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心の声を聴く バイセクシャルにとっての「幸せ」って?

こんにちは、Shadeです。
僕は30代、既婚(子無し)、バイセクシャルでメンタル疾患持ちの男性です。

今回は、単刀直入に、バイセクシャルという性的指向を持つ自分にとっての「幸せ」って何だろう?ということをテーマに書いてみようと思います。
思い立ったきっかけは色々とあるのですが、先日また一つ年を重ね、「これからの人生」をイメージする上で、何か「生きる指針」になるものがあるといいな、と考えたのが主な理由です。

以前の記事でも書きましたが、僕は自分のセクシャリティを、「バイセクシャル」と「ゲイ」の境界線上にあると考えています。
そうした性的指向の揺らぎの中に身を置きながらも、何が自分にとっての「幸せ」かを考えることで、少しでも今後の人生に「方向性」のようなものが見出せればな…と。
とても曖昧なテーマのため、いつも以上にまとまりのない文章になる可能性大なのですが苦笑、お読みいただけると嬉しいです。

繋がりを求めるために

先日、ネットを検索していたところ、こんな言葉に出くわしました。
曰く、「バイセクシャルは孤独な性である」。
もう少し文脈を補足すると、純粋なゲイやレズビアンの方々と違って、異性とも恋愛ができ、かつ結婚することも可能なバイセクシャルは、同じ「LGBTQ+」の中でも、微妙な立ち位置にいるということです。

自分の性的指向と向き合う中で、既にそうした認識はあったものの、ちょうど、バイセクシャルや、同じセクシャルマイノリティーの友人、あるいはコミュニティーを探すために色々と方法を調べていたところだったため、正直かなりへこみました…苦笑
そして、「既婚」で「バイセクシャル」という属性を持っている自分に、どこか「自己嫌悪」のようなものを感じたことも確かです。

僕はこの1ヶ月の間に、奥さんと友人にカミングアウトを行ったのですが、思えばそのずっと前から、自分に対して、「卑怯」や「ずるさ」といったネガティブな感情を抱いていました。これが、同性に惹かれてしまう「もう一人の自分」への抑圧に繋がる一つの要因になっていたことは間違いありません。また、「バイセクシャル」である自分について、自分自身がどこかで差別意識を持っていたのかな、と今考えると思います。

けれど、noteで記事を投稿している限り、そうした差別的な雰囲気を感じたことはありませんし、実際、とてもありがたいことに、リアクションやコメント、フォローをしてくださる方の中にも、(ストレートの方を含め)バイセクシャル以外のセクシャリティを持つ方はいらっしゃいます。

自分にとっての「幸せ」を考える上で、「共感し合える仲間を作る」ことは、かなり上位に入ってくる条件の一つです。
そうした意味でも、まずは自分自身が、こうした「バイセクシャルである自分」に対する「無自覚な差別意識」や「自己否定」の感情をアップデートしていくことが大切なのかな、と感じました。
というか、まだそんなことに囚われていたのか自分、と何だか切なくなってしまった次第です…苦笑

そして、人との繋がりを求める上では、自分のセクシャリティに良い意味での「プライド」を持つこと、というのが大切になってくるのだな、と現時点では考えているところです。
これまでは、どちらかといえば内省的に「自己」というものを捉えることに意識が向いていたように思うのですが、もう少し外向きに窓を開けるというか、本当の意味での自己開示を行うことが、今後の自分にとっての重要なテーマなのだろうと実感しています。

満ちていながら欠けているもの

また、バイセクシャルにとっての「幸せ」を考える上では、パートナーとの関係をどう捉えるか、というのも大きな問題です。
僕は女性として現在の奥さんを愛していますが、性的にはどうしても男性により魅力を感じてしまいます。この事実もまた、自分に対して否定的な感情を持つ一つの要因になっているように思います。

もちろん、僕のカミングアウトを受け入れてくれた奥さんには、今も変わらず愛情と感謝の念しかありません。ただ、前段を踏まえて、正直な「自己開示」を行うとすると、言わば、現在の僕は、満たされている部分と欠けている部分を両方合わせ持っている状態なのです。
SNSなどで検索していると、割り切った関係を求める「既婚」で「バイセクシャル」の方々も多くいらっしゃることがよく分かります。
けれど、僕はどうしても、奥さんを裏切るようなことをする気にはなれないのです(そうした方々の性のあり方を否定しているわけではありません)。

この、半分欠けた穴を埋めるものを探す、というのも自分にとっての「幸せ」を見出す今後の主題になるのかな、と現時点では思っています。
例えば僕は今、ある男性アイドルグループを奥さん公認で推しているのですが笑(これが堂々とできるのは、カミングアウトをして良かったなと思うことの一つです)、そうしたことも穴を埋めていく一つの方法になるかな、とは思います。

ただ、もちろんそれだけでは根本的な解決にはなりません。
そこで重要になってくるのが、やはり前章でも書いた「人との繋がり」なのだと僕は思っています。
決して性的な繋がりでなくても、同じような性的指向、あるいはほかの「LGBTQ+」の方と出会うことで、満たされるものがある。もしくは、自分でも気づかなかった新たな考え方で、欠けた穴を埋めることができるかもしれない。
そう信じたいです。

ひとまず、先日カミングアウトした友人(彼のセクシャリティはゲイに当たります)と来月会う約束をしているため、彼と対話することで、何らかのヒントを得ることができたら良いなと思っています。
前回彼と会ったのはちょっと覚えていないくらいに昔のことなのでやや緊張しますが…苦笑、「偽りのない自分」として、彼と対面することは、必ず僕にとってプラスの方向に働くだろうなという予感があります。

心の声に耳を澄ませる

ここまで書いてきて、結局のところ「幸せ」になるというのは、セクシャリティに関わらず、「自分の感情に素直になる」ことなのだと思えてきました。
そしてそれは、残念ながらこれまでの僕が最も苦手としてきた行為です…苦笑
ただ、2度のカミングアウトを経たことで、変な力が抜けたというか、不要なプライドがなくなった気がしている現在、そう遠くないところに、「自分がなりたい自分」のイメージを持つことができるようになった気がしています。

今まで見ないようにしていたものや、聴かないようにしていた心の声に耳を澄ませることで、自ずと、今自分がすべきことが見えてくる。
不思議なことに、自分に正直になればなるほど、自分を取り巻く世界は外へ、外へと広がっていきます。
それは、noteを始めたこの1ヶ月で僕が学んだ、「人生の法則」のようなものかもしれません。
自分の心に素直になって、人と繋がり、欠けた穴を埋めることで、もしかしたら掴みどころのない「幸せ」というものに、少しずつ近づくことができるのかも…

もちろん、これからもさまざまな人生の岐路や落とし穴が待ち構えているはずですが、その度に自分の感情になるべく正直な答えを出すこと。
そんな指針を、ささやかながら胸に掲げて生きていきたいと思う次第です。
常に自分を偽らず、素直であることは、なかなかに難しいことですが、「とりあえずの方針」としては悪くない答えのはず。

最後に、僕が最近読んで良いなと思った言葉を一つ。

生は誰に対しても特段に好意的ではない。それを知りつつ歩むとき、私に降りかかってくるのはみぞれ。(中略)目を閉じていても、立ち止まっても、足を速めても、やさしく私の眉を濡らし、やさしく頬を撫でにやってくるのはみぞれ。

『すべての、白いものたちの』ハン・ガン、斎藤真理子訳、2018年、河出書房新社

誰にとっても生きづらい現代。人生において、自分に降りかかってくるものを完全に避けることはできません。ですが、それが柔らかいみぞれであれば、甘んじて受け入れることはできそうな気がします。
その先に「幸せ」が待っていると思えば尚更のこと。

何だか初めに書き始めたテーマ以上に、「幸せ」の解釈が広くなってしまった感じもしますが苦笑、すっかり長くなったので今日はこの辺で。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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