多様性の時代だからこそ、誰かの靴を履いてみる/『僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー』
周回遅れもいいところかもしれないが、『僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(ブレイディみかこ)を読み終えた。この本が刊行されたのは2019年6月。当時から話題になっていたのは知っていたものの、私が購入したのは発売から1年後の昨年夏。そこからさらに1年以上積読にしてしまっていた。最近この本が文庫化され、さらに続編も出版されていることに気付き、遅ればせながらページをめくった。
読み始めたらとにかく面白く読みやすく、あっという間に読了した。そしてこの本の中に、最近あれこれ考えていたことに具体的な輪郭を与えてくれる言葉との出合いがあった。2年前でも1年前でもなく、自分にとってはいま読むべき必然性を感じた作品だった。
中学生の少年の目を通じて立ち現れる、分断だらけで多様性ある英国社会
著者のブレイディみかこさんは英国在住のライターで、アイルランド人の夫と一人息子と暮らしている。『僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は、その息子の中学校生活を描くノンフィクション作品。
息子が進学したのは著者が「元底辺中学校」と呼ぶ、かつては白人労働者階級の子どもが通う治安の悪い学校だったのに、近年は学校ランキング(英国では公立小中学校でも親が子どもの進学先を選ぶことができ、大手メディアで学校の総合的なランキングを閲覧できるという)の中位まで上がってきている中学校。小学校はランキング上位のカトリック校だったため、正反対の学校を希望した息子に著者は驚く。
元底辺中学校での生活は刺激と事件に満ちていた。著者の息子は、それまで通っていた小学校ではありえなかったような多数の分断とギャップに直面する。家庭の貧富の差から生徒同士が衝突したりいじめが起きたり、自身が人種差別被害の当事者となりアイデンティティについて考えたり。そうした日常を生きるなかで、息子は母親である著者と対話しながら自身の考えを深めていく。息子の中学校生活を通じて、息子本人だけでなく、母親も一緒に成長していくのだ。
読んでいて興味深く、また同時に難しいなと感じたのは、分断の多様さだ。EU離脱派と残留派、英国人と移民、レイヤーの異なる移民同士、階級の上下、貧富の差、若者と高齢者、そしてジェンダー問題など、英国に存在する様々な分断と対立が複合的に組み合わさり、事件として表面化してくる。
息子の友人は自らも移民でありながら人種差別的な発言を繰り返すし、別の友人は貧しさに苦しむ英国人。この2人が喧嘩し、それぞれ異なるジャンルの差別的発言(人種と貧富)で罵り合ったりする。学校は社会の縮図でもある。それだけ英国社会の分断が深刻になっているということなんだろうか。
息子は著者に、「多様性はいいことだと教わったのに、なんで多様性があるとややこしくなるのか」と問う。著者は「多様性は物事をややこしくするし、喧嘩や衝突も絶えないし無いほうが楽だけど、楽ばっかりしていると無知になる」と応じたうえで、次のように伝える。
「多様性はうんざりするほど大変だし、めんどくさいけど、無知を減らすからいいことなんだと母ちゃんは思う」(p60)
「誰かの靴を履いてみる」エンパシー
英国の中学校ではシティズンシップ・エデュケーションという教育が行われており、民主主義や自由の概念、司法制度などを学ぶという。その試験で「エンパシーとは何か」という問題が出た、と息子が語る場面がある。息子は「自分で誰かの靴を履いてみること」と解答したそうだ。
「自分で誰かの靴を履いてみること」とは英国の定型表現で、他人の立場に立ってみるという意味だという。エンパシー(empathy)は「共感」、「感情移入」、「自己移入」などと日本語訳されることが多いらしいが、シンパシー(sympathy)とはまた異なる意味らしい。
シンパシーの意味は「誰かをかわいそうと思う感情」、「ある考えや理念などへの支持や同意」、「同じような意見や関心を持つ人々の間の友情や理解」など。一方でエンパシーは「自分と違う理念や信念を持つ人や、別にかわいそうだとは思えない立場の人々が何を考えているのだろうと想像する力のこと」(p75)だという。著者はシンパシーを感情的状態、エンパシーは知的作業、と表現している。
このくだりを読んだとき、思わず「あっ!」と声が出た。最近考えていたことを表す言葉として、エンパシーはぴったりのように思えたからだ。
TBSの日曜ドラマ『#家族募集します』(最高の最終回だった……)の感想として、シングル親子たちが集まってひとつの新しい家族になっていく様子を、「お互いの違いを認め合い、尊重し合いながら、手探りでコミュニケーションを積み重ねていく」と書いた。
また、漫画『今夜すきやきだよ』の感想として、結婚観の食い違う恋人同士が結婚する過程の描写について、「望む生活を実現する家族になるためには、徹底的な話し合いが大事なんだろう」と書いた。
これらはいずれも、価値観や境遇が異なる登場人物たちが家族になっていく過程についての感想だった。登場人物たちのコミュニケーションは、まさにエンパシー的な姿勢じゃないかと思う。
シングルファーザーやマザーたちはそれぞれの靴を履いてみようとすることで、違いを認め合って新しい家族になっていったし、結婚観の食い違う恋人たちも徹底的な話し合いで互いの靴を履こうと努力した。あらゆることが多様化していく時代だからこそ、誰かと前向きな人間関係を築いていこうとしたら、エンパシー的なコミュニケーションが大事になってくるのかもしれない。結婚したい相手、家族になりたい相手ならなおさらだろう。
わからないけど、わかりたい
ところで、2日前の9月24日は午前休だった。存分に朝寝しようと思っていたら、なぜか朝5時に目が覚めてしまい、そこから眠れなくなってしまった。まあいいかと夏休み気分で朝の時間をゆるく過ごし、いつもは週末や仕事終わりの夜などに録画で見ているNHK朝の連続テレビ小説『おかえりモネ』も見ることができた。
主人公の百音が転機を迎える回だったため、感慨深い思いで放送を見終えると、朝ドラ後の情報番組あさイチのゲストが俳優の坂口健太郎さんだった。坂口さんはドラマで、百音の相手役の医師・菅波光太朗を演じている。偶然に驚きつつ視聴を続け、結局番組の最後まで見てしまった。
百音に対する菅波先生の思いの高まり具合を、坂口さん自身がドラマの時系列に沿ってパーセンテージで分析・解説する企画もあり、大変面白かった。ちゃんと継続して視聴し始めたのは東京編からのため、登米編はわからないエピソードも多いのが悔やまれる。
番組内では視聴者からの感想も紹介されていて、劇中の菅波のセリフや場面への言及があった。そのなかに、「あれ?」と引っかかったセリフがひとつ。番組終了後に録画を確認したところ、該当するセリフは第80話で、いろいろあって(その前の数話もざっと見直したが、本当にいろいろあり過ぎていて、ここで要約するのを諦めた)動揺している百音に対して菅波が発したものだった。
「あなたの痛みは僕にはわかりません。でも、わかりたいと思っています」
菅波先生!!!そのセリフ、エンパシーを超わかりやすく言語化しているじゃないですか!!!
菅波は、百音が抱えてきた心の痛みを正確に理解できるかはわからないと認めたうえで、「でも、わかりたいと思っている」と伝える。安易な同情や共感の言葉は口にせず、自分と百音の違いを認めたうえで、そのうえで百音の痛みを「わかりたいと思っている」と。
『#家族募集します』でシングル親子たちが手探りで積み重ねてきたコミュニケーションも、『今夜すきやきだよ』終盤でともことあいことその恋人がした話し合いも、その本質は菅波の言葉に集約されるように思う。
菅波が言う「痛み」は、様々な言葉に置き換えることができるだろう。事情、過去、考え方、信念、価値観、家族観、結婚観……。「私とあなたは違う。だからいまはわからないかもしれない。でも、違うこと、わからないことを認めたうえで、それでも私はあなたをわかりたい」。最近触れた作品に共通して感じられたものは、登場人物たちのこうした温かく前向きな姿勢だった気がする。
初めて第80話を見た時期は精神的に疲弊していたこともあり、「菅波先生、相変わらずいいこと言うね……」くらいの温度感の感想だった(菅波先生、自分の思いや感情を、不器用なりに真摯に言葉にしようとするところがすごくいい)のだが、『僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー』読了直後に見直したことで、個人的にとても思い入れのあるシーンになった。
こんな角度から『おかえりモネ』が刺さっているのは私だけかもしれない。しかし、たとえそうでも構わない。たまたま午前休を取った日のあさイチのゲストが坂口健太郎さんで、劇中での菅波のセリフ紹介がなければ録画を見返さなかったかもしれない。もちろんただの偶然とわかってはいるが、これもまた、最近感じることが多いご縁のひとつだ。
1か月ほど前から、この先の人生に自分は何を望むのか、どう過ごしたいか具体的に言語化する作業をしていた。その一環で家族についても考えていたため、この期間に触れたドラマや漫画の家族に関する描写が印象に残りやすかったんだろう。ご縁の正体を冷静に分析すればそんなところだろうけど、それでも私にとっては嬉しい出合いの連鎖だった。エンパシーという言葉に出合ってご縁もぼちぼち終わりかと思っていたら、さらに先があり、最後のゴールはまさかの菅波先生が鮮やかに決めてくれた。
『僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の副読本的な扱いとして、ブレイディさんがエンパシーを論じた本も出版されているようだ。続編とともに、いずれ必ず手に取ってみたい。