見出し画像

灯台を探して 「セクシャリティ」の海で溺れないために

こんにちは、Shadeです。
僕は30代、既婚(子無し)、バイセクシャルでメンタル疾患持ちの男性です。

「自分」を定義した後で

以前の記事で、僕は自分を、「バイセクシャル」と「ゲイ」の境界線上に立っていると位置づけ、さらに性的指向については、「ゲイ」としてのアイデンティティーがかなりの割合を占めているようだと書きました。
そして、そうした自分自身のセクシャリティの揺らぎを認めることが、抑圧によって複雑に歪んでしまった自分の人生を、よりシンプルに捉えることにつながるのではないかと(ひとまず)結論づけました。

実は前回の記事を書くのも、投稿するのも、とても勇気がいることでした。
それまで「バイセクシャル」という言葉で蓋をしていた自分にとってのパンドラの箱を、開けてしまうような気がしたからです。
実際には、記事を書いたことでより深く自分の「性的指向」について理解することができましたし、何より「セクシャリティ」というものがどれほど多面的な概念であるかを知ることができました。それ自体は、非常に大きな成果だったかなと思います。

ただ、あれから1週間以上が経過した今でも、やはり僕の心は揺らいだままで、相変わらず日々変化していく「自己認識」に振り回される毎日に変わりはありません苦笑
自分が漕ぎ出した「セクシャリティ」という海がいかに広く、大きなものだったかを再認識させられているところです。
そんな中で、自分を見失わないための「灯台」のようなものがあったら良いなという思いで、この記事を書き始めました。
もし今、自分のセクシャリティに悩んでいたり、そうでなくても感情の揺らぎに疲れを感じたりしている方がいらっしゃいましたら、ぜひお読みいただけると嬉しいです。

心は水で、言葉は器

よく、「性はグラデーション」であると言われます。
僕も、この言葉には大賛成、というか常に身をもって実感しています。
奥さんを女性として愛していることに今も変わりはありませんが、その一方で、性的対象としては男性により惹かれる自分がいることは否定しようのない事実です。

これを一言で表すとなると、既存の言葉では「バイセクシャル」ということになるのですが、そこにいまいちしっくりこなかった僕は、前回の記事で「バイセクシャル≒ゲイ」という言葉を使って自分を表現してみました。すると、不思議なことにすっと自分の中で腑に落ちるのを感じたのです。
言葉というのは面白いもので、何かを固定するのにも用いることができるし、新たな概念を見出すことにも使える。
関連して、最近読んだ本の中に興味深いフレーズがあったので紹介します。

「心は水で、言語は器だよ。水は器によって形が変わるんだから」

『静かな時代』キム・ボヨン、斎藤真理子訳・短編集『どれほど似ているか』より、
2023年、河出書房新社

作者のキム・ボヨンさんは韓国を代表するSF作家の一人。引用した文章は、作中で認知言語学者の女性が語るセリフなのですが、僕は読んだ瞬間に大きく頷いてしまいました。

「心のありよう」はまさに水のごとく流動的に変化しますが、それを言葉という器に移し替えることで、一定の形におさめることができる。言ってみれば、モヤモヤした状態を解消することが可能になる。
前回の記事で僕が試みたことは、まさにこれだったのかな、と思います。
そしてこの行為は、非常に曖昧な「セクシャリティ」というものをより深く理解することにもつながります。

もし「LGBTQ+」の中に、しっくりくる言葉がなければ、自分で新しい器を作れば良い。
人間の「心の形」は常に自由であるべきだし、「性的指向」もまた然りです。
セクシャリティに限らず、自分自身にどこか居心地の悪いものを感じたら、まずは腑に落ちる言葉に自分を当てはめてみることが、モヤモヤを解消する第一歩になるのかな、と思います。

そもそも「セクシャリティ」って…

また、これは、最近カミングアウトした友人(ちなみに、彼自身のセクシャリティはゲイに当たります)から掛けてもらった言葉の完全な受け売りで申し訳ないのですが…苦笑「どんなセクシャリティも、その人の持っている個性の一部」でしかない、ということも言えるかと思います。
今までの記事で散々「性的指向」の話をしておきながら恐縮ですが、僕はこの言葉にとても救われました。
これは、若い頃から自分が「ゲイ」であることと向き合い続けた彼だからこそ口にできる言葉で、僕はまだなかなかこの境地には達することができないのですが、確かに真理を含んでいると思います。

その人を形作る上で、「セクシャリティ」が大きな位置を占めていることは確かですが、当然ながら、人間は性的指向だけでできているわけではありません。
僕の中では、これまで自分を抑圧してきた部分が大きかったので、必要以上にそのことを重く考え過ぎてしまっていたところがあるのかなと思うのですが、彼からこの言葉を掛けてもらったことで、(デリケートな問題なので表現が難しいのですが)もう少しカジュアルに、たくさんある生き方の一つとして、あるいは人生の一部分として、自分の性を捉えても良いのかな、と思いました。

はじめに書いた通り、「セクシャリティ」の海は、とても広く、大きなものです。時にはそこに足をすくわれて、溺れてしまいそうになることもあるかもしれない。
けれど、そんな時にこの言葉はまるで「灯台」のように、自分の心に作用する気がするのです。
「セクシャリティ」に限らず、何かを考えすぎて八方塞がりになったら、いったん遠くに見える光を見つめて、本来の自分に立ち返る。そんな瞬間を何度も繰り返すことで、より自分というものについての理解も深まる。
いろいろな考えを経て、今僕はそんな気がしているところです。

たとえ答えが見つからなくても

…と、相変わらずとりとめのない文章になってしまいましたが、こんな感じで、僕は今の自分を捉えようとしています。揺れ続けている自分に変わりはないものの、それでも前に進み続けることはできる。
すぐに答えが出ない、グレーな状態はとても不安なものですが、この年でようやく自分の性的指向と向き合い出した僕は、世の中にはむしろ、完全に答えの出るものの方が少ない、という至極当然のことを学び始めている最中です。

最後に一つ、思考の海で溺れないために大切なこと。
それは、誰かと対話することかなと考えています。単純にリアルな会話でも構わないし、note上で他の方の記事を読み、自分の考えを広げていくことも、対話の一つの方法だと僕は思います。

これまで自分の性的指向を隠してきたため、僕の周囲にはいわゆる「LGBTQ+」の知人が少ないのですが、これからは積極的に、そうした方々とつながる機会を増やしていきたいと考えています。
全く同じでなくても、似たような境遇の方と対話することで、自分一人では気づけなかった新たな道が見えてくるかもしれない。
それも一つの、大切な「灯台」になるような気がしているのです。

元々人見知り気質で、メンタル疾患を発症してからはさらにコミュ障気味になっているので、かなりハードルは高いのですが…苦笑
さらに、「友人を探す」という目的であっても、マッチングアプリなどに登録するのは少し奥さんに後ろめたさを感じるため、どのような方法があるか、現在模索している最中です。
大海で溺れないためにも、灯台を少しでも多く増やせるよう、できることには挑戦してみたい。
そんな気持ちで、僕は今、毎日を過ごしている次第です。

すっかり長くなってしまいましたが、以上が現在の僕のリアルな気持ちです。また何か進展があったり、新たな気づきがありましたら投稿したいと思いますので、今日はこの辺で。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

「LGBTQ+」当事者同士が繋がる・共感し合える場として、共同マガジン「ゆるく繋がるLGBTQ+座談会」を立ち上げました。無料でどなたでもメンバーになっていただけるので、ご参加希望ございましたら、ぜひお気軽にコメントください!