”経営者”を辞めます

私はテック企業でCEO、経営者として働いていますが、所謂”経営者”を辞めようと思います。

ここで弊社の関係者の皆様はおい何突然言ってんだ聞いてないぞと思われるかもしれないですが、今のポジションを辞めるという意味ではなく、事業を創出していく経営者としての人生を歩み続けます。私が辞める”経営者”とは世間一般にイメージされるような、”経営者”とはかくあるべきというような”経営者像”、その固定観念に縛られて仕事するのを辞めるという意味です。巷には”経営者”とはかくあるべきというあるべき論で氾濫しています。本屋にいけば様々な”経営”にまつわる本で溢れています。また仕事柄多くの経営者の友人やキャピタリストの友人を持ち、成功している経営者や苦悩している経営者、様々な人から経営者とはかくあるべきみたいな話を聞かされ続けてきました。

自分は読書を好み思想にふけるタイプということもあり、様々な経営者や経営に纏わる思想家の本を数多く読み、巷でよく言われる”あるべき経営者像”、”スーパーマンのような経営者神話”、”あるべきテックスタートアップの経営の手法”というものに自分を寄せよう寄せようとした結果、本来の自分を見失い、あらゆることを自分で背負いこみ生産的でない状態に陥ってしまっていました(良い経営者はイーロンマンスクのように開発、営業、マーケティング、調達全てを誰よりもハードにこなす!)。

他人になろうとした結果自分を見失い、些末なことや自分でやらなくても良いことを背負いこみすぎたり、本来やらなければならない適切な経営判断というものができない状態に陥ってしまっておりました。

前回のこちらの投稿でいかに自分に対して誠実であるべきか、真にあるがままの自分であることが重要かと書きましたが、これは自分に対しての反省の意味をこめて書いています。


知らず知らずの内に肩書きや言葉というものは自由な思考を奪い、本来存在しないレールに自分を縛り付けます。自分よりも先行する会社の成功法則や正しいやり方、成功する経営者像というものは存在せず、事業というものは本来もっと芸術に近く、もっと自由に取り組んで良いものなのではないでしょうか。

では私とは何者かというと、私は私としか表現できないのですが、あえてなにか言葉を付けるとしたら世間一般の人が想像するような所謂”経営者”というよりも、芸術家、クリエイター、プロデューサー、思想家という言葉の方が近いかもしれません。

強いて本当に共感するビジネス界の経営者としての誰かの言葉を選ぶとしたら、こういった言葉が真であると私は現在強く感じています。

実際に成功するのは会社どうこうではなく、ただ世界に向けて表現したいことがある人たちなんです。

スティーブ・ジョブズ

ビジネスであれ、科学であれ、政治であれ、歴史に名を遺すのは芸術家だ。楽しいから創るが一番強い

ナヴァル・ラヴィカント

これは経営者に限らず、ありとあらゆる職種にいえることではないかとも思っています。自分の仕事は”営業”です、”マーケター”です、”エンジニア”ですというように、世間一般的に浸透している言葉で自分の仕事を考えている時、おそらくその人はなにがしか自分を欺きながら仕事をしているのではないでしょうか。

歴史に名を刻んだ芸術や芸術家に共通した作品の作り方なんて存在しなかったように、世界に影響を与えるようなあらゆる仕事に決まりきったやり方など存在しないはずです。

固定観念を取り払い、自由に、もっと自分が自分であれるように、世の中のノイズは無視し、遊びかのように所謂”仕事”に取り組めるようになれると良いのではないでしょうか。


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