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水俣を歩く - それは自然を感じること

本多俊一ShunichiHonda

はじめに


今回の記事は、過去にも何度か書いていますが、水俣です。先日は熊本県が実施している水銀フリー事業のお仕事での訪問です。過去に4年間仕事していた場所なので、友人や知り合いも多く、いつも楽しみにしています。

今回は熊本県環境センターでの仕事でしたが、朝時間もあったので、宿泊先のホテルから歩いていきました。距離は約4.3キロぐらい。普段毎日10キロぐらい歩いているので、心地よいウォーキングでした。ホテル→水俣駅→風季のとうパン工房でお昼ごパンを購入→百閒港→竹林園→バラ園→水俣病慰霊碑→ゴール、という、水俣を肌で感じながらのウォーキングでした。

ここも忘れずに自撮り。2013年の外交会議は日本政府の交渉チームとして参加しました。

前の日に熊本県の事業の一環として熊本市東部中学校で出前事業もしたのですが、その時に準備したノートの一部がこちらです。

水俣病を知る事、それは全ての地球環境問題の本質


全てはこの水銀一滴から始まった。でもそれが水俣湾に流れ出した時には、誰もその結末は想像することさえなかった。ここに人間の本性が隠れている。目の前の利益しか想像できない、見ることができない。

地球環境問題の原点ともいわれる水俣病、水俣病事件と呼んだ方が良いかもしれないが、その当時は、少なくとも日本では、公害は当たり前。そんなのなんとかなるさ、ぐらいにしかとらえていなかった時代。産業革命から200年弱立った日本、戦後急成長を遂げているまさしくその時代、環境なんて、自然なんて、そのうちその廃水はどこかに流れていくんだし、と言うような社会でした。今から思えば恐ろしいですが、当時の社会は自然を無料のごみ箱にしか思っておらず、海は無料の廃水(当時は排水、としか認識されていなかったが)施設としか考えてこなかった。例えば水俣湾はその先の太平洋につながっているし、多少廃水を水俣湾に流したとしても問題ない、そんな風潮でした。同じくして、日本国内の多くの工場でも廃水処理施設は持たず、全ての廃水は河川に垂れ流し、家庭廃水も同じく垂れ流し、と言う状態でした。

水俣湾に流れ出たその水銀とメチル水銀は、残念ながら、人間が意図したようにどこかに流れていく事はなく、水俣湾の中で食物連鎖に蓄積されていきました。自然科学的には食物連鎖における生物濃縮作用と言いますが、超自然科学的には自然が人間に対して猛威を振るいだした、と言ってもいいかもしれません。本来そこにあるべきでない化学物質が流れ出すことは、そこに存在していたそもそもの自然を激変させてしまい、生き物を絶滅に追いやり、最終的にその場を死の世界に追いやってしまう、その現実が水俣湾で起きてしまいました。

公害、多少川が汚れていようが魚が浮いていようが、経済発展のために必要、つまり公に見て見ぬふりをしている自然破壊による被害、がもはや通用しなくなったことを証明したのが水俣病とも言えるでしょう。それほど、水俣病は自然界が自然に吸収できる「害」の許容レベルをはるかに超えたものでした。もはや、それを公害と言い続けることはできず、人間による環境汚染である、と認識しなければならなくなりました。しかし、水俣病を正直に正面から見つめるまでに、少なくとも20年から30年も時間を費やしたことは事実です。「現実を素直に見つめて、それを認めよ」、ギリシャ時代からの哲学的な考え方の一つであり、人間の精神にしろ、自然界にしろ、その認めた瞬間から、物事が改善する方向に動き出すということを伝えている哲学を、改めて認識した瞬間でもあったでしょう。

水俣病は世界のありとあらゆる環境問題においても、原点の一つと認識されています。水俣病を深く学ぶことが、現在私たちが直面しているこの地球三大危機(気候危機・自然危機・汚染危機)を正直に正面から見ることができ、水俣病の経験から何が本質で何をするべきかも見えてきます。

地球三大危機と聞くと、例えば二酸化炭素排出が悪い、自然環境開発が悪い、水銀含有製品が悪い、プラスチックが悪い、と言う、何か物が悪い説と言うのを世論の意見としてよく聞くところです。本当にそうでしょうか?

人間は欲望にまみれています。その欲望こそが、人間を前に進める原動力と言うのは間違いありません。だからこそ、今の人間がここに立っていると思います。今までその欲望を満たすため、目の前の利益を追い求め、より良い経済社会をもとめ、少なくとも日本はその先端を走り続け、日本人は高所得国の中でも豊かな暮らしを手にしています。

でも、なんです。その裏では、水俣病を引き起こしたり、その他多くの環境問題を引き起こしてきたのは、その欲望を最優先にさせてきた、種としての私たち人間です。水俣病も含めてこの地球三大危機の原因は、私たち人間です。これが唯一の本質的原因です。

ルールを作ろうが、法律を作ろうが、条約を作ろうが、SDGsを作ろうが、そしてそれらを実施しようが、この本質が変わらない限り、全ての地球環境問題・危機は絶対に解決しません。ルールや法律や条約は、あくまでも小手先の手段にしかすぎません。これらすべてのアクションはDoingです。

何か問題が起きたことに対して規制をかける・罰を設ける、これは人間の文明の歴史、特に約1万年前の農耕社会が誕生し、人々が都市社会を築き始めたころから必要な手段です。でもこれも堂々巡りかもしれません。例えば環境問題は、新たな規制を設けると、より低濃度・細分化された新たな環境問題に直面する。この繰り返しです。現在では、例えば廃水中の水銀濃度の規制値はありますが、100年経てば、魚や魚介類、人間のDNA損傷レベルで環境被害を特定する、と言う時代が来るかもしれません。

様々な環境問題が、より低濃度・細分化されて表面化されてきています。それら全てに規制をかけていく事が必要でしょうか?私はそうではないと思います。これらすべての環境問題の本質、人間側が変わらないといけません。

私たち人間はこの一個しかない地球に生かされている、beingが大切である、doingも大切であるがbeing を見つめなおすことが、地球三大危機を解決するための本質ではないでしょうか?

水俣の大自然につつまれると

今回は天気も良く秋晴れの一日でした。水俣湾を埋め立てて造られたエコパーク水俣に立つと、水俣の自然の雄大さや水俣湾のその大きな自然に包まれる感覚になります。今回特に感じたことは、「どうやったらこんな大自然を水銀で汚染することができたのだろうか?」と言うことです。こんなに雄大な大自然にもかかわらず、人間が過去に犯したその大破壊を改めて恐ろしく感じました。その大破壊は結局人間社会戻り、自ら犯した現代社会における環境汚染そして社会事件と…。それは二度と癒えることのない、絶対に忘れてはいけない教訓です。それが今はその水銀がマイクロプラスチックとなって、この水俣湾の大自然を再び破壊しつつあるのか、と想像するだけで、自分を含めた人間の愚かさを水俣の大自然から感じていました。

目の前の利益に目をくらみ、その長期的な影響がどうなるか見て見ぬふりをしていた。
止まることを知っているのに、止まることのできない人間社会のおろかさ。

そんな思いを胸に、熊本県が水銀フリー事業として作成中の啓発ビデオ撮影に参加しました。撮影カメラ、ピンマイク、照明と照明反射板、スタッフの皆さん、そして台本、と言う普段見ている映像の向こう側の一人として参加させていただきました。普段慣れていない状況なので、なんだか不思議な気分でしたが、楽しく撮影に臨むことができました。

こんな感じの撮影風景でした。

プログラムナビゲーターの愛結さんと記念撮影。最終版には熊本県知事とくまモンも登場します。完成が楽しみです。







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