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「かけた方がいい時間」と、「かけない方がいい時間」

一言で「時間」と言ってもいろんな時間があります。そんな中仕事をしているとかけた方がいい時間と、かけない方がいい時間というものがあります。今日はそんな話です。

クオリティの追求には時間をかけていい

まずはかけていい時間のことですが、それはクオリティが関係してくる時間です。お客さんが望むものをとことん追求し、その予想を超えるものを作っていくということはものづくりをする人間として持っておかないといけない素養に近い、ど基本なものです。

そして、当然ですが、自分の現在地をもっと高いところに持っていくための努力とされる時間をしっかりもうけないといけません。踏み込んで言えば、それを努力と思わない領域まで持ってきて初めて時間をかけることに意味があるのかもしれません。

この「かけるべき時間」というものをおざなりにしてしまう人は正直物作りとしての信頼度が担保できません。天才であったとしても天才と言われるまでにかけた時間というものがあるわけで、凡才である人にとってはこの欠けるべき時間をしっかり持つようにしないと・・・はっきりいって話になりません。

まぁかくいう僕も言えるほど、そういうことに時間をかけてきてはいないと思っていますが、それでもサボってはいないつもりです。

まず、サボってないと言えますか?という話です。

判断に対する時間はかけない方がいい

逆にあまりかけない方がいい時間というものがあります。その代表的なものに「判断」というものがあるように思います。もちろん、「判断」を間違ってはいけないから時間をかけるという意見もわからなくもないですが、厳しい言い方をすれば、正しい「判断」を行うことができるほどの時間をそれまでにかけていないということになります。

この「判断」に関する時間をかけない方がいい理由は大きく二つあります。

1つは、やはり昨今の事情。

ゲームチェンジが頻繁に起きてしまうこの時代において「判断」に時間をかけてしまうとスタートが遅れますスタートが遅れるということは経験が遅れると捉えていいんじゃないかと思うんです。

中にはセカンドペンギンのほうがファーストペンギンが経験する失敗を踏まなくて済むということをいう人もいるかもしれません。いわゆる先人の知恵的なものを求める傾向。しかし、それは先人の知恵が今後も使えたら・・とうことなんですね。

先ほども言ったように、ゲームチェンジが激しい。「先人の知恵」は時にただの歴史になることだってあります。そうなるとそういうおこぼれ的な発想ではなく「経験を積んでいるか否か」が重要視されるのです

その場合、スタートが遅れると遅れるということは分かりますよね?

2つ目に、これが一番罪深いと思うのですが、「判断」を待っている人を待たせることになるということです。人の時間をとらないということは、可能な限り避けなければならないビジネスマナーです

もちろん100%、誰の時間も取らないということはできません。一人で仕事をしているように思えても、必ず誰かと仕事をしてるのですから。そこに意識が向いているかどうかということですね。

こんなことを言いながらも、どうしても物理的な事情で相手の時間をいただく必要が出てくることはあります。その時にはフォローが必要なんですね。

具体的には、「どれくらい待たせるかをはっきりさせること」です。

ずいぶん前ですが、こんな記事を書きました

何よりも相手の待ち時間に「不明」を持ち込まないことなんですね。

「判断」に時間をかけてしまうのは、己の責任の中でやるべきですし、影響は自分に向かったのみあるべきです。


時間は有限です。びっくりするくらい有限です。そして、びっくりするくらい平等なんです。そう、相手にも同じ時間があるわけです。

ついつい時間に関する話をすると「私の時間」という視点で論が展開されますが、いやいや「相手の時間」のことをどこまで考えることができますか?という時間論が仕事という意味では重要に感じている今日この頃です。


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