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わたしはこうして反抗期を生きのびた

SNSにハマるほうだ。だから楽しそうとは思っていたけれど、始めるとハマり過ぎて家事や仕事を圧迫しそうでツイッターには手を出していなかった。

ところが息子が本気の反抗期になった。どれくらい本気かというと、高校をドロップアウトするくらい本気である。この日から、息子をこのまま永続的なひきこもりにしないことがわたしの人生の重要課題になった。とはいえこちとら更年期 、反抗期とはすこぶる相性が悪い。どちらもホルモンバランスの変わり目で超絶イライラしやすく、このイライラは自分の努力だけでは到底抑えきれるものではない。当時のわたしは日々、大きな葛藤を抱えていた。

わたしの場合、更年期とはいっても理由もなくイライラするとか落ち込むというようなことはあまりなくて、イライラの原因ははっきりと我が子だった。イライラに耐えかねてわたしが爆発するということもちょいちょいあったけれど、怒るのは精神的にとても疲れるし、親子関係が破綻するのも避けたいので、体感として子に対しつねに言いたいことの10分の1くらいしか口にしていなかった。なるべく否定的なことを言わないよう(一応)気を使っていたのだ。

そうすると言いたいけれど言えなかったことや、持っていき場のない怒りや悲しみが自分のなかに澱のように溜まってゆく。これはヤバいなと思った。消化されることなく溜まった負の感情はいずれかならず大爆発する。そうしてコントロール不能の状態になると、必要以上に相手を責めたり、傷つけたりしてしまうのだ。

だからわたしはこの負の感情を吐き出し、だれかに共感してもらうことを切実に必要としていた。最善かつ簡単な方法は夫に話を聞いてもらい、共感してもらうことだろう。子どもの親はわたしだけじゃない。子どもの問題は親ふたりの問題であるはずだ。

しかし、我が夫は(他に美点はあれど)どうしようもなく共感力が低い。ことばを尽くして説明しても、わたしの気持ちの大部分が理解できず、共感もできない。そもそも、子育ての愚痴に対してまったく興味が持てないから話をほとんど聞いていない。これではストレス解消どころか、余計に腹が立つだけだった。

というわけで、子に対し日々いろいろな鬱憤が溜まるけれど、それを心おきなく吐き出せる相手はいなかった。そりゃそうだ。相手の立場になって考えてみれば、毎日毎日、子どもの愚痴を言ってくる友だちがいたら鬱陶しいに違いない。

そんなある日わたしは閃いた。愚痴る相手がいないなら、虚空にむかって愚痴ればいいじゃない?  そうだ、ツイッターで愚痴ろう! これは天才的なアイディアに思えた。早速、アカウントを作り、まずは思春期の子を持つ同世代くらいの女性のツイートを探して読んでみた。そこには見事にわたしがいた。わたしと同じようなことで悩み、怒っていた。そんな同じような境遇の人たちとつながった。

それからは快適だった。なにかあったときには、いつでも、好きなだけ、思いのままにそのことをツイッターという場で吐き出せた。そうするとフォロワーさんから「いいね!」がついたり、ときにはコメントをもらったりする。自分も人のツイートを読んで「いいね!」したり、ときにはコメントしたりする。同じような悩みを持つ人がこんなにいると思うと孤独感は薄れ、望んでいた共感を得たことで、ほんとうに救われた。

そして子どもが反抗期を抜けたいま、わたしがツイッターでつぶやくことはあまりなくなった。たまに他愛ないことをつぶやいたり、だれかに知らせたい本や映画のことをつぶやいたりするぐらい。でもかつてツイッターは確実にわたしの命綱だった。ありがとう、同志ツイッター(突然の擬人化)。

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