「相手が違う」のではなく、「自分が異なる」という意識を持つ
特に大きな意味はないのですが、「多様性」みたいな言葉周辺のことを考えることがたまにあります。僕自身の行き着いたところとして、多様性というのは主張するものではなく、許容するものだということです。
多様性を認めない人を咎めてしまっては、それ時点で多様性がなくなってしまうと思う次第。いろんな人がいてそれを認めようという方向性でありながら、考えが異なる「多様性を認められない人」を認めない多様性を語る人。それは大きなパラドクスのような気がして仕方ないのです。
少し変な前置きになりましたが、少し多様性の話を仕事の面にアプローチしてみようと思います。仕事の場というのは、多くの人が関係してくる場所です。つまり、多くの価値観が集まってくる場所です。
この価値観がぶつかり合って、化学反応を起こして、新しいものが生まれたりするのです。当然ながらそこでは「違う意見」が出てきます。
その時に、「相手が違う」と思うのか、「自分は異なる」と思うのかによってそのdifferenceに対してどう向き合うのかが変わってくると思います。
differenceは違いなのですが、この「違い」という言葉を上手に使わないといけません。仮に「自分は違います」という言い方にすると、相手との差異を表現したものになりますが、「あなたは違います」と言い方にすると、それは相手は「間違ってる」という言い方に聞こえます。
本来はdifferenceという「違い」をいう言葉であるはずなのに、相手に対して攻撃や否定を与える言葉に、どうしても日本語ではなってしまうので、注意が必要です。
同じ意味ですが「異なる」という言い方をしてみたらそれはだいぶ和らぎます。さらに、その異なる対象を自分に向けたら、相手の良し悪しには触れていないことになりますから、コミュニケーションとしては前向きです。
僕は異なる意見を持っていて
私はそれとは異なるアイデアがあって
この言い方だと同じ方向の話ではありますが、どこかしら広がりを感じる議論に聞こえませんか?広がりを感じる雰囲気を作ることが実は年長者の役目だったりもするので、コミュニケーションにおいては必要な要素ですね。
これは意識の問題。冒頭の多様性に関しても意識の問題。相手を認めつつ、自分はそれとは異なる意見を持っている・・という心を持つだけで、それだけで多様性のある人になるような気がしています。
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