徹底的に師匠の真似してたらまとまった!「弟子学」の実践法
よぉ。
俺だ。福本だ。
新年度からそろそろ1ヶ月経つよな。
この1ヶ月の仕事のデキはどうだった?想定どおり過ぎて物足りなかったか?それともデキない自分に嫌気がさしたか?
そんなモヤモヤした感情、ぶち壊したいよな。
わかるぜ。
だからこのクソ長いGWに、積ん読してた本読んだり、カメラを首からぶら下げて美術館行ったり、なんか新しいことはじめたいって思ってんだろ。
いい心がけだ。
でもな、何をはじめるにせよ、物事にはな、たったひとつ押さえてるだけで大きく結果が変わる核みたいなもんがあるんだ。
俺は今日のブログで何か動き出そうとしてるあんたの手伝いをしたい。
そう、物事の核の見抜き方だ。
この技術は「弟子学」と呼ばれてるもんだ。
おっと、「弟子学」を検索しても無駄だぜ。
そう呼んでるのは俺だけだからな。
弟子学はとっさに思いついた単なる造語。今回のブログの俺のキャラとおなじくらいフワフワしたもんだ。どうせ、そんなに息も長くない言葉だ。覚えなくていい。捨てちまえ!
大事なのは中身だ。
じゃあ、はじめるぜ。
ここ数ヶ月の俺の弟子入りストーリー
俺はいま、大阪と京都の二拠点で会社を経営してるんだ。4年ほど前に、計画もなく市場が大きいという理由だけで、一度東京にも進出してオフィスも構えた。ただ結果は、火を見るより明らか。
2年ほどで東京から引き上げることになった。
理由は、関西の方が好転しはじめたこともあった。でもそれはほとんど言い訳で、計画も、つながりも、影響力も、何ひとつ水が流れていないところに、進出したのが上手くいかなかった現実だ。
そして、あれから2年。
関西でやってきた活動のデータが貯まり、自分たちの強みとなって少しずつ引き合いが出てきた。だから今回は、気合いを入れて全国で勝負するための事業をつくった。
だがしかし、それでもまだ俺には足りてないものがある。
それは取引先となるデカい企業の現実を何も理解していないこと。何が敵になって、どういう手順で攻めて、根本的なルールを何も知らない。さらに俺にはそれを共有してもらえる、つながりも、影響力も、何もない。
この問題をどうしたもんかと考えていたとき、
俺の目に飛び込んできたのがこの男だ。
そう。
かの有名なスーパー炎上サラリーマン田端信太郎。
ツイッターやメディアでみる限り、大企業で数々の案件を成し遂げ、プロセスの中に潜む敵と戦い続けてきたであろう男。
そして俺は、彼が紹介されていたある一冊の本を読んだ。
紙メディア族+ウェブメディア族+ビジネス族+テクノロジー族(メディアの専門家:メディアメーカー)。最後は、ロイヤルストレートフラッシュともいえる、スーパーな人材です。紙とウェブの編集、ビジネス、そしてテクノロジーのすべてを知り尽くしたメディアの申し子、いわば、「メディアメーカー」です。「こんな奴いるか!」と突っ込まれそうですが、皆無というわけではありません。日本でこの領域にいちばん近いのは、『MEDIA MAKERS』の著者である、田端信太郎さんでしょう。
「5年後、メディアは稼げるかーMonetize or Die?」より抜粋
完璧じゃないか。
彼からすべてを盗めたら、俺に足りていない経験を埋められるのではないか。
その瞬間、俺は田端信太郎をターゲットに定めて「エア弟子」になった。
※エア弟子とは勝手にターゲットのあらゆる情報を狂気的に洞察する行為。
ただこの話をするとよく誤解されるのだが、エア弟子になったからと言って、俺は別に田端信太郎そのものになりたいわけじゃない。
だから、坊主頭もしていない。
田端信太郎を構成してる思考の核である、判断基準を抜くのが目的なんだ。
誰かを真似るという行為自体に嫌悪感を示す人もいるだろう。
オリジナリティがなくなると。
そんなあんたに俺は問いたい。
あんたにとっての「オリジナリティ」の定義はなんなんだ?
俺の定義はこうだ。
真似してきた人たちから盗んだ判断基準のアレンジパターン
これが俺のオリジナリティの定義。説明しよう。
そもそも人間にオリジナルなんて存在しない。誰かは誰かの判断基準を必ず真似て生きてきている。もちろん人を真似るのが嫌なヤツでも必ず誰かを真似ているんだ。
たとえば、親、兄弟、学校の先生、友達にはじまり、本の偉人に至るまで影響を受けてきている。
何かを新しくはじめた経験が過去に一度でもあるなら、それはあんたも真似してるということなんだ。
おい、そこの、そんなことありませんって言ってるやつ。
あんた、いまパンツはいてるか?
パンツは穿くもんだと親に教えられ、あんたもしっかり真似てるんだよ。つまり真似ることで、何かを判断するときの基準を創り上げていくのが人間。
パンツをはいてなかったやつは、申し訳ない。
おまえはオリジナルだ。
誰かを真似て盗んできた判断基準を、新しく自分の判断基準としてブレンドしていく。
そう考えてみれば、たくさんの判断基準を盗めば盗むほど、たくさんアレンジすることができるようになり、オリジナリティのレベルが上がるってことが分かるよな。
今回の話で言えば、俺は新たにブレンドする判断基準に田端信太郎を選んだということだ。
とはいえ、エア弟子のままでは盗むことができる範囲も限られてくる。なんとかして本人と会って盗めないか、俺は考えた。
ただ注意しないといけないのは、
田端信太郎にとって、俺は会う価値のない人間だということ。
何のメリットもないわけだからな。となると、俺には会って話すことに理由がいるってことだ。
ちょうどそのとき。
何の偶然か、
社内で田端信太郎に憧れ、坊主頭にまでなっていた社員の岩崎から、「タイムバンクで時間を買って田端さんに会いにいきましょう」と持ちかけられた。
彼は純粋に会って話したかった田端信太郎ワナビーだ。
でもおもしろい、やろう!
そのキッカケから、タイムバンクで時間を買って、田端信太郎から判断基準を盗むプロジェクトを実行。
するとすぐに問題が発生した。
時間の「売り」がない。これ以上買えない。
当時、田端信太郎に会って話すために必要な時間は、
約60万円/60分。
誰かが時間を消費しないと、時間の追加発行ができないことがわかった。
あえなく断念。
そして次のタイミングを伺っていたところ、またもやワナビー岩崎から次のチャンスが飛んできた。
そう、田端大学だ。しかも当時8,800円/月。1時間話すのに60万円の価格に比べれば屁でもない価格。
すぐさま俺も申し込み、田端大学の決起会参加するため、久しぶりの東京へ向かった。
そして決起会。次のチャンスが訪れた。
タイムバンクで1時間60万円だった男とのサシめし。メシだから少なくとも2時間はあるから120万円分の価値。これは絶対に落とせない。
必ず、初月にMVPになって判断基準を盗む。
俺は早速勝つための策を練った。
まずは田端大学がサロンとして狙ってるポジションから、ゲームルールを把握したんだ。
MVPを選出する以上、サロン形態は「評価あり」に分類され、組織に近い形態をとることになる。且つ、目指しているのはブランド人の排出であり、アウトプットを出すメンバーをフィーチャリングする「アウトプット型」のビジネススクールに近い組織。
つまりアウトプットはマストで、そこでインパクトを与えなければMVPに選ばれる道理はない。
その上で初月はチャンス!
なぜなら、初月は選考基準が曖昧になりがち。さらに周りも様子見になりがちで動きは遅いはず。ルール通りの動きをする人が大体数になる。
そして出された、初月の課題図書はこれ。
すぐさま本を読み切って考えたのは、
初月にこの本を課題にしてくるということ。これはもしかして田端信太郎からの隠れたメッセージではないのか?「売れるもマーケ、当たるもマーケ」の22の法則を使って、
俺に自分を売り込んでみろ
という課題。もしそれがそうだとした場合、単純に本の発表をしても意味がない。そこで俺が選んだ勝ち筋はこれだ。
「知覚の法則」を使って田端信太郎に認知してもらい、インパクトのあるアウトプットで「心の法則」で彼の記憶に残し、初代MVPに選ばれることで、以降の田端大学内で「一番手の法則」をぶちかます。
そして初月は基準が曖昧。
つまり純粋なアウトプット以外の「貢献型」の要素で印象に残すことで、直接の評価にはならないが、アウトプットでの評価にレバレッジをかける。
初月だけは手を動かして「貢献型」の活動で認知を仕込み、「アウトプット型」としてまともなアウトプットを出し、全体的に田端大学の認知向上に貢献する。
そう決めた俺は、早速動き出した。
田端大学のロゴを引き受けたり、ツイッターをしてる社員全員にブランド人手当を出すと宣言をしたり、本を200冊買って自社で講演してもらったり、最後は当時キャッチーなテーマになっていた、ツイッターのフォロワーに言及するブログを書いたり。
そのとき書いたブログがこれだ。
結果。
ここまでは想定通り。ここからが本番。
ただ、いっしょに酒を呑んでても芸がない。当初の目的は判断基準を盗むこと。だから、酒を呑んでベロベロになりながらも、
次に、俺が考えなければいけなかったこと。それはいつまでにこの盗んできた判断基準を、
田端信太郎の分身レベル
にまで引き上げなければいけないのか見積もること。
なぜそれが必要か。
それは俺が判断基準を盗んで実現したいことは、つながりや、影響力の維持だったから。つまり田端信太郎の中での、初代月間MVPの価値が減衰するまでに仕上げなければいけない。
それがいつか?
初代MVPと以降のMVPであれば、
初代MVP > MVP
これは初代の方が「一番手の法則」で価値が高い。次に、初代MVPと2回MVPを獲った人が出てきたら、
初代MVP = 2度MVP獲得
この構図ではカテゴリーの法則で、おなじ階層に並び力は拮抗するがまだヤバイほどの状況じゃない。最後に、MVPたちの中での年間MVPを獲った人が出てきたら、
初代年間MVP > 初代月間MVP
ここではじめて「月間」という言葉が付与され、初代月間MVPは小さなカテゴリーに落とされる。そして年間MVPに「一番手の法則」でリプレイスされ、初代月間MVPの価値は減衰するというわけだ。
つまり年間MVPを決める大会までに、判断基準を徹底的に磨き込まなければいけなかった。遅くても田端大学開始1年後の7月。早ければ年度末で3月。
それまでに俺がやるべきことは、
そう、全神経を注力して洞察すること。
俺は徹底して洞察し続けた。
何を表現の基礎においているか。どんな発言に対してイラついているのか。何に喜んでいるか。すべてのオープンにされてる情報や、過去に誰かと議論している情報にも目を通し、盗んできた判断基準を徹底的に改善し続けた。
また勝手に当月のMVPを予想する設定を作り、田端信太郎の目に触れるところに事後考察を投げて、直接に判断基準のフィードバックをとりにいったりもした。
そして2月。
倉持さんとJIROさんの発表で、田端信太郎はついにやってしまった。いままで絶対にやらなかった、MVP評価のタイミングで会場に意見を聞くという行為を。
その刹那の判断基準の揺らぎを俺は見逃さなかった。
意見が割れた一戦で、これまでは創造性と再現性とリアリティを中心に評価していたところに、共感性を生み出すためのSHOW UPの概念が追加され、俺の判断基準は完成した。
そして、翌月。
完成した判断基準を使って挑むはじめての戦い。
課題図書は「V字回復の経営」。
本を読んで、発表する上で失敗要因になりそうなことを、判断基準から練り上げ、どうやって勝つのか勝ち筋を戦略としてまとめた。
まずは障害となる判断基準未満のアウトプットは論外。それを回避するために社内のメンバーに協力を請い、何度も聞いてもらって大量に改善した。
そしてキレイごとを並べただけの敵がいないアウトプットを避けるため、経営者として未熟だった自分自身を敵として設定し、「パンツを脱ぐ」という田端信太郎が大好きな概念も導入。
さらにそれを言葉だけではなく、目で見える形で表現するために、経理に会社がいちばんヤバかった時の通帳データを出してもらい、目で見てわかる「経営者としての未熟さ」をエビデンスとして付け加えた。
最後に、全体的なストーリーの構成。
目玉が乱雑になると聴かせる力が低下する。今回の目玉をヤバかった経営ストーリーからの大どんでん返し一本に絞り、そこを中心にストーリーを構成した。
この時のプレゼンを見たい人は、このブログを読んでくれ。内容はほぼおなじだから。
ここまで決めきったらあとは施策をひとつずつ実行して、精度を高めていくだけ。
社内で聞いてもらって大量に改善したし、準備するものも全部揃えた。
そしてついに始まった、年間MVP決定戦。
この数ヶ月やってきたことをすべて出しきるだけ。あとは川の水が流れるままに身を任せる。
結果・・・
優勝することができた。
そして何より、試合で発表したプレゼンを評価してもらえたことで、当初から狙っていた判断基準が証明されたことがデカい。
判断基準を自分に憑依させ、さらに精度もどこまでも高めていく。すると、最近はお墨付きをもらえるようにもなってきた。
また、今回優勝したことで手に入れた次なるチャンス。
そう、直接自社の課題を伝え、いっしょに叩き潰してくれる機会だ。東京で活動していく上で、自分が知りえなかったナレッジも含め、徹底的に「敵」になってマジレスしてもらう機会を手に入れた。
さらに、田端大学には自分が知らない世界で働いているビジネスマンがたくさんいる。
関西にいる頃には全くなかったつながり。
そういったつながりを演出してくれるため、年間MVP祝勝会を開催してくれたり、いろんな機会を提供してくれる。最近では、田端大学で「売れるもマーケ、当たるもマーケ」の実践ゼミまで持たしてくれた。
田端信太郎は俺にとって最高の師匠だ。
ありがとうございます。
マジで感謝してます。
ここで俺の弟子入りストーリーは終わり。
「弟子学」は判断基準を盗むための一連の極意
弟子学を実践する上で、俺はいつも考えることがある。
それは、
スキルとは一体なんなのかということ。
新しいことをはじめる目的のほとんどが、スキルと呼ばれるものを手に入れるためだ。弟子学は、いかに効率よく師匠からスキルを手に入れられるか、ということにフォーカスしている。
つまり、手に入れる対象であるスキルへの理解は必須なんだ。しかし、多くの人がスキルというものを、よく分かってないのもまた現実。
あんたも分からないままに、スキルスキル言ってるだろ?
なんでよく分からないのかと言えば、スキルは言語化できないからなんだ。人間は目に見えるものしか見ようとしない。だから言語化できないスキルは、そうカンタンに手に入れられない。
一方で、マニュアルというものがある。
これは言語化できるもの。マニュアルさえ見れば誰でもカンタンに再現性のあることができる代物だ。つまり、目で見て、聞いて、教えられるもの。
すごい!最高じゃないか!どんどんマニュアルを作れ!!
とはならない。
なぜならマニュアルには、何かアクションを起こしたとして、ほぼ確実におなじ結果が返ってくることしかまとめられていないからだ。
アクションに対して、リアクションがあることをインタラクション(相互作用)という。あと何度か使うから、この言葉は覚えておいてくれ。
スキルとマニュアルのどちらにも共通することは、
必ずスタートとゴールがあるということ。
そしてインタラクションが必要だということだ。
「HIGH OUTPUT MANEGEMENT」から拝借した、朝食工場の図で考えてみよう。
朝食を顧客に提供するために、必要なアクションを起こして、いつどんなリアクションが返ってくるのか。それが分かっているからマニュアルにできる。
ただ、スキルの場合はそうはいかない。こんなイメージだ。
スタートからゴールの間で起こるインタラクションが目に見えない。
なぜなら関わっている変数が複雑すぎて、毎度イレギュラーが返ってくる可能性が高いからだ。アクションを起こしたときの不確実な存在、「敵」が恐ろしく多い。だから教えられない。
つまり、
予測不能に現れる敵をなぎ倒しながら、最後まで処理しきる能力。
それが、
スキルの正体だ。
それほど複雑なものだから、スキルは現場にどっぷり入って、何年も何年も敵に立ち向かい続けて、ようやく獲得できるもの。
と考えられがちになる。
だが、俺は全くそうは思わない。
なぜなら、スキルとマニュアルを行ったり来たりするうちに、確信したことがあるからだ。
それがこのブログで何度も伝えてきた、判断基準だ。
何を基準にアクションを起こし、どんなリアクションを引き起こせたら成功と言えるのか。スタートからゴールまで終えた時だけ結果がわかる、改善が遅い状態をいますぐやめる。
ひとつひとつのインタラクション毎にテストするんだ。
オリジナルのパターンから判断基準を抜いてきて、その判断基準をもとに自分のアウトプットを膨らませる。そのアウトプットをオリジナルに当てて改善する。それも大量に。
これはいわゆる人工知能がやってることとおなじ。
人工知能は人間の脳を模して作られているので、
それを人間に逆輸入するイメージだ。
人間はこの動作をすべて無意識で行っている。
それをあえて、意識的にやってしまうんだ。
オリジナルのパターンから抜いた判断基準だけを可視化する。
俺が師匠からそうしたように。
教えられるマニュアルでもなく、教えられないスキルでもないもの。しかし、それがあればすべてが上手くつながるもの。
それが判断基準。
そして、
判断基準を盗むための一連の極意が「弟子学」なんだ。
抜いてきた判断基準の運用方法のコツは、俺の過去ツイを見てくれ。
こうすることで、すべての行動が仮説に対する検証に変わる。リアクションが想定と違うものであれば基準を改善して、またアウトプットを出して改善を繰り返す。
判断基準は必ずしも人だけではなく、機械からも盗める。
またこれは余談だが、下記の本は初学者にとって、今回ここで語っているディープラーニングについて、すごくわかりやすく説明してくれている。図解でこの仕組みを確かめたい人は、ぜひ読んでみてくれ。
より理解が深まるぜ。
主客分離から主客一体へ
人工知能が人間を超えるときが近づいてる今の社会で、あえて人工知能がやってることを逆輸入して意識的に人間が実践する。
青は藍より出でて藍より青し。
表面的なことをコピペしてるだけじゃ、いつまで経ってもモノマネから抜け出せない。本当に抜き出すべきは判断基準。
何度も書いてきたが、スキルは言語化できない。教えられない。
つまり師匠が言語したものを教わるスタンスでは、絶対にスキルはマスターできない。
弟子たるもの、考え方をシフトせよ。
どうシフトするのか?
それは、主客分離から主客一体にアプローチを変えるんだ。
説明しよう。
師匠が弟子に対して教えるスタンスは、主客が分離している状態。
しかし、師匠から教わるスタンスではなく師匠とチームになるんだ。まだ見ぬ何かを師匠と一緒に創っていく。その過程の中で師匠が落とす判断基準を拾うんだ。
これが、
「弟子学」が他の学問と大きく違うところ。
弟子学は主客一体。
茶道の精神でもある主客一体は、日本人の精神性を上手く表している。
つまり、
日本人ほど「弟子学」に長けている人種はいない。
教えられたことから学ぶより、敵を設定して過程から学ぶんだ。
あんたも今日から弟子になれ。
師匠は森羅万象に潜んでる。
弟子学のすゝめ。
アバンギャルドな、人生を