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僕が僕になる日まで 既婚バイの現在地


まずは自己紹介

初めまして、Shadeと申します。
プロフィールにもある通り、僕は30代の既婚者、バイセクシャルの男性です。子供はなく、夫婦二人で暮らしています。
映画や本、音楽などのサブカルが大好き。元々どちらかといえば能天気な性格だったのですが、数年ほど前からどういうわけかメンタル疾患にかかり、心療内科に通院しながら、(わりとギリギリの状態で)仕事を続けています。
noteを始めてまだ一週間も経っていないのですが、なんとなく自分の気持ちを整理したくなり、自己紹介も兼ねてこんな記事を書いてみることにしました。

どうして今まで悩まなかったのか…?

僕は、わりと早いうちから、自分が「普通」ではないことに気がついていました。違和感を覚えたきっかけはよく分からないのですが、何となく周りの「男の子」たちとは違っているなと、小学校に上がる前には感じていた記憶があります。
興味の対象の違いや、言葉遣い、遊んでいる時のテンション、一人称の「俺」という言葉にどうしても馴染めないことなど、色々と理由は考えられますが、一言で言えば「直感」というやつです。
小学校に上がり、より強く自我が出てきてからは、いじめられこそしなかったものの、「オカマ」という言葉でからかわれることもありました。
子供は、ある意味では大人よりもそうしたことに敏感です。
けれど、どういうわけか僕はそのことをさほど深く考えることなく、なんとなく日々をやり過ごしていました。
高校生になる頃には、「男」として自分を受け入れてもらう術を覚え(一人称も「俺」という言葉を使うようになり)、精一杯「普通」を演じて生きてきました。ずるい言葉で言えば、「処世術」を身につけたのです。
性的対象としては、男性により魅力を感じていたものの、恋愛対象は何故か常に女性でした。これまで男性とお付き合いしたことも、体の関係を持ったことも一切ありません。
結果として、僕は20代で奥さんと出会い、「普通」に恋に落ち、結婚しました。その間、自分の性的嗜好について悩むことは、ほぼありませんでした。

自分が「当事者」であることにようやく気がついた

そんな僕ですが、30代後半になった現在、自分のセクシャリティのことで正直頭がいっぱいです。
カミングアウトという選択肢が、常に頭のどこかに浮かんでいます。これまでそんなこと考えつきもせず、誰にも言わずに墓場まで持っていこうと思っていたのに。
要因は色々と考えられるのですが、そのうちの一つが、別の記事にも書いた『異人たち』という映画を観たことです。ちょうど奥さんが実家に帰っているタイミングで、一人ですることもなかった僕は、何となく観たい映画を探し、あらすじに惹かれた同作を鑑賞しました。
(その感想は、下記に書いていますので省略します。)

そして、映画の中で愛し合う男性二人を見た時、僕は正直に「羨ましい」と感じていました。それは、決して性的な意味ではなく、「彼らが自由であること」に対してそう感じていたのです。
そこで、僕は初めて自分の中で抑圧してきた気持ち、見ないことにしてきた「もう一人の自分」の存在に気がつかされました。必死で隠してきたもう一人の「僕」は、とてもずるく、弱く、見栄っ張りでちっぽけな人間でした。
そんな自分の姿を見直した時、ようやく、僕は自分がいわゆる「セクシャルマイノリティー」であることを自覚しました。

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既婚バイとしての現在地

それ以来、LGBTをテーマにした映画やドラマ、小説に積極的に触れるようになり、ますます「当事者意識」が高まっていく一方です。良く言えば、
意識がアップデートされていく感覚があります。
SNSなどで、きちんと顔出しをして自分の性的嗜好を公表している人や、カミングアウトをした上で社会に出て仕事をしている人を見ると、純粋にすごいなぁと感じてしまいます。
そして、これまでの自分の意識の低さに、本当に恥ずかしくなるのです。
一言で言えば、僕はプライドが高く、自分の弱みを晒すことができない人間だったのだと思います。
だから、自分の中に潜む「ゲイ」的な嗜好に気がつきながらも、まるで存在しないように振る舞っていた。
はじめの自己紹介で、「どういうわけかメンタル疾患にかかり」と書きましたが、今ではその抑圧こそが、精神疾患の大きな要因の一つになっているようにも思えています。
だからこそ、カミングアウトという手段が頭に思い浮かぶのだと考えているのです。
もちろん、これにはさまざまな痛みが伴います。それは決して自分にだけでなく、何も知らずに僕と結婚してくれた奥さんにとっても同じことです。彼女のことを愛していることは事実ですし、彼女にそれを打ち明けることを考えると、本当に罪悪感で胸がいっぱいになります。
けれど、一度きりの人生を、自分に正直に生きたいという気持ちがあるのもまた、素直な気持ちです。

人生はまだ続く

自分に正直になった結果、どんな風に人生が転がっていくのかはわかりません。僕は全てを失うかもしれないし、今まで本当の僕を知らずにいた周囲の人を傷つけ、困惑させてしまうかもしれない。
自分がただ楽になりたいだけ、という感想をお持ちになる人もいるかもしれません。「セクシャルマイノリティー」の中でも、「既婚バイ」という肩書きは非常に微妙な立ち位置で、共感を得られることが少ないという認識があります。
でも、そうした無意識のバイアスに打ち勝つことが、「自分に正直になる」ということでもあると思います。
そうしたことで失うものもあるかもしれないけれど、得るものもある。今はそう信じて、一日一日を、悩みながらも過ごしています。そして悩んでいるという事実こそが、自分の意識が改革されはじめている、一つの証拠のようなものだと僕は思っています。
それは、(かなり)遅れてやってきた「成長痛」のようなものだと、自分に言い聞かせながら。
30代後半に差し掛かり、人生の折り返し地点が少し先に見えてきました。まだこれから先も続く人生をどのように生きるか。今はまだ模索している最中ですが、そう遠くない未来、答えを出したいと考えています。
かなり曖昧ですが、これが今の自分の嘘偽りのない現在地点です。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

※追記 その後の僕がとった行動や、経過報告について、以下のエッセイシリーズにまとめておりますので、もしよろしければお読みいただけると嬉しいです!


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