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いきなり"楽"しようとすんなよ!!

いつもよりも少し語気が強い感じで書いていますが、最近そんな傾向が強いと思っていまして、そんなんじゃダメだよという話です。

こんにちは稲本です。福岡でコミュニケーションや情報伝達に関わる仕事をしています。よかったらスキやフォローをお願いします。きっと喜びます。noteユーザーの方なら、あなたの記事も読ませていただきます!どうぞよろしくです。あと、水曜と土曜にポッドキャストも配信中。こちらもよろしくです。@sevenina

さて、本題です。

世の中にはとても便利なツールがたくさんあります。「ある」というよりもどんどん生まれているという表現のほうがいいかもしれません

しかし、所詮それはツールですから、使う側がどう使うかによって・・という話は前回の話ですね。

今回は、使う側の心の問題です。

「便利にできる」ということが当たり前になってしまったことで、地道な努力が疎かになっているような気がしてなりません。


「便利にできる」と「楽にできる」を同じように考えている人が多くなっているように思います。


こんな思考はどうでしょうか?

「便利という感覚は、まず不便を経験しないとありがたみがない」


僕は自分で(少しですけど)プログラムを書いたりして、業務効率を上げることを考えたりもします。ですが、業務効率をあげることを考えるためにはまず、現状の業務効率を理解してないと評価できないのです。

当たり前ですよね?不便をわかった上で便利にしないと評価ができないとはこういうことです。

今の時代は先に「便利」が手元にやってくるのが当たり前な時代です。

人は基本的に怠け者ですから、意識をしていないと「便利」を前提に考えてしまいます。その上、その「便利」を「楽(らく)」と混同すると、どんどん怠けます。怠けるくらいならいいですが、「楽(らく)ができない」となると拒否をするほどになってしまう。

極端な言い方になれば、そんな状態になったら「あなた」は必要なんでしょうか?という話です。



✅ 「楽(らく)」かどうかが判断指標になっていないか?
✅ 「面倒臭い」ことを体験せず判断していないか?
✅ いきなり「便利」を求めていないか?


不便でめんどくさいことを避けすぎてしまうと、それは、ベルトコンベアに乗って、エスカレーター的に暮らすことのように思います。確かにそれは、楽ですが、どうなんでしょう?

こんなことを書きながら思い出すのがピクサー映画の「WALL-E 」ですね。

ここで出てくる未来の人は快適な生活を送っていますが、快適すぎて・・・、詳しくはご覧ください。予告編にはその人間の姿はないですが、この作品は本当に名作だと思うので、是非一度ご覧ください。


暮らしという面でもそうですが、仕事という面でも同じことが起こるんじゃないでしょうか?

つまり

便利なツールを求めすぎてしまうと、
そしてそれに溺れてしまうと、
ウォーリーに出てくる未来の人間のような
仕事思考が生まれやしないか


と思うわけです。


めんどくさいから物語があるというのが暮らしというものだと思います。


いきなり楽(らく)しようとしてはだめだよ

というメッセージでした。

もし気に入ってもらえたら嬉しいです。情報の発信とコミュニケーションについていろんなチャレンジをしていきます。どうぞよろしくお願いします!