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骨切りカウントダウン

もうすぐ、手術日。

ここまで本当に長かった。

思い返せば、初めてメスを入れたのは中学2年生の春休み。それから、大学生になってコロナ禍に入り勢いで施術を再開して以来繰り返している。


わたしはずっと自分の容姿が嫌いだ。

顔も体型も全て醜くて気持ち悪い。

高校生の頃は周りの子と比較する日々。とにかく体型が気に食わなくて拒食気味になり、39kgまで落とし生理が止まったりしていたが、受験のストレスでリバウンド、成人後は飲酒と生活習慣の乱れで更に激太り。

その間も何度も色々なダイエットをしたり、高額痩身エステに通ったり、整形したりで、学生らしい青春なんて何も無かった。

大学卒業後も、自分の劣等感を消せないまま、社会人になる同級生たちから逃げるようにして留学した。

それでも、容姿への執着は変わらなかった。

自分の合う大陸に行けば少しは改善されると思って期待し、必死に留学費用を貯めて、遊ばずに毎日働き、整形したのに。

最後の手段、いや、これで変わらなかったらもう何をしても無理だという諦めの手術が骨切り。


でも、ただ骨切りするだけでは意味が無い気がして、昨年9月からガチダイエットで15kg近く体重を落とした。そして2月からジム通いを再開し、手術日まで毎日有酸素運動を続けることにした。


去年まで余裕で1時間以上走れていたのに、久しぶりに走ると15分でも死にそうなレベルできつくて、吐きそうだった。

以前と同様の体力までは回復させたかったので、目標は、1時間余裕で走り切ることとし、毎日5分ずつ走る時間を伸ばしていった。


45分を過ぎたあたりから、余裕が出始めようやく今日1時間走り切った。余裕ではないけど、何とかカラッカラになりながらも、1時間耐えた。


わたしは鬼クソドMなので、正直、有酸素運動は嫌いじゃない。苦しければ苦しいほど達成感があるからだ。身体に問題が生じなければ、何時間でも走りたいくらい。

走りながら、ふと思った。

有酸素運動って整形のダウンタイムと同じやん。


何度も整形してきているので、毎度の事ながら辛いDTを過ごしているのだが、わたしはこれも嫌いじゃない。むしろこの苦しみがたまらん。整形をやめられない理由の1つでもある。痛ければ痛いほど良い。


何かをする時に、苦しければ苦しいほど、それに耐えた自分を自分で認められる感覚があって、その苦しみが大きいほど、自分が強くなれたような気がするから(気のせい)。


行きたくもない学校生活に耐え抜き、話したくもない人間達と話して、興味のない分野の勉強をして単位を取得し、毎日死ぬ気で働いた日々をクリアしたからこそ今があるし、ずっと独りでも寂しさも感じない人間になった。


でも、自分のことが嫌いなのはずっと変わらなくて、その根源が容姿であることも揺らがない事実。


どれだけ痛みに耐えて、苦しみに打ち勝ち、見た目を変えても、中身は変わらないし、自分を認められない。

もっと辛いことを経験している人は、他にいくらでもいるし、そもそも何で辛いことに耐えて楽しんでいるのか自分でも意味がわからない。


わたしにとって、有酸素運動は、己との戦いで、自分を限界まで追い込むことで快感を得られる1つの手段だが、整形の場合は、その終わりが見えない。


いつか骨切りをしようとは思っていたものの、なかなか踏み切れず、今回やっと決心したわけだが、もうこれで大きな手術は終わりにしたい。と思いつつ、まだまだ辞められる気配はない。


整形の終わりって、自分が満足するまで見えないから、どこかで見切りをつけないとゴールできない。(モテたいとか、こういう顔になりたい!みたいな理想や目標があれば違ったのかもしれないが、わたしのゴールはあくまでも自己満足なので。)身体に異変が出るまで走り続けて倒れたら無意味なように、整形し続けて自分が壊れたら元も子もない。


そんなことを考えながら、1時間走っていたら、わりとあっという間だった。


逆に考えたら(は?)、辛いことを主体的に楽しめる自分はある意味最強かもしれない()と思えてきてしまった。(深夜テンション)


もちろん整形費用は全額、自分で稼いできたお金なので、今回三桁自己投資できるなんて素晴らしい努力だと思いたいし、少しでも自己受容に繋がるといいなと今はわりとポジティブな気持ちでカウントダウンしている。

いつか、己の醜さから解放された世界で生きられることを願って。