顧客を大いに軽視すべし

顧客第一主義という理念を掲げ大成功を収めたAmazonを模倣するかのように、多くの企業が理念やミッションとして顧客第一主義や顧客中心主義という言葉を掲げるようになりました。これに限らず過去のたくさんの成功事例から、確固たる成功哲学や成功法則というものが本当に存在するかのように謳われ、様々な企業でビジョンやミッション、カルチャーとして採用されています。

しかしながら顧客第一主義のようなあるべき論が履き違えて解釈されて独り歩きした結果、大きな成功を目指す人、充実したキャリアや仕事を通じて自己実現したいと思う多くの人にとって大きな障害となっていると私は思っています。みなさんも自分が働く会社が掲げる理念に違和感を覚える体験や欺瞞だなと思ったことがあるのではないでしょうか。こういった様々なあるべき論や成功哲学、成功法則といわれているものは社会的圧力となり、従業員のみならず理念を掲げた経営者含め多くの人が知らず知らずの内に自分に対して嘘をつき、自分らしさを失い、他人の人生を歩むことで自己実現や成功を逆に遠ざけるという不幸な状況を招いてしまっています。月曜日の朝出社する際の自分の気持ちや、サラリーマン達の顔を思い浮かべてみてください。顧客を幸せにしようとした結果皆が陰鬱な気持ちになるとはなんと皮肉なことではないでしょうか。

私はこれまで新卒で外資系投資銀行で働き、その後経営者としてのキャリアを歩んでいます。一社員として、一経営者としてたくさんの苦渋と辛酸、数多くの失敗(と大失敗)、そしてほんの少しのちょっとした成功を経験してきました(大成功はまだまだほど遠い)。時には苦しく、ベッドから起き上がれない、頭が回らない、自分に価値や能力があると思えないと思い苦しんだ時期もあります。またこのキャリアを歩むなかで様々な才能や向上心溢れる友人が、成功や自己実現に苦悩する様子、そして大成功していく様子というのを肌で感じてきました。

これらの経験で一つ確実に言えることは、成功体験は自分が自分らしく振舞うことができている時のみ訪れるということです。また、自分らしく振舞えている状態、自分が物事に楽しんで取り組めている限りは失敗がそれほど苦になりません。自分らしく振る舞えるとは、モチベーションが沸く事に、自分らしく振舞える仲間や顧客と取り組んでいる状態です。この時は、そもそも顧客第一主義なんて頭にも浮かんでいないし、自分らしく振舞えない物事、同僚(社内顧客)や外部のお客様との仕事は徹底的に無視や後回しにしていました。数で言うと十人いるうちの一人か二人のみフォーカスし、他の顧客は言葉はあれですが後回しといいますか、ほぼ無視していました。不思議と自分が楽しいと思えることにのみフォーカスして取り組み、それに価値を感じる社内顧客である同僚やお客様とのみ仕事をしていた時が一番充実し、ビジネスとしても大きな成功を収め、結果顧客からも大きく感謝されました。

ちなみにですが自分らしくできることをすれば必ず成功するというわけではありません。多くの場合は何の成果も得られず失敗に終わります。ですが、どうせ顧客第一主義なんて考えたところで、自分と大きく価値観の違う顧客のことなんて真に理解できないですし、そういう顧客に対してやる仕事というのは身が入らず、中途半端になるので、それこそ大した成果は生まれません。楽しくないので継続した努力を行うこともできません。そんなことに取り組む意味があるのでしょうか。

人を不幸にする顧客第一主義

ここでは顧客を所謂お客様に限らず、上司や同僚、部下、経営者にとっては株主といったあらゆる仕事を遂行する上で関わる人としましょう。もちろんこういった周りの人たちのニーズを満たすことが自分の生きがいとなっている、自分が好きなことが顧客のニーズを満たすことになっている場合はなんの問題も無いでしょう。しかしながら、顧客第一主義が自分らしく生きることよりも先行してしまい、顧客が求める自分と本来の自分が大きく乖離している状況、言い換えると本来の自分を押し殺し他人のニーズを満たすことに長時間奉仕する状態が続くとどうなるでしょうか。この状態は心理学や精神医学の分野で使われる過剰適応と言われる状態です。過剰適応は、自分自身のニーズや感情を抑制することで、ストレスや自己喪失、バーンアウトといった問題を引き起こします。すべての悩みは対人関係の悩みであると精神科医/心理学者であるアドラーは言いましたが、他人を喜ばすこと、期待に応えること、組織においての行動指針といったものが本来あるべき自分と大きくかけ離れていると人は悩み、多大なストレスを感じます。ストレスがかかると抗ストレスホルモン(アドレナリン・コルチゾール)と呼ばれる物質が放出され、しばらくの間(約3カ月)はストレスに対抗しながら一定のパフォーマンスを発揮でるといわれていますが、ストレス状態がそれ以上続くと危機回避のために副交感神経の一部である背側迷走神経と呼ばれる神経が優位な状態となり、体を省エネモードにします。結果注意力や気力の低下を引き起こします。深刻な場合にはうつ病や不安障害などの精神的な病気を引き起こす可能性もあります。うつ病とはいかないまでも、多くの人が仕事に行きたくないと毎日思いながら朝を迎えているのではないでしょうか。
こうなってしまっては顧客第一主義もへったくれもありません。もちろん休暇を取る等のことで一時的な改善は可能かもしれませんが根本的な解決にはなりません。

徹底的に自分らしく

自分が何者かわからないうちは、顧客第一主義のような理念、社会から求められる姿や憧れの人物、経営者とはこうあるべきだ、一流のビジネスパーソンとはかくあるべきだといった言説にとりあえず乗っかってチャレンジしてみるというのは悪いことではないでしょう。しかし絶対にこういった理想的な人にはなれないということにいつか気づく時が来ますし、なる必要なんてありません。一番不幸なことは自分をだまし続けてなれもしない誰かになろうとすることです。

多くの人々をカウンセリングしてきた臨床心理学者のカール・ロジャーズは死に至る病を執筆したキルケゴールの言葉を引用して次のように言っています。

人生の目的を表現する最も適切な言葉は、キルケゴールの言った「自己が真にあるがままの自己であること」である。バカバカしいほど単純に思えるし、これは目的というより明白な事実に思える。しかし自己探求からこうした奇妙な見方に到達した。人がこの見方に到達するのは、自身の経験をとおして、それが真実であることがわかった場合だけである。

ON BECOMING A PERSON by C.R.ROGERS

カール・ロジャーズが”人がこの見方に到達するのは、自身の経験をとおして、それが真実であることがわかった場合だけ”と言う通り、私自身自分らしくいることの重要性を軽視し、これまでたくさんの失敗や苦渋を経験して始めてこれが真実であると気づきました。知識というものはそれ自体は全く役立たずで様々な経験を通して初めて身に染みて理解できるのです。おそらくこれを読んでいる多くの人、特に若い方はピンとこないことでしょう。もしくは、そんなことはもう分かっているよと思う方もいらっしゃるかもしれません。ですが何かを判断する時や何か行動を起こす時、このことは不思議とほとんど忘れ去られてしまうのです。ですのでどうにか皆様の頭の片隅にこの考えが少しでも残るように、様々なジャンルの偉人達の言葉をご紹介しておきます。

  • 何にもまして自分に誠実であれ - シェイクスピア

  • 誰かを救おうとしなくていい、あなたの芸術にいらないのはオリジナリティと「立派な意義」 。あなた自身を救い、心を軽くするために創作してください。- エリザベス・ギルバート

  • ビジネスであれ、科学であれ、政治であれ、歴史に名を遺すのは芸術家だ。楽しいから創るが一番強い - ナヴァル・ラヴィカント

  • 諸君に第一に気をつけてほしいのは、決して自分で自分を欺かぬということです。己れというものは一番だましやすいものですから、くれぐれも気をつけていただきたい。 - リチャードファインマン

  • あなたの時間は限られている。だから他人の人生を生きたりして無駄に過ごしてはいけない。 - スティーブ・ジョブズ

  • 実際に成功するのは会社どうこうではなく、ただ世界に向けて表現したいことがある人たちなんです。 - スティーブ・ジョブズ

  • やりたいことをやれ。自分のために働け - 本田宗一郎

  • やりたいことをやらない言い訳を自分にさせないことです。最も成功した人々 (お金ではなく歴史で判断される) は、自分が取り組むことができる最も重要なことを絶えず探しています。一般的に、自分自身が必要とするものを作るのであれば、それがベストです。 - サムアルトマン

これ以外にも上げるときりがないのですが、様々なジャンルで名を遺した人達が同じようなことを言っています。仕事における大小様々な成功も芸術の成功とほぼ同じで、絶対的な成功法則なんて存在せず、芸術家が圧倒的な情熱を持って自分のために何かを表現・創造し、それが社会に受け入れられるプロセスと同じと捉えるべきなのでしょう。身近に感じれる事例で言うとiphoneを創造したスティーブジョブズ(とそのチーム)、chatgptを創造したサムアルトマン(とそのチーム)を見ても明らかではないでしょうか。amazonでさえ収益の一番の源泉となったAWSは元は自分たちの課題を解決するために創ったものでした。大事なのはこうした方が成功しやすそうなんていう一般論や考えは捨て、他人の評価なんて気にせず、とにかく自分に正直に、自分らしく振舞えること、モチベーションがわくことは何かを他人の意見や世間に流されずに突き詰めることです。それには勇気が必要ですし、不安に感じることもあるでしょう。しかしながらこの不安を通じて人間は自由、責任、そして存在の意味を深く探求していくことができます。不安が自己を理解し、存在の意味を探求するための原動力となるとキルケゴールは「不安の概念」の中で述べています。私自身、世間一般的にエリートとして見られ高い給与も貰える外資系投資銀行を辞めるという決断には勇気が必要でしたし不安もありました。しかし今はこの自由と不安の中で様々な挑戦をしている中でこそ自分とより向き合うことができています。

孔子の言葉に、

子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず。

という言葉があります。寿命がはるかに短く様々な情報の取得が難しかった時代の孔子でさえ50になるまで天命が何かを分からなかったわけです。本当の自分とは何か、自分の天命とは何かを探すのに遅いなんてことはありません。この投稿が自分を見つめなおすきっかけ、自分らしく生きることへの一歩を踏み出す一助となれば幸いです。


(*きちんと読んでいただいた方は理解されていると思いますが、最後に念のため補足しておきます。この投稿は顧客をタイトル通り軽視することを推奨する投稿ではありません。あくまでも顧客第一主義が自分の生き方よりも先行してはならない、自分に嘘をついた上での顧客第一主義にはたいした価値は無いということを主張しております)


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