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不祥事をなくすために

先日、中学校の教師をしている同級生とご飯を食べに行った。その時に教員の不祥事の話題になった。

ネットニュースを見ているとほぼ毎日のように教員の不祥事が記事になっているように感じる。

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同じ地域で不祥事がニュースになるとどうなるか。
情報共有がなされ、研修を受けるよう指示が出る。正直「またか」という気持ちになる。

法令を読む、事例を見る、動画を見る。そういった「研修」にどれほどの効果があるのか。
どうすれば不祥事は無くなるのか。


教員の不祥事がニュースになると「防ぐためには厳罰化しかない」というコメントが見られる。

正直、これ以上罰を厳しくしても不祥事がなくなるとは思えない。

教員になるには、大学4年間を単位の取得に費やし、教育実習をやり、採用試験を受ける。
不祥事ひとつでそうやって努力してきたことが水の泡になる。実名報道されれば再就職も難しくなるだろう。

4年間の努力と一時の快楽を天秤にかけて、どちらに傾くかという話ではない。それでもやってしまう人はやってしまう。
勤務年数が長くても、役職がついていても、家族がいてもやる人はやる。

では、不祥事を起こしてしまう人は私たちとは違う、特別に異常な人なのだろうか。


私はそうは思わない。
不祥事を起こしてしまう人も私も同じ人だと思う。不祥事のニュースを見るたびに「この人はどこかで間違ってしまった私かもしれない」と思う。

どこかで一線を越えてしまう。
この一線を越える/越えないには何があるのだろうか。

色々考えた末に、健康に行きついた。

ひとは健康的でないとき、よけいに健康的でないことを繰り返してしまうものだ。

ぼくたちはこれを「不健康サイクル」と呼んでいる。

そもそも「健康」とは、あらゆる不健康を避けることができる状態のことだ。それは「飲み過ぎ」「食べ過ぎ」などはもちろん、「夜更かししすぎ」とか「パチンコしすぎ」とか、あとは「働き過ぎ」とか、人によっては「風俗に金をつぎ込みすぎ」とかもある。

(「おちんちんパワー」という概念も非常に興味深いのだけれど、ここでは触れない。)

あくまで個人の体験に基づくのだけど、教員は健康について無頓着なところがあると思う。自身の健康についても、他人の健康についても。

先生といえば、いつでも元気いっぱい、毎日学校に来て、仕事も全力だし、子どもたちとも全力で遊ぶ。そんなイメージがある。身体が弱くて休みがちという先生はあまりいない。

学校という仕組み自体、先生が毎日元気で出勤することが前提になっている。気がする。
(もちろん採用選考で健康面も考慮されているだろう)

明らかに体調が悪そうなのに授業をしている先生。
5分ほどで昼食を終えて連絡帳を見ている先生。
残食を減らそうと食べすぎている先生。
休み時間なしで8時間勤務する先生。
朝早くから来て、夜遅く帰る先生。
休日に学校に来ている先生。
有休を使い切れない先生。

社会は元気で健康な先生を求めている。先生たちは真面目だからそれに応えてしまう。健康でなくなっても真面目に応えてしまう。

「代わりに入る先生がいない」「授業が進まない」「子どもが待ってる」「仕事が溜まっている」

そうして不健康サイクルを回してしまった結果が不祥事なのではないかと思う。

自分の健康/不健康を顧みない大人が、子どもの健康について考えることができるだろうか。


特に理由がない休みを「ずる休み」ということがある。

個人的には「ずる休み」という休みはないと思っている。心身が「休みたい」と思った時は理由なく休んだらいいのだ。

先生だけが忙しいわけではない。忙しいところはどこも忙しい。

それでもちょっとそういう余裕が社会全体から無くなっているのは危ういのではないかと思っている。

いただいたサポートは明日の食費に使わせていただきます。だが、お前のために食事は作らない。