紀少年」にも登場するなど、万博以外でもさまざまなところで使われており、大変有名です。

デザインは岡本太郎氏で、建築家ではなく、芸術家です。

ボクが訪問したのは、6,7年ほど前に1回だけです。

先日ご紹介した司馬遼太郎記念館と同じような状況で、東大阪市にある勤務先本社のキックオフミーティングで宿泊後、どうしても見てみたかった為、翌日に万博公園を訪れ、太陽の塔を眺め、国立民族博物館を訪れました。

そうです、ほとんどが万博終了後に取り壊されましたが、岡本太郎のプロデュースした太陽の塔と終了7年後に万博資料を展示するために設立された国立民族博物館は現在も残っています。

また数年前から建物の内部を公開しています。事前予約で入場できるようです。


太陽の塔とは

塔の頂部には金色に輝き未来を象徴する「黄金の顔」、現在を象徴する正面の「太陽の顔」、過去を象徴する背面の「黒い太陽」という3つの顔を持っています。
構造は、鉄骨、鉄筋コンクリート造りで一部軽量化のため吹き付けのコンクリートが使われています。また、内部は空洞になっており、博覧会当時は地下展示と空中展示をつなぐ動線の役割を果たし、また、生命の進化の過程を示す展示空間でしたが、博覧会閉幕後約50年近く、公開してきませんでした。

3つの顔は何を意味しているのだろう?と考えるほど、わからなくなります。

博覧会当時テーマ館の地下展示には「地底の太陽」といわれる顔も展示されていました。「地底の太陽」は、高さ約3メートル、全長約11メートルにもなる巨大な展示物であったとされていましたが、博覧会終了後の撤去作業から50年近く経った現在も行方がわからない状態となっています。

行方不明とはミステリーで、面白いですね。

太陽の塔の内部の展示空間には、鉄鋼製で造られた高さ約41メートルの「生命の樹」があり、樹の幹や枝には大小さまざまな292体の生物模型群が取り付けられ、アメーバーなどの原生生物からハ虫類、恐竜、そして人類に至るまでの生命の進化の過程をあらわしていました。

魔訶不思議なタワーでありながら、博物館のような役割もしていたということでしょうか。


大屋根に穴開けて作っちゃった


元々メイン会場は、建築界のスーパースターである丹下健三が「シンボルゾーン」を会場中央に設計しており、70mの高さの太陽の塔を置くには、屋根の一部をなくすしかありませんでした。

この世界一の大屋根を動かしてやろう。...優雅におさまっている大屋根の平面にベラボーなものを対決させる。...屋根が30mなら、それを突き破って伸びる70mの塔のイメージが瞬間に心にひらめいた。

大屋根を動かすって⁈ 発想が凄いし、本当に実行するのはびっくり。

こうして先進理念の下につくられたシンボルゾーンのど真ん中に、しかも主役を張るはずだった目玉企画の大屋根を突き破って、突然牛乳瓶のお化けのごとき「太陽の塔」が出現することになった。

現代では絶対に認められないでしょうし、受け入れた丹下健三もすごい。

宇宙船、月の石、コンピューター,....未来志向の建物が立ち並び、技術とを競った。...そこに太郎は「馬鹿みたいにただどかんと突っ立った」「太陽の塔」をつくった。

土器を変形させたような異様な建築物に、業界関係者は大激怒したものの、世間には大好評だったそうです。本当に現代では、あり得ないですね。

太郎は、技術の進歩が幸せな未来を作るという万博思想に否を唱える対極主義。
世界を作っているのは大衆であると主張。

日本を創った岡本太郎

10年間パリで生活し、絵を描いたり、民族学を学び、ドイツとフランスの戦争が勃発し、帰国。画廊でみたピカソの絵に衝撃を受ける。兵役も経験。

大阪万博会場跡地に国立民族博物館ができました。太郎が民族資料を世界中から買い付けるように若手研究者に指示し、膨大な資料を集めることができたからです。

美術雑誌『みずゑ』に「四次元との対話―縄文土器論」を発表。この反響によって、琉球諸島や東北地方の古い習俗を紹介した。

太郎は、積極的に各地を回り、貧しい時代の韓国や、沖縄の久高島や、青森のイタコの文化にも強く関心を示しました。

テレビの日立マクセルのCMのセリフで「芸術は爆発だ」は流行語にもなりました。
俳優としてドラマに出たり、バラエティ番組出演 「鶴太郎のテレもんじゃ」お茶の間で人気者になりました。ボクは子どものことでしたが、かすかに覚えています。片岡鶴太郎の絵を太郎が褒めたのが、画家になったきっかけだと言われています。

ボクは、昔、東京・南青山の岡本太郎記念館(元自宅兼アトリエ)、
向ヶ丘遊園の川崎市岡本太郎美術館(寄贈した作品の多くが展示)のどちらも訪れたことがあります。ユニークな作品だけでなく、企画展等もやっており、おすすめできます。

渋谷駅の井の頭線の連絡通路の「明日の神話」も井の頭線に乗るたびに拝見しています。かなり大きくてインパクトがあります。ただ渋谷にあっても違和感はないですね。

今度、2025年に再度大阪で万博が開かれます。吉村知事がコロナのインタビューで「EXPO2025」というロゴいりのジャンパーを着ていましたが、大丈夫でしょうか。1970のような夢のような万博にしてもらえるのかな。楽しみです。

それでは、また。

※引用

・岡本太郎の仕事論 平野暁臣

・Wikipedia


・太陽の塔 公式HP


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