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私を育ててくれたもの⑩                    信号無視と群集心理

昨日、私はホテルニューオータニにいた。
会社の入社式が行われていたり、大きな会議やイベントが催されていた。
エントランスには観光バスから降りてくる多くの外国人たちが訪れていた。外国のツアー客は誰一人マスクを着用していなかった。
しかし、日本人のほとんどはマスクをしていた。
3月13日にマスク着用は解禁されたというのに。

もちろん、マスク着用を自分の意思で行っているのであればそれでいい。
しかし、解禁になったのに、なぜいつまでもそうなのだろうか?
もしかするとトラブルを回避したり、友好的関係のためにマスクをしているつもりなのだろうか。

1980年、漫才コンビツービートが「赤信号みんなで渡れば怖くない」といい、それが流行語となった。
日本人は「みんなでやる」ことをよしとする。
「信号無視」もみんなと一緒にやれば怖くない、という挑発だった。
マスク着用が解禁されてもまだマスクを着けている人が多いから、
それに同調しているのだろうか。それは同調圧力ではないのか。

私はあるとき、母にこう言われたことがある。
「正しいと思うのなら、どうして一人でやらないの。
 一人ではできないことならやるんじゃない」。
それは私が下級生を呼び出し、3人がかりで注意したことへの発言だった。寄ってたかってやった行為。みんなの意見に同調する「群集心理」。
それから私は、みんなと一緒にやる行為に、自分が本当にやりたいことなのかどうかを判断するようになった。
私がちょっとはみ出しているのは、おそらく母のこの言葉が生きているのだと思う。厳しい視線が送られても自分が正しいと思うことなら、私は気にせずにやってしまうのだ。それはきっと処世術にはないことだろう。

私は今日もマスクをせずに町に出た。人通りの少ない道をお年寄りがマスクをして歩いていた。私はその人たちとすれ違わないように通りの反対側を歩いた。いつも行くパン屋はマスク着用となっているので、マスクは手に持って歩いている。でも、いつまでこんな日が続くのだろうか。

ホテルではイベントが数多く繰り広げられ、
外国人観光客が列をなして歩き、歌舞伎町は宴会で賑わっているのに、
なぜか日本人は今もマスクをして歩いている。
記念日となるはずの入学式もマスク姿だったのだろうか。


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